【投稿】

有閑随感録(54)

矢口 英佑

「今どきの大学教師」その2

 大学の存在意義について教育基本法に修正が加えられた2006年から17年が経過した現在、大学はその修正に従い、教員はすっかり教育が優先される状況に引きずり込まれ、研究は後退させられた感じになっている。
 それを象徴する新しい大学の形が2019年に創設された専門職大学(専門職短期大学)だろう。大学等で職業に直接つながる実学を優先させるもので、その代表事例が動物看護、ファッション、健康・美容、介護・リハビリ等々に特化した専門職大学である。
 この専門職大学の教員は実務経験を5年以上積んだプロフェッショナルな職業人を教員に迎え、4割以上を「実務家教員」(学部卒でも可)の名目で採用することが要件となっている。一般の大学でも「実務家教員」を採用しているが、その数は多くない。
 一方、一般の大学教員となるためには最低でも修士課程修了資格を持つ必要があり、現在では博士号を取得していないと採用は難しくなってきている。私が大学教員に採用された頃は博士号を持つ教員は少なかった。それがいつの間にか私が指導していた大学院生も次々に博士論文執筆に取り組むようになり、こちらがそれを指導し、論文審査の主査を務めるようになっていった。そのため、その頃はよく言っていたものである。「博士号を持たない者が博士論文を審査するとはね」と。
 院生たちが博士号取得を目指すようになった理由は明白で、博士号を持たないと大学の教員採用で門前払いとなってしまう可能性が大きかったからである。
 このように今どきの大学教員は採用されるためには博士号取得がほぼ必須であり、そのため大学院博士課程在学中に博士論文に取り組むのが当然のようになってきている。めでたく博士論文審査を通り博士号を取得すると、多くの大学の教員採用情報に目を凝らすようになっていく。指導教員の方も公募している大学に知り合いの教員がいれば、情報の収集に努め、院生のために推薦状が必要であれば、書くなどしてバックアップをすることになる。私もずいぶん推薦状を書いたものだが、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるだから」と慰めたこともこれまたずいぶんあったものである。

 現在は大学教員に専任で採用されるのは、一部の専門領域を除くときわめて難しくなってきている。この点も私が大学教員になった頃とは大きく状況が変わってしまっている。ある時期までは、私の教え子たちも私がさして動くこともしないうちに次々に専任の大学教員として採用されていっていた。今ではたとえ非常勤講師、つまりアルバイトの口でさえ簡単ではなくなってきている。その理由は非常に明白で、18歳人口の大幅な減少である。
 18歳人口は、今からほぼ30年前の1992年がピークで205万人、2017年には120万人となり2023年には112万人と確実に減少を続け、ピーク時の半数近くにまでなってしまっている。2022年の出生数が約77万人(前年比約4万人減)であることを考えれば、18年後には間違いなくピーク時の37,5%の18歳人口になってしまうのである。
 一方、2022年で日本の大学数は807校(国・公・私立)で、1990年〜2000年での新設大学が142校(うち私立大学が106校)、2000年〜2010年での新設大学が129校(うち私立大学が119校)だった。結果的には1990年に大学数は507校(うち私立大学が372校)だったが、2022年には上述したように807校で私立大学は620校にも達しているのである(2022年12月公表の文科省「学校基本調査」より)
 18歳人口の増加を見越して1900年代から2010年代にかけて新しい大学が雨後の筍のように生まれていったことがわかる。しかし、上述したように現在、18歳人口は逆にピーク時の半数近くになり、今後も大幅に増加する見込みはない。大学経営者側からすれば〝大学は作ってみたけれど〟状況に追い込まれてきているところも少なくない。
 日本私立学校振興・共済事業団の発表によると、2022年に定員割れしている私立大学の割合は47,5%で、過去最高となっている。定員割れがすぐ大学閉校になるわけではないが、何らかの自衛策は取らざるを得ないことは火をみるより明らかだろう。
 その結果として、学部・学科再編,新たな入試選抜方式導入、受験生に魅力ある授業展開、入学後の手厚い指導・ケア、就職に繋がるカリキュラム等々、多くの大学がさまざまな手法で減少を続ける学生獲得に取り組まざるを得なくなっている。

 そして、大学運営費でもっとも多くを占めるのが人件費である。この点は大学だけではなく多くの企業も同様だろう。人件費支出を抑えるためには新たな採用人事を極力抑制するのが手っ取り早いことは言うまでもない。大学の場合には専任教員だけでなく、非常勤教員も、そして専任職員も採用抑制の傾向が強まってきている。
 こうした抑制政策が全国の大学で行われていて、新たな専任教員ポストが急激に減少し、今では教員一人採用に50〜100人が応募するというのも珍しくない。そもそも学部・学科再編には新鮮味を打ち出す意味もあるが、退職教員の欠員補充を免れる手立てにもなっている。また、新たな入試選抜方式導入、受験生に魅力ある授業展開、入学後の手厚い指導・ケア、就職に繋がるカリキュラム等々には職員だけで処理できないため、教員の協力が不可欠になっている。
 
 ところで、大学の教員は「給与所得者」ではあるが、一般の勤め人とはかなり異なっている。労働時間が決まっているわけではないし、会社(上司)の管理監督もほとんどなく、担当すべき授業科目を割り当てられた時間帯に自分の裁量で授業を行い、学生を指導する。その意味では「個人営業者」のようなものである。また「研究」についても奨励されているため、研究論文執筆、学会での研究発表、研究会出席なども授業や大学行事等に支障をきたさなければ認められている。そうした点に魅力を感じて大学教員を目指す研究者が多いのも実情だろう。
 しかし、今どきの大学教員で研究時間が十分に確保できていると思っている者はいないはずである。大学教員の活動は、一般的に授業などの教育活動、自分の研究活動、大学(学部)の運営活動、そして社会貢献活動の4つに大別できる。このうち教育活動は単に授業を担当し、教室を出れば、〝それでおしまい〟では済まなくなっている。一部の学生には授業後のケアが必要であったり、学生から学習面だけでない事柄でも相談されたりして、とにかく〝手のかかる〟学生が増加している。一方、大学を4年間で卒業させる支援も大学側から求められている。そのためにはまず、対象学生を把握し、成績評価もきちんと出しておかなければならない。そのため出席の管理をし、時には学生を呼び出すこともある。また、テストの実施とその採点なども複数回実施することにもなる。
 さらに大学の運営活動も私の大学教員時代よりもずっと多くなっている。教授会や各種委員会(たいてい一人で3つほど掛け持ち)出席、入試業務(オープンキャンパス協力、高大連携事業、入試準備や面接試験、筆記試験当日の監督・採点等々)が圧倒的に増えている。本来なら大学職員が担当すべき業務もあるはずなのだが、職員数もギリギリのところで運営されているため、往々にして教員が負担する業務も増えてしまっているのである。

 かくして今どきの大学教員は授業や委員会がなくなる夏休みなどの期間に集中的に自分の研究を進めるしかない。しかし、現在の授業形態になってからは8月前半まで成績評価に関わる場合もあり(前回、この欄で触れた)、研究時間は十分ではない。
 〝いや、今どきの大学教員は教育第一なのだから、これでいいのだ〟という声も聞こえてきそうだが、以前の教育基本法による大学で生きてきた者からすると気の毒に思えて仕方ない。
 気の毒に思う理由はまだあるのだが、この点については次の機会に譲ることにする。

 元大学教員

(2023.8.20)
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