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有閑随感録(57)

矢口 英佑

異常気象
                     
 今年の夏は暑かった。記録破りの異常な高温が続き、「異常気象」という言葉、9月が終わる頃まで繰り返し耳にしてきた。それでも秋が来ているとややホッとしていたら、この「異常気象」が11月にも襲ってきた。11月5日には大阪など近畿の31地点で11月として観測史上一番の高さになったという。そういえばこの「観測史上一番」という言葉も繰り返し耳にしてきた。京都では11月に5日間連続の夏日になった。夏日とは日中の気温が25度以上で、30度を超えると真夏日となるが、京都で11月に25度以上の気温が5日間連続だったというのは、やはり異常気象なのだろう。
 ところで、気象用語で「異常気象」とは、過去に経験した現象から大きく外れた大雨、風などの数時間の現象のほか、干ばつ、長雨、酷暑・冷夏・暖冬など数カ月に及ぶ現象等々を指しているとのこと。加えて、気象災害も異常気象に含む場合があるという。
 ただ気象庁によれば、気温や降水量が、ある場所(地域)、 ある時期(週、月、季節等)で30 年間に1 回以下で発生した気象現象を「異常気象」としているとのこと。
 この気象庁の定義によると、今年(だけではないが)、盛んにマスメディアで飛び交っている「異常気象」とは意味するところが異なっているようだ。われわれが日常的に捉えている「異常気象」とは、例年より気温が非常に暑い、寒いといった体感的な側面から言っているのがほとんどで、30年間に1回以下で起きた現象などと思って言っているわけではない。

 言うまでもなく日本には春夏秋冬の四季があり、それぞれの季節の自然の営みを我々は良くても悪くても受け入れざるを得ない。多少の抵抗をして冬には暖房を、夏には冷房装置を稼働させるが、所詮は建物の中だけで、しかも装置が発する熱によって大気に余計な熱をたくわえさせている。地球温暖化の最大の仕掛け人が人間というわけである。

 一方で、たとえば日本人なら早春には梅が咲き、続いて桜が咲くと、観梅に出かけ、お花見に出かけていく。そして、梅も桜も開花時期が次第に早まっているとはいえ、春の訪れが実感できる楽しさに心奪われるのか、開花時期が早まっていることに対して危機感を持ち、「異常気象」と言う者はほとんどいない。せいぜい「地球温暖化」などと言う者はいても……。今から50年以上も前、私が子どもの頃は4月中旬頃に桜が咲き始めていた(東京、神奈川あたりだが)記憶がある。
 また、「暑さ寒さも彼岸まで」という慣用句がある。冬の寒さも3月20日前後の春分の頃までに、夏の暑さも9月20日前後の秋分の頃までには和らぐという意味だが、これも最近では実態にそぐわなくなってきている。でもやはり「異常気象」などと言う者はいない。

 なぜなのか。人間には「馴致(じゅんち)性」がそなわっているからだろう。似たような言葉では「順応性」「適応性」が近いだろうか。急激な、あるいは突然の変化には大きく反応しても、徐々に状況や様子が変わっていくと、以前とそれほど大きく変化していないと感じて「慣れてしまう」のだ。
 日本の春夏秋冬のありようは、50年前とは確実に変容している。大きなうねりは暖冬酷暑の方向であり、春と秋の温暖化である。その変化は私が生きてきた時間の長さだけで見ても決して微細な変化とはいえない。天候だけではない。自然界の動物や植物にもその生存形態に大きな変化をもたらしている。だが「馴致性」のある人間は、そうした現象にもさほど大きな衝撃を受けることなく、これまでと同じ生活を続け、これからも同じ生活ができると思っているのである。

 同じようなことが日本という国の形にも見られる。
 1945年の敗戦後、戦争に対する深い反省から日本国憲法第9条で戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認等が定められた。
 ところが、東西冷戦構造のなかで朝鮮戦争が勃発し、それをきっかけに警察予備隊、そして1954年7月には陸・海・空の自衛隊が発足した。自衛隊は日本を防衛するための必要最小限度の組織で、日本国憲法第9条は自衛権まで否定するものではないとなった。
 こうして「専守防衛」が容認された自衛隊は1990年代以降、国際貢献という名目の下に活動の幅を広げ、1992年にはPKO協力法が施行された。当然、武力行使につながる可能性があることから、武器を使ったとしても、隊員の命を守るためなど必要最小限度であれば、日本国憲法第9条に反してないとなった。
 さらに2015年、当時の安倍政権は日本国憲法第9条によって、これまでの政権が認めてこなかった集団的自衛権について、憲法解釈を変更して限定的な行使を容認。これによって、日本と密接な関係にある外国が攻撃を受け、日本が脅かされる「存立危機事態」と判断されると、日本が直接攻撃されていなくても自衛隊の武力行使が可能となった。
 また、日本は1967年に武器輸出三原則によって、国外への武器輸出を全面禁止してきた。しかし、2014年に武器輸出三原則に代わる新たな政府方針として「防衛装備移転三原則」を閣議決定。これによって、平和貢献や日本の安全保障などに必要であるなら武器輸出を認めるとなった。そして、今またさらに解釈を広げて、国際共同開発した武器の輸出に関して、直接第三国に輸出できるようにする動きが出てきているのである。

 〝観測史上一番〟などと気象庁から言われ、体感的にも異様な暑さや寒さには「異常気象」としてわれわれは反応する。しかし、徐々にしかも確実に暖冬酷暑、春と秋の温暖化が起きていても危機感を抱く人は少ない。しかも、「異常気象」が繰り返されていくにしたがい、われわれはそれに慣れ、いつの間にかそれを受け入れ、もはや「異常気象」などと思わなくなってしまう。
 日本国憲法第9条が明記した原則がいつの間にか徐々に確実に崩されていっている。しかし、それに気づいていて危機感を抱いている人は多くない。
 日本国憲法第9条は今も厳然と存在している。日本に春夏秋冬という四季があるように。だが、「馴致性」のなせる技か、いつの間にか大きく変容させ、戦争ができるまでになってきているのに危機感を抱く人は少ない。

 元大学教員 

(2023.11.20)
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