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有閑随感録(43)

矢口 英佑

 先だって家の近くを歩いていると、一軒家を取り壊して平地にされていた場所に三軒の家を建てる印がつけられていた。それから数日後に同じ場所を通ると小型シャベルカーが入り、家を建てる基礎作りの土木作業が始まっていた。暑い日だったが、3人の作業員が黙々とそれぞれの分担作業をこなしていた。ところが、彼らはすべて外国人でどうやら、その中の1人が責任者らしくあれこれ指揮していた。大手建設会社の看板が立てられており、彼らはその下請け会社に雇用されているのだろう。どのような滞在ビザで働いているのだろうか、雇用条件はきちんとしているのだろうかなどと思いつつ、建設業での人手不足が深刻な日本の現状をあらためて知らされたというところだろうか。
 人手不足は建設業だけでなく、多くの業種でその深刻度が増していて、宅配業やタクシー運転手などにも外国人が従事しているのを何度も見かけている。もはや日本人だけで労働力を確保するのは困難で、外国人労働者に依存しなければならないのは明らかである。小手先の外国人労働者確保でお茶を濁すのではなく、抜本的な制度導入を急がなければならない。 
 
 ところで、2022年8月1日、厚生労働省の諮問機関である中央最低賃金審議会が今年度の最低賃金の引き上げを決めた。
 日本では1959年に最低賃金法が制定されて以降、いくつかの過程を経て中央と地方にそれぞれ最低賃金審議会が設けられた。最終的には都道府県別に置かれた地方最低賃金審議会によって決定される仕組みで、正社員でない(とは限らないが)労働者にとっては大きな意味を持っている。
 さらに、この最低賃金については2017年3月の「働き方改革実行計画」で「年率3%程度を目途として、名目GDP成長率にも配慮しつつ引き上げていく。これにより、全国加重平均が1,000円になることを目指す」とされた。

 これはあくまでも目標ではあるが、今年度の最低賃金引き上げは、前年度比での上げ幅が31円となっていて(昨年度の引き上げ幅は28円)、過去最大であり、全国平均の伸び率は3.3%と、「働き方改革実行計画」の目標を超えている。そして、全国平均でも時給961円となり、「全国加重平均1,000円」も視野に入ってきていると言えそうである。
 最低賃金の高い都道府県は東京都が1,041円から1,072円で2.98%上昇。次いで神奈川県で1,040円が1,071円で上昇率は東京都と同じ。3位は大阪で992円から1,023円、上昇率は3.13%、山形、大分、岩手、鳥取など14県が最も低く、853円となる。沖縄県も853円だが、上昇率は4,0%を超えている。
 今回の決定は、2022年10月から適用され、雇用者側は定められた最低時給賃金額以上の賃金を支払わなければならず、支払わないと、たとえ労働契約で最低賃金の金額以下で合意していたとしても無効となり、最低賃金まで引き上げられることになる。

 このように最低賃金の引き上げ幅が大きくなっているのは、言うまでもなく多くの業種で人手不足が深刻化しているからである。コンビニやスーパーマーケットのアルバイト募集広告の時給は最低賃金より高めに設定されている傾向がある。職種や地域にもよるだろうが、政策以上に労働現場の方が賃金設定に敏感になっていることがわかる。
 需要と供給という経済原則に照らせば、働き手が極端に少なく企業からすれば、賃金を高くしないと人手を獲得できないわけで、なかでも深刻なのは機械に任せられない職種が多い。運輸、建設、農漁業、介護、飲食業、小売り業等々である。生活に密着する業種、特にサービス業はそれを利用する側の要望、要求の満足度を上げないと、顧客が離れていってしまい、経営面で大きなリスクを抱えることになる。
 その意味では、利用者側の求めにどれだけ応じるかに重きが置かれてきたように見える。しかし、中小の企業にとって人件費の増大は死活問題にもなり得るわけで、今後も最低賃金引き上げに応えられるかは業績次第となるのだろう。そうだとすれば、今後は顧客の要望にどれだけ応じないのかといった視点も持つべきなのではないだろうか。

 たとえば私の日常生活圏にあるスーパーマーケットでは、最近、従来のレジを2,3カ所残して、ほとんどがセルフレジに変わった。利用者側に不便をかけることになったのだが、大きな混乱は起きていないようである。
 目一杯、エンジンを吹かし、猛スピードで事を動かさなければ、脱落するといった日本社会のあり方を企業側も利用者(顧客)側も考え直さなければならないときに来ているのではないだろうか。少子超高齢化社会では、人手不足が解消するとは考えられないだけに、たとえ顧客のニーズに十全に応えていなくても、多少の不便、不満は受け入れていかなければならないだろう。

 今回の最低賃金引き上げで、たとえば東京都の場合、時給が31円引き上げられると、企業の負担はフルタイムで勤務するパート職員では、月換算で社会保険料込みで1カ月約6,500円、1年で約78,000円負担増となる。
 現在、極端な円安で原材料が高騰し、経営が大企業以上に苦しくなっている中小企業にとって、今回の賃金値上げは大きな負担となるだろう。働く側からすれば最低賃金引き上げは歓迎で、物価が軒並み値上がりしている昨今だけに、生活の苦しさを多少なりとも和らげることに繋がるかもしれない。しかし、今年度のような最低賃金引き上げが続けば、企業側が人手不足を承知で雇用を控えるようになる可能性は否定できない。すでに店舗数を減らすことを公表した大手ファミリーレストランが出てきている。企業として生き延びるために、営業成績の上がらない店舗を減らし、雇用者を減らし始めているのである。
 
 人手不足と賃金引き上げの関係は引き上げれば、それで解決するというほど単純ではない。政府は働く側に寄り添うのは無論だが、賃金引き上げをしなければならなくなった企業側にも具体的で、細やかな支援をよりいっそう充実させていく必要があるだろう。
 人手不足を承知しながら企業側が雇用を控えるという事態になるのは避けたいところで、それだけに、政府が企業側にも積極的に関わる施策の実行が求められている。
(元大学教員)

(2022.9.20)
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