■【横丁茶話】

東京じゃ茶化し半分見てる塾                 西村 徹

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  タイトルは朝日新聞(大阪)3月27日の朝刊に出た川柳である。橋下徹大阪
市長が政治塾を作った。異常な人気に乗って国政に300人を送ろうというの
だ。東京の人が東京の眼でからかったのか、大阪の人が東京の眼でからかったの
か、どちらかであろう。どちらもありうる。

 朝日新聞(大阪)4月2日の夕刊には、大阪市役所の入所式で新人に市長が訓
示をたれたことが記事になっている。「公務員は国民に対して命令を出す立場に
ある。大阪市民は皆さんの命令に従うんですよ」。

 これは東京では記事になっていないかもしれない。その替わりに、東京のニュ
ースは大阪でも否応なく見るようにできているから、石原都知事が「霞ヶ関の役
人より東京都庁員のほうが偉いんだぞ」みたいなことをしゃべっているのを視聴
することができた。

 大阪人は、これまでは、都知事のピエロぶりを茶化し半分見ていればよかった
が、今度は逆になった。しかし、クビ長の実力は大阪のほうが東京より数段上を
行くように思える。商才、学才、博才の語にならって政才あるいは略才というよ
うな語があるとすれば、それは橋下市長のほうがはるかに高く、石原ピエロの及
ぶところではない。よほどヒトラー総統の水準に近いかもしれない。市長では足
りない。一つ足して伍長と呼ぶにふさわしい。茶化して見ていて大丈夫だろうか。

 遠くから見ているからか石原のほうが、暴言にせよなににせよ、その発言は突
飛で抜けたところがあって危険を感じるというより笑わせられることが多かった。

イタリアのベルルスコーニを見ているのとおなじ、ヴァラエティを見るおもしろ
さがあった。石原の「フランス語は数の勘定が出来ない」とかベルルスコーニの
「オバマはよく日焼けしている」とか。ところが橋本伍長にはそういうおもしろ
いところがまったくない。

 何故おもしろくないか? 抜けたところ、とぼけたところがまったくないから
だろう。やり方はひどいが問題のありかをはっきりさせたこと、そして問題解決
の方向性を示したことは間違っていないからだろう。間違っていないから、やり
かたのひどさすらもが却って大向こうの喝采を博することになるのだろう。また
言葉のひどさ、誰も口にしないような下品な罵言が却って若者の、いわゆる下流
層の溜飲を下げるのだろう。

 間違っていないなどというと、「そんなはずはない。『公務員は国民に対して
命令を出す立場にある』などと間違っているではないか。公務員は公僕ではない
か」といわれるかもしれない。しかし行政手続法とかいうもののなかで公権力の
執行について「命令」の語は使われている。弁護士だからそれを承知で挑発して
いるのである。ビデオで見るとなんども繰り返していて明らかにわざと挑発して
いるのだとわかる。

■反撃する側の問題

 さてこういうしたたかな伍長を相手に従来の組合路線で戦うのではどうにもな
るまい。橋下批判を繰り返しても意味がないので攻撃にさらされている側につい
て顧みるべきことを考えてみたい。

 教育基本条例案撤回を求める堺アピールというものができて、過日その集会に
出た。よく管理されてシンポジウムは整然と進行した。聴衆席(近ごろではオー
ディエンスというらしい)からの発言は事前申告により、飛び入り発言はみとめ
られない。やむをえないのではあろうが、それがものたりなかった。

 そして閉会にあたって主催者が言った。「今日の会は無料というので来た人も
いるかもしれないが世の中そんなに甘くない。今からカンパ袋をまわします」。
笑いを取るのが目当てだと思う。

 実際、案に違わず笑いが起こった。しかし、これだから橋本にやられるのだ。
組合内部の乳繰り合いではないのだ。「今からカンパ袋をまわします」で十分な
のだ。余計なことを言わなくても集金額はかわるまい。この物言いに既得権者の
仲間同士の馴れ合いがにおう。せっかく来てくれてあいにく空財布という人が、
もしいたら、どんな気がするか。甘い! 私はそう思った。

 その点2012年4月1日(日)、大阪市淀川区の第七藝術劇場で行われた、
「維新の会・橋下徹と大衆、メディア」
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/7769 の模様は違っていた。今井一という
ジャーナリストが司会をしていたが、司会者でありながら笠松正俊という教職員
組合役員をビシバシと批判していた。IWJ大阪の松田という人は会の模様をつ
ぎのように要約している。

 折に触れ会場から声を求めるかたちで進められ、教育現場やメディア、市民と
いったさまざまな立場からの意見が展開した。今井氏は「橋下氏や維新の会は教
職員らの足元を見ている。自分と意見を異にする人々の人権をも守ろうという姿
勢がないため、大きな動きにならないことを見透かしている」と批判派にも問題
があることを指摘。会場と激しい論争となる場面もあった。【IWJ大阪・松田】

 笠松という教職員組合役員は、君が代に反対しながら君が代を教えることをし
なかったことを反省していた。君が代の「君」は天皇だということを教えるべき
だったという。違うだろうと私は思った。丁度1年前のオルタ88号に書いたこ
とだが、君が代の元歌は古今集の、ことによると挽歌かもしれないものだ。もし
生徒に教えるならば簡単に賀歌とはいえない。少なくとも藤田友治『「君が代」
の起源』は踏まえねばなるまい。

 考えてもみるがよい。戦時中コドモのころ盛んに君が代を歌わされて、天皇を
称えているのだと一度でも意識したことが誰にあろうか。教育勅語にしても「チ
ン・オモーニ」で噴き上げてくる笑いをこらえるのに身を捩ったはずだ。歌は歌
いたくて歌うべきものだ。歌いたくないものに歌うことを強制するならば、かえ
って歌そのものを冒涜することになる。君が代および天皇を尊崇する人にとって
も、それは好ましくないだろう。教師が教えるとすればそう教えるしかなかろう。

 従来私は「教え子を再び戦場に送るまじ」と言う言葉とともに、日教組を理想
化してとらえていた。何故日教組が嫌われるのかあまり知らずにきた。しかしこ
のたび理由が分かった気がした。むしろ今回の受難は教職員組合再生のチャンス
かもしれない。

 日教組を知る上で参考までに、私の知る若い(アラフォー)知人がくれたメー
ルを本人承諾のうえで紹介する。

■日教組教師

 私の学校の日教組教師は、とにかく平等・公平が大好きでした。同じ班の誰か
が忘れ物などで失敗すると、失敗していない他の子も『共同責任』といって、一
緒に罰を受けさせられます。

 忘れ物をした子の家まで、同じ班の4~5人全員で忘れ物を取りに戻る付き添
いをする、という罰を受けたことがあります。なんと、授業中に、ですよ。その
子の家は学校から少し遠く、往復45分ほどかかったので、1つの授業をまるま
る受けなかったことになります。

 今そんなことをやったら、大問題になりますよね~。ま、その罰は、遠足気分
でそんなに嫌でもなかったですが(笑)。

 私の小学校は、巨大な府営住宅団地の中にあり、経済的に余裕のない家庭の子
女が多かったようです。私はただのフツーのサラリーマン家庭なのに、府営住宅
住まいの多くの同級生より物持ちだということで、よく教師に蔵書提供を求めら
れていました。

 といっても、子供向けの文学全集とか、日教組教師が大好きな原爆漫画『はだ
しのゲン』程度なんですが、クラスの子にも貸し出せと命じられ、でも当時の私
は学校教師の言うことは絶対だと思い込んでいたので、素直に次々と提供してい
たんですよね。親が、気付くまで。

 仲の悪い子に貸すことを断った時は、教師にずいぶん苛められました。仲良し
4~5人を誕生日パーティーに自宅へ招こうとしていることを教師に知られた子
は、クラスの数人だけを呼ぶのは差別である、やるならクラス全員を招けと強制
された子もいました。

 彼女、両親共に芸術関係者で、有名漫画家の姪っ子でした。そういう特別的な
ことが、気に食わなかったんだと思います。彼女の母親、40人分のケーキなん
て用意できないので、仕方なく大鍋一杯のお汁粉を娘の誕生日に振舞うはめにな
っていました。

 進学塾通いしている子がいれば、わざとその子の塾の日に放課後クラス会やク
ラス行事を開いて塾通いをやめる方向に向けられたり、(私はそれで、そろばん
塾を1度辞めるはめになっています)。

 とにかく飛びぬけて勉強のできる子とか、他より裕福に見える子、発想が豊か
でちょっと普通と違う考え方をする子などは、教師に嫌われました。そして出る
杭は叩いて、平均化、公平化を図ろうとされました。

 上に挙げた例、1人の教師の所業じゃないんですよ。みな、ばらばらに別の教
師のやったことです。そんな小中時代の私の接した教師たちが、私の日教組教師
像になっています。もしかしたら私、間違った認識をしているかも知れませんが。

 で、長ズボン禁止だったのも、健康を考えてのように見えますが、そのやり方
が日教組なんですよね~。

 お洒落な家庭の子とか、他の地区から引っ越してきたばかりの子などは、はじ
めはそんなルールは無視して長ズボンやロングスカート履いて、自由にします。
でも、そんな子がいると教師がクラス会を開いたりして、他の子供たちにその子
を批判するように、上手く持っていくんです。そしてどの子も結局、必ず半ズボ
ンルールに屈していました。

 下半身が極端に太っている、腿に痣があるなどコンプレックスを持つ子たち、
このルールをずいぶん嫌がっていました。でも守らないと、そんなコンプレック
スを持つのがおかしい、という方向に却って批判を受けるので、さらけ出すしか
なかったんですよね。

■以上が本人の許可を得て再録した内容である。なんと橋下伍長と同じことを日
教組教師もやっていたのではないか。権力は腐敗するのである。(2012年4
月11日)

         (筆者は堺市在住・大阪女子大学名誉教授)

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