【投稿】

有閑随感録(23)

矢口 英佑

 書評というものを、かつての職業柄、かなりこなしてきたし、今も多少なりとも書いている。掲載誌は大手新聞、雑誌から週刊誌、広告誌、同人誌とさまざまである。たいていは依頼されて執筆ということになるのだが、時にはこちらから依頼する場合もある。

 依頼されると言ってもいくつかのケースがある。掲載紙(誌)編集部のこれまでお付き合いのなかった編集者から打診があることもあれば、もちろん馴染みの編集者からの依頼もある。編集部からではなく人を介して依頼されることもあるが、この場合は掲載(紙)誌はたいてい決まっている。さらに著者から直接、書評を依頼されることもあり、この場合もやはり掲載(紙)誌は決まっていることが多い。
 困るのは、執筆者から書評を頼まれ、さらに掲載誌までこちらが捜さなければならない時である。こうなると何人かの編集者に頼み込んだり、伝を頼ってということになったりする。それなりにエネルギーが必要だし、編集部には借りができてしまった感じになる。

 思い返せば、書評というものをいつ頃から始めたのか、これまでの自分の仕事を辿ればはっきりするのだろうが、明確には思い出せない。ただ、はっきりしているのは、原稿料というものがいただける書評などではなかったことである。また、まだ自分の研究の成果を発表することに精力を注いでいた時期で、他人様の仕事にモノを言うなんて早すぎると思っていた頃のはずである。

 それだからだろうか、その頃、厳しい書評を目にするたびに、まだ自分の著書など持っていなかった私はそれなりに怖じ気づいていたものである。そう言えば、当時は研究室の助手をしていた(のちに私立大学教員として転出)私の先輩が「できるだけ自分の文章は世間にさらさない方がいい。何を言われるかわからないから」と言っていたものである。
 この先輩の文献読解力は非常に優れていて、研究は緻密で、文章の表現は流れるようで実に読みやすかった。その翻訳も思わず唸るほどで、すでに大手出版社数社から数冊の著書と翻訳を刊行していた。それだけに、私はさらに怖じ気づいてしまったようである。

 こうした私の心理的な自己体験が反映してしまったと思うのだが、私は書評する書籍に対しては、その著書の優れた点に目を向け、欠点や欠陥にはなるべく触れない「褒める書評」を心がけるようになっていた。それは今も変わっていない。
 書評者が著者より前面に出たり、高位に立ったりしてはならず、あくまでも著書を読ませていただく機会を与えられたという気持ちが大事だと思っている。丁寧に目を通せば、欠点も鮮明に見えてくる。しかし、そうした欠点はおそらく著者がいちばんよくわかっているはずである。だから褒めることで、励みになってさらに精進するエネルギーになるように仕向けるのが書評の役割だと思っている。感嘆の声を上げる研究書でも感動を覚える小説などでも姿勢は同じである。

 このように考えてみると、現在の編集という仕事はいちばん最初の書評者になっているのかもしれない。しかも、かなり厳しい目で文章表現にまで目配りをしながら、文字使いにもチェックを入れるので、書評だけする者以上に細かい読み方になっているのかもしれない。

 ただし、原稿を読み通すのが数回にわたり、著者とも意見交換などやりとりをするため、いつの間にか原稿に愛着が生まれてくることも珍しくない。編集作業を進めながら発行部数を最終調節する段では、〝どれほど売れる〟かの判断を編集者がしなければならない。その際に私の場合には「編集者(最初の書評者)」としての感覚が大きく左右することになるのだが、著者から原稿を最初に受け取って目を通した時と、編集作業が終わった時とでは、たいてい変化が生まれている。その結果、発行部数が多めになってしまうのも人情だろうか。
 それにしても、実際の売れ行きについては〝まな板の鯉〟といってよく、誤算による泣き笑いが常につきまとう。

 (元大学教員)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧