【フランス便り】35

最近のフランスにおける環境問題

鈴木 宏昌

 フランスの日常生活で、英語の表現が使われることはしばしばあるが、Politically correct もその一つで、マスコミや研究者仲間でかなり頻繁に使われる。英語でもニュアンスが含まれた表現だが、フランス語では、「公式的な表現から踏み外した発言や意見になりますが」といった語感がある。もともと差別的な用語を控えるという意味らしく、アメリカで始まった表現のようで、とくに人種差別や性差別に関する発言を控えることを意味している模様である。例えば、昔使われていたNegroを避けてAfro-americanを使うのはその端的な例となる。ただし、差別的な表現を避けるだけなら大きな問題はないが、フランスでは、いつの間にかある種の意見やイデオロギーが流れとなり、それに「棹を差せば流される」ので、疑問を投げかけることが難しくなっている。
 このフランスでの潮流は日本やアメリカのものとかなり差があるように思われる。現在、フランス人がヒステリックになっている年金問題もその一つであろう。62歳の年金受給年齢を64歳に引き上げるだけのことなのに、まるで労働者の人生が変わるような大げさな反対運動を労働組合や左翼連合はしている。お隣のドイツやイタリア、オランダなどの年金受給年齢は65から67歳になっているのに、フランスだけ62歳で年金財政が長期的に維持できるとは思われない。もっとも、この年金問題は、マクロン大統領の政治姿勢批判が絡んでいて、もう少し時間を置かないと客観的な評価が難しい。

 そこで、Politically correctでないことを意識しつつ、最近 フランスで大きな潮流となっている温室効果ガスの削減と環境問題を取り上げてみたい。この問題は、大分以前から国連や国際機関などで持続可能な経済発展として知られ、日本でも一部の関心を引いているのは確かである。ただし、私の感じでは、フランスやEU諸国と日本では大きな温度差があると感じている。

 まず、フランスの新聞やテレビでは、毎日のように気候変動(国内では、山火事や地域的な水不足、そして世界各地の大災害)の影響が報道され、地球温暖化の現象と結びつけるコメントが付く。資源の節約を名目として、衣服などのリサイクル・ショップは街角に見られることが多くなっているし、最近では、電気器具の修理に政府が補助金を出すことも始まっている。また、しばらく前から、温室効果ガスの削減対策として電気自動車に対する補助金が出されているので、最近では、新車販売の1割が電気自動車となっている。このように、至る所で、環境保護と温室効果ガスの削減が叫ばれてので、飛行機の旅行などは多少後ろめたい感じすらする。
 今年の辞書(Larousse)の載った新語にeco-axiogeneがあるが、これは若い世代で、地球温暖化などの影響で、将来に悲観し、ノイローゼに陥る状態を指す。ソーシャルメディアで、氷山の崩壊とか氷河の縮小の写真を毎日見ているとすれば、敏感な10代の世代では、精神的に落ち込むことは大いに考えられる。そこで、今稿では、現在のフランスにおける温室効果ガス削減の動きを眺め、その上で、その実現のためにはいくつかの難題があることを示してみたい。

フランスの環境問題の状況

 フランスでは、2007年に温室効果ガスの削減対策として、71項目の具体的な削減目標が設定されたのが一つの出発点のように思われる。それまで、専門家の間で議論されていた地球温暖化の主因として、CO2やメタンガスが特定化され、その削減のために、政府が具体的目標を定めたことになる。その後、フランスの歴代の政権は段階的に温室効果ガスの削減対策をとるが、その一つの到達点が2015年の国連のパリ協定である。この協定では、できれば今世紀半ばまでに、地球の温暖化を2%以内、できれば1.5%以内に収めることが盛り込まれた。このような具体的な目標と一定の時間軸が国際レベルで承認されたことは大きな成果である。そしてこの協定は、その後、200ヶ国近くの国の署名を得ることに成功した。これ以降、フランス国内では、環境関係のNGO やエコロジ-党に勢いを与えて、その活動は広がりを見せるようになる。
 2017年にマクロン政権が成立すると、初めの頃はかなり積極的に環境問題に取り組み、ガソリンに対する環境税の引き上げを行おうとするが、ここで、黄色いベスト集団の反抗が起こる。これは、自動車なしに生活ができない農村地帯や地方都市で働く人(貧困層というより中産階層や年金生活者)の反発で、それまでの労働者のストなどとは全く異なった運動であった。既存の組織は全くなく、ソーシャル・メディアの働きかけで、町の出入口の緩衝地帯(車に減速を課すための円形の交差点)や郊外のショッピング・センターの入口などを占拠し、ガソリン価格の引き上げや公共サービスの劣化などに抗議した。この運動は、政治・経済のエリートが集まり、環境問題に敏感なパリの住民と明日の生活を心配する地方の中産階層との抗争でもあった。当時の有名なプラカードに、「地球の終りより月末(の家計)」があったが、見事に地方都市に住む庶民の感情を表していた。これは、環境政策が庶民の生活を直撃し、強い反発にあった初めての例であるように思われる。
 この騒動が一段落した2019年には、ヨーロッパ議会の議員を選ぶ選挙が行われた。ここではエコロジー党が投票の13%を獲得し、トップの極右のRNやマクロン大統領の与党(それぞれ23%と22%)に次ぐ3位の得票率を獲得した。ここで改めて、環境保護派に対する支持層の広がりが印象付けられた。この選挙後のEU委員会の改選で、現委員長ドイツのフォン・デア・ライエン氏が任命され、それまでのユンケル氏以上にEUの地球温暖化対策の強化に指導力を発揮する。
 2020年になると、フランスの一種の中間選挙でもある地域の首長選挙が行われ、エコロジー党は、マルセイユ、リヨン、ナント、ストラスブールなどの大都市で軒並みに勝利し、また、パリやリールでは、社会党との連立で革新系の市長を生み出している。この選挙で、いかに大都市に住む有権者は環境問題に敏感になっているかを示したと言える。
 もっとも注意すべきことは、フランスの都市は、昔城壁で囲まれていたような中心部に限定されていて、郊外の人口を含まないことである。例えば、行政的なパリの人口はわずかに210万人強でしかないが、広範囲のパリ地域の住民は1200万人を越えている。周知のように、パリ中心部の不動産価格は非常に高くなっているので、パリ市内に住むのは高所得の人か昔からパリに住んでいた人が多く、一般のサラリ-マンは郊外に住むことが多い。パリ市内に住む人は空気の正常化のために、車の移動を制限することに賛同する人が多いが、郊外に住む人は生活のために自動車を必要とする。このような大都市人口の特性で、多くのエコロジー党の首長が誕生したと思われる。
 フランス国内でエコロジストの運動は広がりを見せ、順風満帆のようだったが、2022年の大統領選挙(第一次選挙)では惨敗する(5%に達しない)。決戦選挙でエコロジー党は、極左のメランション氏率いる左翼連合に加入することで国民議会に少数の議席を獲得するが、党内部の抗争もありその政治的影響力は限られている。
 しかし、政治面から離れると、フランス人の環境・地球温暖化に対する関心は強い。企業、公的プロジェクトなどは、多少の温度差はあれ、環境への配慮や地球温暖化削減策を公表しなければ一般的に受け入れられなくなっている。教育や研究分野でも同様である。中学や高校で、環境問題が取り上げられることが多いと見え、多くの若者は環境問題や地球温暖化に対する意識が高い。経済学の分野でも、緑の経済発展とかカーボン税問題などを研究する若手が多い。JICAに相当するフランスの経済援助の機関AFDの大きなテ-マは緑の経済発展である。主要なマスコミはPolitically correctであるために、環境問題や温室効果ガスに関する記事が多くの紙面を占めているので、地球温暖化に対する懐疑論はほとんど取り上げられなくなっている。
 このように環境保護が大きな流れとなり、誰でもなんでも地球温暖化を唱える時代になっているが、私は、いつも社会現象を一定の距離をおいで眺める習性があり、かなり冷ややかに気候変動の問題を見ている。環境の活動家などは、IPCC(国連の環境研究者の国際的ネットワ-ク)の報告書などを根拠に、温室効果ガスを大きく削減しなければ地球に将来がないような長期的な議論を展開しているが、環境規制の影響についてはほとんど発言していない。環境規制は、今後多くの人の生活を直撃することは間違いない。それらの影響が実際にどの程度なのか、そして、その影響をどう緩和するのか、具体的な解決案や方向性を示さなければ、地球温室効果ガス規制が、広く国民に広く受け入れられる余地は少ないように思われる。少なくとも当面、2つの難題に対する説得力のある回答が用意される必要があると思われる。

1 フランスの温室ガスの排出量は0.9%
 環境論者の根拠は、IPCCの報告にあるように、地球温暖化の要因であるCO₂ やメタンガスの排出量の推計である。ところが、2017年の温室効果ガスの国別排出量をみると、トップが中国(28.2%)、そしてアメリカ(14.5%)、インド(6.6%)、ロシア(4.7%)、日本(3.4%)の順で、フランスはわずかに0.9%でしかない。EUは炭素ガスの排出では優等生で、EU28ヶ国合計でも10%以下である。
 つまり、中国、アメリカが世界の排出量の約43%を占めているので、この二つの大国が動かなければ、温室効果ガスの大幅な削減は難しい。バイデン政権は環境問題の推進に関心を持っているようだが、下院が共和党が多数を占め、大統領の任期も終わりに近づいているので、今後大きな前進は難しいだろう。ましてや、敵対関係にある中国と提携し、共同で温室効果ガス削減に乗り出すことは考えられない。となると、いくらフランスの若年層に環境意識が強かったとしても、環境問題でフランスがリーダ―シップをとるとは思えない。ありうるシナリオとしては、優等生であるEUが、環境配慮を行うEUの生産品とその他の国の産品との差別化を図り、域外からの輸入に対しカーボン税をかけることだろう。ただ、それにも28ヶ国に意見一致をみるのは簡単ではないだろう。
 最近、Le Monde紙の環境担当記者の説明が不思議だった。読者からの、フランスのCO₂の発生量が世界全体の1%に満たないのになぜフランスはコストのかかる温室効果ガス対策を行わなければならないのかという素朴な質問に対し、専門の記者は、CO₂は大気中に長く存在するので、これまでの歴史的な温室効果ガスの発生量も考慮する必要があり、そうするとフランスの排出量は世界の2%に達すると答えていた。これからみると、温室効果ガスの本格的な対策が望まれるときに、工業化の歴史までさかのぼり責任をとるべきというのは、経済的側面の答えというより、倫理面の問題になるだろう。

2 温室効果ガス規制の経済的コスト
 地球温暖化の大きな原因である温室効果ガスの排出を削減し、将来その排出量をゼロにするためには、石油・ガス・石炭などの化石燃料の使用をやめ、再生エネルギーや原子力による電力供給が必要となる。これは、大変な変革となる。これまで、製造業や交通・運輸は安価で豊富なエネルギーに依存し、大量生産と安い海上運輸により世界経済を発展させたと言える。今後、各国が温室効果ガスの厳しい規制を行うとすると、電力の価格は現在の数倍の水準になることが予想される。また、原材料の生産にもエネルギーが必要なので、物資の価格は大きく値上がりすることは避けられない。さらに深刻なのは、エネルギーの高騰は必然的に経済構造の変化を意味し、多くの既存の産業が衰退化や消滅に追い込まれると思われる。例えば、すでに規制が厳しいEU内では、現在、猛烈な勢いでガソリン車から電気自動車への転換が行われている。自動車が主要産業であるドイツでは、電気自動車への移行で、将来的には30万人におよぶ雇用削減が予想されている。このような大きな経済・社会の変革に対し、フランス人はどう反応し対処するのだろうか?まず、労働者としては、何よりも雇用と賃金の維持が関心事になるだろう。消費者としては、どんな行動をとるのだろうか? 環境維持の意識が浸透し、温室効果ガスの排出を伴う製品を避け、より環境にやさしい財にシフトするのだろうか?それとも、現在の消費のパターンの延長で、数年ごとにケータイやパソコンを買い替え、流行を追うのだろうか?あるいは、2018年のフランスで発生した黄色のベスト集団のように、政府やEU規制に反抗する行動を起こすのだろうか?
 このような問題の一例を示そう。パリやリヨンなどの15の大都市の中心部では、古い車(排気ガスの水準でいくつものレベルに分かれている)の使用を漸進的に禁止する地域を設けている。
 パリ市内に関しては、2019年から実施される予定だったが、実際にはいまだに適用になっていない。古い軽トラックなど(ガソリン車では2006年以前、ディーゼル車では2012年以前)を使う職人たちの多くは、車を買い替える経済的な余裕はない。一方、水道や電気に故障があれば、郊外に住む彼らに来てもらう必要がある。そのため、職人の組合やパリ住民からの反発が強く、イダルゴ市長(社会党とエコロジ-党の連立)は再三その適用を延期したり、例外を認めたりしている。いよいよ、環境対策が具体化すると既存の権益の衝突する典型的なケ-スである。
 つまり、温室効果ガスの排出をゼロにすることは、巨大な投資と大きな経済・社会の変革を意味している。たとえ、EUやフランス政府が環境政策を最優先の政策としても、国民の大多数の賛同がなければ、それを実行することは不可能だろう。とは言え、何も環境対策がなされない場合は、気候変動で南部地域では水不足による農業の衰退、夏の熱波の襲来、自然災害の増加などが避けられなくなる。
 フランスの急進的経済学者や環境の活動家は、今後経済成長を目指すのではなく、経済縮小(decrissance)を行うべきと主張している。彼らは、これまでの経済成長は、絶えず、消費を拡大することで成長してきた。しかし、地球の資源は無尽蔵ではないので、このような成長モデルには限界がある。そこで、重要なのはこれまでのように絶えず新しい商品を求めるのではなく、環境に配慮し、質素な生活を行うことだとしている。

 私が子供の頃、夏休みを祖父と祖母が住む伊豆の散村で過ごしたが、村には商店は一件もなく、肉屋は自転車で30分以上かかる修善寺まで行く必要があった。裸電球の下、ラジオが一台あるのみで、扇風機で暑さをしのいでいた。それも大変に楽しい経験だったが、今のフランス人の若い世代に、ケータイなし、パソコンなしの生活が可能だろうか?

パリ郊外にて、2023年5月15日、鈴木宏昌(早稲田大学名誉教授)

(2023.5.20)
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