■【投稿】

有閑随感録(26)

矢口 英佑

 「風が吹くと桶屋が儲かる」とは、ある事柄が起きると、因果関係が玉突き状態で次々に及んでいき、予想もしないところに利益がもたらされる場合などに使うことわざである。この物言いに悪乗りするなら、「図書館が休館すると出版業界は真っ青」とでもなるのだろうか。
 図書館の長期閉館で購入図書が減少するからではない。出版業界からすると、関心の高い書籍や人気作家の小説を図書館が大量に購入することには反対している。書店で購入しなくても図書館で読めてしまう、というのがその理由である。
 では、何が起きているのだろうか。

 その前に、現在の日本はどう見てもコロナの押さえ込みに成功しているとは言えない。ワクチン接種の速度はあまりにも遅い。人心はすっかりコロナに馴らされてしまっている。かくして第4波への突入を許してしまった観がある。なにせ範を示すべき行政側の人びとの気の緩みから生じる不祥事が多過ぎる。これではどのような〝おふれ〟を出そうとも、まともに受けとめる国民などいるはずがない。ましてや今の首相や政権中枢部が本当は何をしたいのか、どれもこれも中途半端ときては、すべてのことにしまりのないこと甚だしい。

 そのような思いで「歓楽街」という文字をじっと見ていると、この3文字の間からうじゃうじゃ人間が蠢き、飛びはね、嬌声が響いてくるような感覚に襲われる。外出する人間が増えこそすれ減らない都市部の様子がテレビなどを通して伝えられるためか、なおさら私の中でこのような幻視が起きるのだろう。

 一方、町の公共図書館や国会図書館は一時期、軒並み休館の措置を取った。密を避けるためであることは言うまでもない。しかし、利用者側からは当然、本や雑誌、資料が読めるようにしてほしいとの声が上がり始めた。特に提出日が定められた論文を抱えた研究者や学生、大学院生などからの、資料収集ができず調査研究に支障をきたしているとの訴えは切実だった。要するに図書館が閉館しているのだから、図書館に行かずとも資料が読めたり、入手できたりするサービスはできないのかという要望である。

 これまでは図書館に足を運ぶのが原則で、必要な資料は図書館内でコピーして入手するのが図書館のルールだった。少し細かいことを言えば、著作権法によって図書館の蔵書は調査研究の目的に限って、著作物の一部のコピーが可能だった(実際にはそれほど厳密ではないが)。ほかには郵送サービスをする図書館もあった。

 いずれにしても利用者が図書館に行かないことには事は始まらなかったのだ。それをシャットアウトしてしまったのだから、図書館側としても利用者側からの要望を無視するわけにはいかなくなり、何らかの対応策(サービス)を考えなければならなくなった。
 図書館側が要望に応える方法は、ある意味ではきわめて単純である。

来館できない➔資料が入手できる➔館外からの依頼を受ける➔著作物のコピーや電子データの処理をする➔パソコンやファクスで送る

 単純ではあるがコロナ禍以前では、このようなサービスなどあり得なかった。また、法改正には何かと時間がかかるものだが、コロナウイルスがらみときては見過ごせないとばかりに文化庁が動き出した。すべてコロナウイルスが要因となっている。
 文化庁は文化審議会著作権分科会 法制度小委員会に「図書館関係の権利制限規定の在り方に関するワーキングチーム」を設置して、昨年度中に一定の結論を出すとして著作権法改正の検討を始めたのである。

 なんだか小難しい言葉が並んでいるが、簡単に言えば、「複写サービス」と「図書館送信」の2つについてどう取り扱うか検討し、見直すということである。
 利用者側の要望にできるだけ応じる方向で動き出したわけで、これまでの図書館の姿勢では考えられない利用者へのサービスとなる。家にいながら読みたい資料が入手できるのだから、これに反対する利用者はいないだろう。なにしろ複写サービスをメールやファックスにも対応し、図書館まで行かないと閲覧できなかったデジタル化された資料(たいていは貴重資料)がインターネット上で閲覧可能になるのだから。図式化すれば、

コロナウイルス➔図書館休館➔利用者不満➔法改正➔利便性向上➔利用者歓迎

となるのだろう。インターネットが普及し、コロナウイルスによってオンライン化が格段に社会に浸透してきた結果でもある。

 ところが書籍を制作販売する出版業界、なかでも専門書を主に制作し、発行部数は少なく、価格は高く、少数の購読者に期待する戦略をとってきた出版社にとっては、まさに死活問題となりかねない。研究者や論文執筆者の多くが1冊の書籍の一部分が必要という場合が少なくないからである。
 また、初版の発行部数を抑え気味にして、売れ行きを見ながら次の販売戦略を考えてきた出版社では、重版に期待することができなくなるリスクが増える。さらには古書の復刻、再刊を主にしてきた出版社にも打撃は大きい。

 図書館利用者に歓迎される反面、出版業界にはとんでもないところから刺客が襲いかかってきたとも言える。それでなくても出版業界の不況がいわれて久しく、先行きがあまりにも見通せない現在、出版社に身を置く者として、かつては大学に身を置いていただけになんとも複雑な思いに襲われている。

 (元大学教員)
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