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有閑随感録(33)

矢口 英佑

 コロナ感染状況がようやく第5波から抜け出し、日々の全国の感染者が100人台となり重症者数も100人を切るほどになってきた。
 これまでのほぼ2年間、国民の多くが戦ってきたと言える。そして、まだ戦闘は終わっていない。飲食店業などでは残念ながら撤退を余儀なくされた人たちも少なくない。また身体的に襲来を受け、命を亡くした人も1万8千人を超えてしまっている。私の身近で命を落とした人は幸いいないが、コロナウイルスに感染してしまった知り合いの編集者はそれなりにいる。

 そのうちの一人とは、発症時期から逆算すると、私はまちがいなく濃厚接触者となっていたはずで、ご本人からもウイルスに感染し入院するが、PCR検査を受けて欲しいとの連絡が彼の家人から入った。たまたまこちらは前日、親戚の法事で家族と車で出かけ、かなりの時間、狭い空間に一緒にいた。全員、車中でもマスクをしていたとはいえ、この知人の家人からもたらされたウイルス感染の報せに、我が家ではパニッックが起きた。

 その行き着いたところは、私をコロナウイルス感染者とみなし、接触をいっさい遮断するというものだった。接触だけでなく空気さえもいっさい遮断するという決意に満ちていた。その措置は間違ってはいないのだろうが、まるで犯罪者のように見ているのがわかり、これが世間で言われているコロナ差別なんだと我が家で実感したのは、情けないやら、寂しいやらで耐えがたかった。
 私のPCR検査の結果は陰性で、かくして家庭内コロナ差別は数日間の観察期間を経て解消された。だが、この類の差別意識はいつでも、どこにでも生まれることを実感し、あと味が悪い思いは今も続いている。家族の者は気がついていないのだろうが。

 さて、もう一人の編集者は、結婚して子供の一人ぐらいはいてもおかしくないのだが独身で、だからというわけでもないだろうが、結構、夜、飲み歩くのが好きな御仁。コロナウイルスが流行し始めても風俗店にも足を運んでいたらしい。飲食店が営業自粛を始めても夜な夜な飲み歩いているという話は聞いていて、いつか感染するのではと噂し、本人にも注意したこともあった。ところが不思議と言っては変なのだが、今年の8月初めまではコロナウイルスの方が逃げていっていると思えるほどだった。
 だが、その彼がとうとうコロナウイルスに感染し、ようやく退院したが、その後の体力が回復せず、仕事に復帰できていないという話が伝わってきた。ご本人のコロナウイルスへの警戒感が薄かったからか、私を含めて周囲では感染やむなし、感染当然と見なす人たちが多く、あまり同情されなかったのはお気の毒だった。

 しかし、気の毒と言うなら私なりに心配した例もある。ご当人は出版社を経営していて、人とのつき合いも一介の編集者に比べると様々な人と会う機会も多く、コロナ感染の危険性は高かったと言えるだろう。彼の奥さんは筋力が萎縮していく難病の一つを患っていて、自宅療養を続け外部との接触はほとんどなかった。
 ところが、その奥さんがコロナウイルスに感染したことがわかった。こうなると誰がコロナウイルスを運んできたのかは明白で、彼の落ち込みようは尋常ではなかったようだ。奥さんが健常者ではなかっただけに、あるいは……と思うと、いたたまれなかったのだろう。論創社の社長に電話があり、会ったもののいつもの酒を飲む勢いがなく、ボソボソと悲観的な話ばかりで、まったく意気が上がらなかったという。無理もないとも言えるし、私も知らない御仁ではないだけに、なんとか回復したと聞かされたときはホッとしたものだった。

 またある編集者は、奥さんも編集者として他の出版社に勤めていたのだが、その奥さんが職場で感染してしまった。ところがタイミング悪く入院ができない状況の頃で、やむなく自宅療養となってしまい、結果として、ご本人も出社できなくなってしまった。
 このような例はいくつか耳にしたが、共働きであれば、外での他人との接触機会が2倍になるわけで、コロナウイルスが家庭内に持ち込まれる確率も上がるのは当然だろう。そのため、伴侶の職場で感染者が出ると一定期間、家族全員が自宅待機を余儀なくされてしまうわけで、感染症の恐ろしさ、不気味さを思い知らされているのは私だけではないだろう。

 それにもかかわらず、「のど元過ぎれば状況」が早くも目につくようになってきている。顕著なのは、マスクをしていない人や電車内での会話に熱の入っている人たちが増えてきていることだろう。また店内に入るときにアルコール消毒や検温する店が減ってきて、テーブルの上のアクリル製の透明板を外すことを要求したり、外してしまう客が増えている。こうした少しずつの気の緩みがコロナウイルス第6波襲来を招くことになるのだろう。

 外での活動制限がほぼ外され、瀕死の飲食業、旅行業にも明るさが出始めてきているのは良いことなのだから、だからこそ今まで以上の警戒感の維持が私たち一人一人に求められているように思う。
 しかし我が身を振り返れば、最近は夜の飲み会への誘いが増え、それにすべて応じている私がいる。何のことはない、私こそ、いちばん警戒感と緊張感が求められているのだ。

 (元大学教員)

(2021.11.20)
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