【コラム】

有閑随感録(66)

被爆者と被爆体験者
矢口 英佑

 2024年9月9日に国が定めた被爆地域より外側にいたという理由から「被爆者」と認定されない長崎の被爆者(国は彼らを「被爆体験者」と呼び、「被爆者」と明確な線引きをしている)が、長崎県と長崎市を相手に被爆者と認め、被爆者健康手帳の交付を求めていた裁判の判決があり、長崎地裁は44人の原告のうち15人に対してだけ「被爆者」と認める判決を出した。

 なぜ44人全員ではなく15人だけが「被爆者」と認定されたのか。
 原爆投下後に降った雨には大量の放射性物質が含まれていて、それを浴びた人びとが被爆者に多い健康障害を患っていて、いわゆる「黒い雨」が今回の判決では大きなポイントとなった。今回の15人は「黒い雨」が降ったという証言が多い爆心地から風下地域に住んでいた人たちだったからである。このあらたに「被爆者」と認定された人たちには被爆者健康手帳が交付されることになり、原則として医療費が無料になり、特定の病気に対する健康管理手当などが支給される。だが、今回認定されなかった29人は「被爆体験者」のままで、相変わらず医療費の助成などは受けられない。
 この判決からは、そもそも被爆地域とされる範囲というものが、それほどにも絶対的なのかという素朴な疑問が湧いてくる。
 「被爆者」は爆心地から半径12キロ以内にいた者としながら、被爆地域としての認定は円形ではなく南北はおよそ12キロ、東西はおよそ7キロの楕円形の範囲とされ、その内側にいた人びとが「被爆者」とされているのである。
 私の上記のような素朴な疑問に対して、もう一つの被爆地の広島では、広島高等裁判所が3年前の2021年7月14日、「黒い雨」を浴びて健康被害を受けたとの「被爆体験者」の訴えに対して広島市長・広島県知事・厚生労働大臣による控訴を棄却し、原告84名全員について被爆者健康手帳の交付等を命じた広島地裁判決を支持し、国が定める地域の外にいた原告全員を被爆者と認める判決が確定しているのである。
 改めて言うまでもなく、私のような素朴な疑問に対して、国が定めた被爆地域の範囲の設定が”絶対的”でもなく、”不動”でもないことの回答を広島高裁は出していたのである。
 長崎と広島では地域の状況も原告の事情も異なるだろうが、それにしてもなぜこのような分断的な判決を出したのだろうか。今回の判決で透けて見えるのは、裁判官の目が国の定めた地域の線引きに何ら疑いを抱くことなく、その線引きを不動のものとして(たとえ15人は「被爆者」と認定しても)いたのである。
 そういえば、裁判官とはいえ、公務員であることを考えれば、国に対して何らかの忖度があっても不思議ではないのかもしれない。

 もう一つ、今回の裁判に関して、わかったようでわからないのが「被爆者」と「被爆体験者」という表現の使い分けである。「被爆者」とは被爆を体験した人のことではないのか。辞書的に見るならば、体験とは、
・精神的、身体的な状態や経験を経る、あるいは乗り切ることを指していて、それらのことを「体験する」という。
・ある事象を直接見たり、参加したりしたそのことを指す。
・状態や状況、あるいは感情に対する感覚に経験的な知識があること。
 といった意味合いが含まれている。したがって、私には国が言う「被爆者」と「被爆体験者」の区別に納得のいく違いがあるとは思えない。
 私から見れば、このごまかしにしか見えない表現の使い分けがまかり通り、裁判でも通用していることが不思議でならない。
 これが言葉のマジックなどと言うなら、それに乗せられている私たちも責任の一端から逃れられないだろう。

元大学教員

(2024.9.20)
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