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有閑随感録(64)

最近の神保町(すずらん通りとさくら通り)
矢口 英佑

 神保町は長年、古本屋の街として知られてきているが、この街に通い慣れている者から見ると、ここ数年の街の変貌ぶりには驚かざるを得ない。しかし、私が通い慣れる以前の神保町の様子を知る人たちからすると、私の驚きどころでないであろうことは容易に推測がつく。
 特にコロナの襲来は神保町に限らないが、長年暖簾を出していた飲食店の店じまいや規模縮小に追い込んでしまったが、この神保町ではその寂しい現実が激しいようにも映る。もちろん古書店の閉店などはまさに櫛の歯が欠けるようにといった状況であるのは言うまでもない。
 長くこの神保町に住む長老の話によると、神保町のすずらん通り、そして白山通りを挟んで九段下に向かうさくら通りにはもっと多くの古書店と飲食店が並んでいたというのだ。        
 今ではさくら通りには古書店は一軒もなく、さくら通りから靖国通りに出る路地に数軒の古書店が残るのみとなっている。法学関係書を主にしている有斐閣本店は今もその存在を主張しているようにさくら通りにあるが。もっともつい最近、さくら通りに「シェア書店」なるものが開店したが、これは古書店とは呼べないだろう。
 ついでに言えば、このさくら通りの飲食店も数件を残すのみで、大手不動産会社が虎視眈々と狙いを定めているようで、買収した建物を壊している中で空き地と空き地に挟まれた飲食店などはまるで蛇に睨まれたカエルのようにすくんでしまっているかのように映る。そして、すでに空き地になっている土地がいつの間にか数台しか駐車できないコイン駐車場になってしまっている。いずれは隣接する建物を買収し、10数階建ての賃貸ビルになってしまうのだろう。こうしてさくら通りにあった寿司屋、うなぎ屋、ステーキ屋、飲み屋等々がここ7、8年でなくなってしまった。

 すずらん通りにはまだ人の流れはあるが、さくら通りはいつも閑散としていて、週末にはほとんど人の動きがないほどである。しかし、すずらん通りにしても古書店がいつの間にか他の職種の店(多くが飲食店だが)に変わってしまっているところも少なくない。
 すずらん通りの飲食店には一つの特色がある。それは手頃な価格帯で飲ませるいわゆる赤ちょうちんの店がないことだろう。そのためだろうが、すずらん通りを夕方から歩いても焼き鳥の匂いがどこからともなく漂ってくるということがない。酒を主に飲ませる店は少なく食事をしながら酒を飲むというスタイルが多い。閉店時間も比較的早く、明け方まで営業などという店はない。

 そしてもう一つの特徴は、歴史的には神保町の古書店街は周囲にいくつもの大きな大学があり、こうした学生たちや教員、研究者たちが利用し、育てた街である。それだけに現在でもその数はぐっと減ってしまっているが、昼間は学生や研究者、本好きの人たちが足を運んでくる。ところが、夕方以降になると、学生らしき人たちの姿がほとんど消えてしまうのである。それに代わるのが、社会人らしき人たちである。少なくとも私が立ち寄る神保町(すずらん通り)の飲み屋(酒を飲むことを主とする店)で学生らしき人たちを見かけたことはない。前述した長老の話では、神保町周辺には大中小の出版社が多くあり、それらの社員が夕方から神保町界隈の飲食店に、そして赤ちょうちんに繰り出していたという。そのため安価な赤ちょうちんがすずらん通り、さくら通りにかなりあったという。しかし出版業界の凋落傾向は飲み屋業界に波及し、客足が遠のいてしまったのである。言い換えれば、すずらん通り、さくら通りともずっと賑わっていたことになる。現在のような閑古鳥が鳴くさくら通りの状況は考えられなかったに違いない。

 ところで、すずらん通り、さくら通りに面した喫茶店は少ないが、それぞれの通りの路地奥周辺に喫茶店が多いのも神保町という街の特色になるだろう。土曜日などは神保町周辺で働く社会人ではなく、わざわざ出かけてきたと思われる人たちがいくつかの喫茶店の前に長い列を作って並んでいる。以前はこのようなことはなく、私も何回か入ったことのある喫茶店なのだが、ネット上できっと素晴らしい店の評判が拡散しているのだろう。また半世紀以上の歴史を持つ喫茶店は漢字で書いてあり(外国の国名)、「茶房」としてあり、さらに地下1階にあるため気がつかない人もいるのではないかと思うのだが、すんなり席につけたことは数えるほどしかない。この店もネット上で評判の店なのかもしれない。
 そのほか大きな地震が起きたら潰れてしまうのではないかと思われるような天井が低く、小ぢんまりとした喫茶店が人がすれ違うのがせいぜいの裏道に数軒並んでいる。知る人ぞ知る喫茶店なのだろうか、古書店で購入したばかりと思われる書籍を熱心に見ている(読んでいるまでには至っていないらしい)人をよく見かける。

 さらに神保町周辺にはカレー屋と中華料理店(ラーメン店も含む)が多いのも、もう一つの特色だろう。学生や会社員が短時間で食事を済ますことができ、店側としても客の回転率を上げるには適しているからだろうと推測しているのだが……。

 このように古書店街として多くの人が集まる場所だった神保町だが、確実に社会の変動に巻き込まれていることが歴然としている。日本人が本を読まなくなり、紙の本の刊行部数が減り、全国の書店が減少し、出版業界全体が右肩下がりで止まる気配がなく、古書店での書籍の売買が減少するという悪連鎖はすずらん通り、さくら通りの様相を変えてきてしまっている。特にさくら通りの変貌はくだんの長老の言葉を借りれば「昔の面影はまったく消えてしまった」のである。
 さて、もう一方のすずらん通りはどのようになっていくのだろうか。大いに気になるところである。

(2024.7.20)
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