【投稿】
有閑随感録(18)

弱小出版社の合縦策

矢口 英佑

 コロナウイルスによる緊急事態宣言解除は、全国的には5月21日だった。それ以降も緊急事態措置が実施されていた北海道、東京、神奈川、埼玉、千葉も4日後の25日には解除され、予定より少し早くなった。
 しかし、その後もじくじくと膿が出るように、すっかり傷口がふさがれたとは言いがたく、第2波の感染広がりへの警戒も怠るわけにはいかない日々が続いている。
 それにもかかわらず、通勤電車は完璧な「密」状態に戻り、繁華街も2メートル間隔を保つことはもはや不可能な状態にまで混雑し始めている。

 もうこれ以上の閉じこもりはゴメンだとばかりに、世の中にはワッと人間が姿を現してきている。神保町界隈の古書店も営業を再開し、古書を物色する人も、歩道をぶらつく人も確実に増えてきた。だがその一方で、小型動物や植物に関わる古書を揃えていた古書店が、この間にひっそりと店じまいをした。そして、またたく間に新しい買い手(あるいは借り手)が店内改造を始めているが、どうやら同業種ではないらしく、これでまた日本の古書店数が統計上、1店舗は確実に減少することになりそうだ。

 コロナウイルスによる打撃が、社会のあらゆる業界、職種、組織に与えられていることはいうまでもないが、出版関係企業の落ち込み、特に弱小出版社の状況はかなり深刻と言っていいだろう。この4、5月の入金ゼロの出版社も珍しくない。新刊本をさばいてくれる書店が営業を自粛し、ほとんどの大学がオンライン授業となって、教科書として使われるはずだった本がまったく売れないなど、いくつもの悪条件が重なってしまっている。

 一方、トーハン、日販などの取次会社では営業を再開したとはいえ、これまで書店に卸せなかった新刊本が溜まっていて、その後の新刊本まで卸すとなると、1冊だけ大量に卸すことができなくなっている。
 それでも版元は新刊本を制作しないわけにいかない。動かさなければ〝座して死を待つ〟しかなくなるからである。だからであろうか、私が知る幾つかの弱小出版社の逆境に対処する動きは、私には素早かったように見える。

 人間を突き動かす根源的な力は〝食えないことへの恐怖〟にほかならない。最終結末を迎える恐怖こそが、それを回避しようとするエネルギーとなり得ることを、今回のコロナウイルス感染事態があらためて教えたように思う。しかも、既成の制度的な枠組みや概念、既成の思考方法などが、いかに脆いものであったのかを思い知らされた私たちは、それぞれの領域、分野で新しい再生の道を探っていかなければならなくなっているのである。
 話を弱小出版社に戻すなら、苦境に追い詰められた彼らは、これまで当然として受け止め、受け入れてきた枠組みの打破へと動いたのである。

 中国の戦国時代(紀元前400年代~紀元前221)末期に秦に対して取られた周辺諸国の外交方策に「合従連衡」と呼ばれるものがあった。現在でも、その時々の利害に応じて、他者と手を結んだり離れたりして、みずからを有利な立場に置こうとしたり、そのような政策を言う時に使われる。
 今回の場合は、むしろ戦国時代の原義に近く、楚・韓・魏・趙・燕・斉の6か国が同盟して秦に対抗した「合縦」策を取ったのである。今回の場合はコロナウイルスが「秦」というわけである。

 これまでは、それぞれの出版社は1冊の本を完成させるまでの経費については、互いに情報を交換することは、特別な場合を除いてあまりなかった。たとえば、組版、製版、印刷、製本といった工程でそれぞれが同一の会社に頼んでいても、出版社との個別交渉で決められてきた経緯があって、1ページ当たりの単価は決して同じではなかった。
 彼らはいわば蛸壺に入り込んで、自分だけの書籍製作単価にかじりついてきたことになるのだが、消滅の危機に追い込んだコロナウイルスに対抗するため、彼らはみずからの壺を破壊し、情報を共有し、同盟体として本作りを始めたのである。
 出版業界は一匹オオカミ的な経営が一般的だっただけに、今後、この同盟体がどう動いていくのか、しばらくは見守るしかないが、既成の枠組みを破壊して再生の道を模索した一つの歩みであることはまちがいない。

 (元大学教員)

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