【投稿】

有閑随感録(59)

書籍の再販制度を考える
矢口 英佑

 日本の出版業界では紙の出版物が1990年台後半からその売上額が減少し、本が売れなくなったと言われてすでに30年近くが経過している。その現実は隠しようもなく、私の住む街からは書店が完全に消えてしまっている。かつては商店街の通り沿いにも、駅のそばのスーパーマーケットの中にも、駅からバスで2停留所ほどの駐車場を大きく取った書店もあったのだが……。こうした書店が消える現状は全国的で、日販(書籍・雑誌の取次会社の日本出版販売株式会社のこと)の「出版物販売額の実態」最新版(2023年版)によると2006年度では14,555店舗だったが、2022年度では8,169店舗となって、わずか16年ほどで約45%も書店がなくなってしまっている。出版業界からすれば深刻な状況と言えるが、ここでは閉店する書店の書籍はどうなるのか、という点から見てみたい。

 一般の商品であれば、在庫品はその店の責任で処分するしかない。廃棄するか、安売りするか、転売するかだが、とにかく自己完結が求められる。ところが書店は抱えていた書籍は取次会社を通して出版元に返品できることになっている。
 その意味では、街の書店の書棚に並べられている本は出版元から預かっている仮置きに過ぎず、売れてようやく商品になると言えるかもしれない。書店の利益率は通常20%程度なので、たとえば千円の本が売れると200円が利益となる。ちなみに出版元はおおむね60%の利益率で同じく千円の本であれば600円が利益となる。著者は印税という名目で10%(それ以下の場合もあるが)、取次店も10%である。
 各出版社で出版した本が順調に売れれば、出版元も書店も経営上、問題なく営業していける。ところが取次店を通して書店に置かれた本が売れなかった場合、上述したようにその本は出版元に取次店を通して返本され、出版元はその書籍については赤字となる可能性も生じてくる。
 これが委託(販売)制度というもので、出版社、取次店、書店の三者が契約を結び、一定の期間を置いてから売れ残った書籍は返品が認められる出版界独特の販売方法である。この制度があるため、書店は取次店の判断で納入された新刊本を店に置き(書店が独自に出版元に注文する場合もある)、多様な書籍を店内に揃えることができる。ただし街の書店は売り場面積の関係から客の目線で言えば、「あの本屋はあまり本の種類が多くない」となる場合もあり、求めたい本がなかった時には、かつてはその書店に注文して出版元から取り寄せてもらったが、今ではアマゾンなどネットで注文して手にすることができるため、最初から書店に足を運ばない人が多くなってしまっている。
 売れなければ出版元に戻されてしまうのだが、出版元から言えば、書店はなくてはならない存在と言える。取次店を通して全国の書店に自社の本が並べられることで、その書籍が売れる可能性が生まれるし、自社の宣伝広告の手段としても使える。さらには読者が少ない専門書や発行部数が少ない書籍であっても全国の書店に一冊ずつでも置かれるからである。
 ただし、新刊本が取次店を通して、仮に1000部配本されても、それがすべて売れたことにはならない。返品されてきてようやく売れた部数がわかることになる。そして大手出版社を除いた中小零細出版社の多くは6カ月経過後に出版元へ売上金が支払われるのである。この間、その新刊本の収入は出版元には入らないため、中小零細出版元には辛いところであり、加えて返品が多くなると経営が苦しくなるのは言うまでもない。
 一方、書店は在庫のリスクがないため、取次店が持ち込む新刊本を順次、店に置くことができる。そのかわり書店は書籍の値段を勝手に変えて売ることはできない。出版元が決めた価格で売ることが義務づけられていて、その他の商品を扱う小売店のように価格を下げて売ることができない。これが出版業界のもう一つのルールで、正式には「再販売価格維持制度」と呼ばれている。
 出版社が書籍、雑誌の定価を決め、書店はその価格で売らなければならないため出版社と取次ぎ、取次ぎと書店が再販売契約を結んでいる。
 他の商品では、独占禁止法によって再販売価格の取り決めは禁じられているのだが、出版物に関しては適用除外が認められている。そのため書籍や雑誌は日本中、どの書店で買っても同一価格である。
 価格競争を当然のこととして生活している私たちだが、出版業界だけは競争原理が働いていない。あえて働かせないことで出版物の特性と言える文化や教養の普及を浸透させ、地域格差を生じさせないことができるというのがその大きな理由となっている。
 
 しかし、街の書店が次々に消えていく現在、「委託販売制度」と「再販売価格維持制度」は曲がり角に来ているのではないだろうか。本が売れない、書店が消えていくことで、ここ数年来、出版元への返品が増大してきていて、出版業界はますます苦境に立たされ始めてきているからである。これまでも返品率は30%前後と出版業界では言われてきていたようだが、最近は50%を超える出版社も出てきている。
 出版社とすれば本を刊行しないことには収入の道が閉ざされてしまうため、制作費を可能な限り抑制し、発行点数を増やし、発行部数を減らし、電子書籍との二刀流で、少し価格を引き上げるといったことで持ちこたえようとしている。
 さらに先の見通しが明るくないのはこの2制度を維持してくるのに大きな役割を果たしてきた取次店が次々に消えて来ているのである。これではいずれそう遠くない時期に出版社が本を制作してもそれを全国の書店に配本できなくなる可能性も否定できない。

 書店が消えていく、取次店が消えていく、そして出版社も……とならないためには出版業界を支えてきた「委託販売制度」と「再販売価格維持制度」の抜本的な検討が必要になってきているように思えて仕方ない。
 出版元は書籍を制作しても自分では売ることができず、取次店に頼るしかなく、書店は書籍を値下げして売れないため、読者(消費者)の購買意欲を高めることができない。これまでのような三者が依存しあって出版業界を支えてきた護送船団方式ではない新たな出版業界再生のさまざまな面からの検討に取り組むべき時にきているのではないだろうか。

元大学教員

(2024.1.20)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ?直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧