【コラム】
有閑随感録(65)
パリオリンピックから
矢口 英佑
7月27日の開会式から約2週間のパリオリンピックが終わろうとしている。正直言ってようやく終わるという思いが強い。
アマチュアスポーツの祭典として始まり、〝オリンピックは参加することに意義がある」という当初のオリンピック精神は、とうの昔に消えてしまっている。そのため〝人生にとって大切なことは成功することではなく努力すること〟とこれまたかつては言われていたオリンピックへの参加精神もどこかにいってしまった(参加した選手たちは誰もが努力を積み重ねてきたはずだが)。そして、もっと根本的なところにあったのは、オリンピックそのものが「神への畏敬の念」を示す場で、「神を讃える」という、ある種の宗教的要素が重視されていたことだった。
残念ながらこうした精神は極端に「商業化」された現在のオリンピックによって遠い昔話になってしまい、さらには世界で起きている戦闘、紛争など政治的対立構造の影がオリンピックを覆っている。大会を狙ったテロ行為、大会参加ボイコット、大会参加不承認などであり、今回のパリオリンピックでも鉄道への破壊工作が起きていた。
こうした状況の中で私が当初のオリンピズムに戻そうなどと言えば、せいぜい胡散臭い眼で見られるしかない。最近の金儲け第一主義が大手を振るう商業化されたオリンピックを批判した文章は、すでに前回の東京オリンピック開催の頃に書いているので繰り返さない。ここでは少し違う角度から触れておきたい。
パリオリンピックでは32競技329種目で争われたが、東京オリンピックにはあった野球、ソフトボール、空手が今回のオリンピックでは削られていた。開催国(開催都市)の意向が大きく反映されることが実によくわかる。開催国によって競技種目の増減が起きるのは、商業的に見ればある競技を加えることで自国民が大いに注目するようになるからであり、商機が格段に広がり、またメダル獲得競争にも断然有利になるからである。
それにしてもこれがオリンピック競技種目なのかと私などは首をひねってしまうものまである。私にはその競技名すらわからないし、何をして、どのように争うのかなど当然、知らない。それらの競技に何らかの形で関わって(関心を持っている人びとも含む)いれば、オリンピック種目に入った意義は大きいのだろうが、日本人なら誰もが知っている競技とは思えない。もっとも日本人なら誰もが知っている(と思われる)野球などが世界的に見ればそれほどでもないため、今回のオリンピックからは外れたのだろう。競技一つの増減にも何らかの力学や駆け引きが繰り返されて決められてきたのであろうことは推測がつく。
これだけインターネット網が張り巡らされている現在、競技が行なわれている限り世界中で時間、場所を問わず視聴が可能である。陸上競技や競泳競技などタイムを争う競技は問題ないが、人間が判定する競技についてはリアルタイムで見ている視聴者も審判員とも言えそうで、判定に対する疑義や批判がすぐにネット上に現われ、さらには誹謗中傷も今回のオリンピックでは多かったように感じる。人間が判定する競技には中立、公平、無私を心がけていても人間が行なうだけにこれまでも判定に対する異論が出た事例は少なくなかった。競技者や監督、コーチがその場で判定に抗議するのはまだ理解できるが、ネット上で匿名性を利用して、特に誹謗中傷する風潮は極力抑えなければならない。
また今回のパリ大会は「史上最も環境に優しいオリンピック」を目指し、温室効果ガスの総排出量に制限を設けている。2012年にロンドンで開催されたオリンピックの排出量の50%以下に抑えることが目標とされた。そのためのさまざまな工夫と規制が加えられていたが、たとえば使い捨てプラスチックゼロとして、競技会場へはペットボトルの持ち込みが原則禁止されていた。また選手村では地中から汲み上げた冷水を利用する地熱冷却システムとして、選手の部屋にエアコンを取り付けなかった(選手から暑いとの声が大きくなり、日本は置き型冷房機を持ち込む)。
また、これまではオリンピックを開催する都市はインフラ整備や都市再開発の絶好のチャンスと捉えてきた。ところが今回は競技に使用する施設の95%を既存の会場、または一時的な仮設施設で運営することとした。そのため競技会場のうち新しく建設されたのは水泳会場とバドミントン・新体操用のアリーナの2つだけだった。
環境に優しいオリンピックを目指し、その実現に向けた努力はその一部は結果を出し、その一部は実を結ばなかったようである。しかし、こうした努力は今後も継続されなければならないし、パリだけでなく地球規模で進められなければならないだろう。
だが、世界最大の大運動会と言えるオリンピックは巨大な商業主義の上に成り立っているだけでなく、今回のパリオリンピックが教えているように地球規模の環境保護の面からも現在のようなオリンピックはやはりやめるべき時に至っているように思う。
すでに環境問題の専門家が指摘しているように、たとえどのようにパリ市が環境保護を目指しても、選手が1万人前後、観客が数百万人世界各地域から集まってくるのである。その移動には飛行機が使われるわけで、その輸送では膨大なCO2が排出されることになるのである。さらにパリという都市1カ所に一時期とはいえ人口の超過密状態が否応なしに生まれ、過重な負荷が一都市にかかることになる。
パリも同様のようだが日本も年々夏は暑くなり、冬は暖冬となってきている。この地球温暖化がなぜ現出しているのかは世界中の多くの人間が理解している。人間が生存できる環境を維持し、人間という動物がこの地球で生存していくためには、取るべき方向はすでに定まっていると言えるだろう。
今現在の日本で、午後の昼下がり(などとおとなしい表現では言っていられない)の時間帯に屋外を出歩くには覚悟が必要なほどに太陽の熱射が厳しい。一昨年に増して、さらに昨年に増して!
元大学教員
(2024.8.20)
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