■ 【横丁茶話】 ~東京は揺れている、ジャポニスムふたたび?~     

                         西村 徹
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■東は東、西は西―臨場感は距離に反比例する
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  東京も余震でずいぶん揺れていたらしい。それがほとんど伝わらない。東北の
津波被害、わけてもフクシマ原発の事故が破滅的な上に、余震も頻繁で、しかも
本震なみの強震だから、東京の地震など吹っ飛んでしまう。相変わらず原発推進
の石原慎太郎が知事を続けるというから、やっぱり東京はなにごともなかったの
だと思ってしまう。4月16日土曜の朝11時、放送中の愛川欣也が、「ア、揺れて
ます。地震です」。一呼吸おいて「もう慣れちゃいましたね」というほど東京で
は日常になっているようだ。東京自身が東京の地震のニュース性を認めていない。

 だから、東京は少し薄暗くなって、ヨーロッパなみに落ち着いた町になったぐ
らいに西では錯覚された。節電の実効性はともかく景観にかぎっていえば自販
機、パチンコを止めろと言う石原慎太郎を私は支持する。じっさいあのギラギラ
は堪らない。彼が環境庁長官になって直ぐ、野立ち広告を止めようと言ったとき
も賛同できた。しかし言っただけで終わった。いっぽうで皇居をライトアップし
ようなどと悪趣味なことを言ったり、フランス語は数が数えられないなど、漫才
師でも政治家になったら言わないようなしらけマンザイを真顔で言ったりする。
チープで信用できない。

 さて、いっときスーパーやコンビニの棚が空になった有様がちょっと映った。
水源地の水が放射能で汚染されて、水のペットボトルが品薄になったとか、納豆
やヨーグルトが姿を消したとか、停電さわぎで単一乾電池が払底するというニュ
ースはあった。ちょっと以前まで、誰かさんが滑った、転んだ、寝たとか起きた
とか、やれ注射したとか。犬が欠伸をしたようなことまで、東京情報が日本中に
放射能雨のように注がれてきた。今は日夜、東北や茨城、房総の惨状がメディア
を占領し、東京界隈の地震はすっかり影が薄くなってしまった。

 阪神淡路以前、つまり16年前まで、地震の少ない関西の人間が東京で地震に遭
ってうろたえると、東京人は「エヘン、東京じゃこんなのどうってことないよ」
とイキがってみせた。なるほど道理で江戸っ子は威勢がいいのだと納得したりし
た。今度もそう言うだろうと先回りしたつもりで「そんなにしょっちゅうじゃ、
たまに揺れないと、かえって物足りないだろう」と言ったら、「冗談のつもりな
ら笑えないよ。寿命が縮むよ」と叱られた。

 やはりこれまでとは違うらしい。私もまた無意識過剰に汚染されていたのであ
るらしい。しかしながら、やはり、災害の現地から遠ざかるほど臨場感は薄れ
る。阪神淡路のときの地元の受けた衝撃と東京人のそれに対する反応に差があっ
たように、サリン事件のときの東京の衝撃と関西人の反応には差があった。臨場
感は距離に反比例するのが人の自然ではないかとも思う。

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■マイケル・サンデルの問いかけ―人類はルソーを超えうるか?
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 4月16日、マイケル・サンデルの『特別講義・大震災後の世界をどう生きるの
か』」というNHK教育の放送のなかで、サンデル教授は「人道主義の精神は世界
全体に広げると薄まり、弱まってしまう。私たちヨーロッパ人は日本で起きた災
害に、ヨーロッパを襲った災害と同じだけの衝撃を受けるわけではない」という
ジャン=ジャック・ルソーの言葉を取上げ、つまり「責任や義務、共感というも
のは、その本質からいって限定的で、その地域に留まるということだ」と付け加
えた。まさに臨場感は距離に反比例するということだ。時間軸で言ってもこれは
当てはまる。日本人の間ででさえヒロシマ.ナガサキは遠くなりつつある。
http://www.youtube.com/watch?v=ICaISAGtkxU&feature=player_embedded

 このことをどう思うかとサンデルは問うた。ルソーに同意する人は少なかっ
た。東京は12人ことごとくが同意しなかった。同意したのはボストンが8人中2
名、上海が8人中3名だったと思う。これにはサンデルの講義冒頭のイントロダク
ションがもちろん影響しているが、東京の満場一致にはおどろいた。すでに東京
はルソーの人道主義を超えて、世界市民という高次の意識を獲得していることに
なるのだろうか。それとも単に長いものに巻かれろ的傾向を示していて日本人を
論じる上での有力資料になると解すべきだろうか。

 東京12対0、ボストン6対2、上海5対3に、むしろ各国民の、一身独立の
志の強弱を見ることができるようにも思える。ボストンのローラと上海のジャン
は異口同音にルソー説が現実であって世界市民は達成すべき目標であると、現実
と願望を的確に切り分けていた。日本人のほうがひと足先に一種のジャポニスム
にはまり込んだかのようだ。

 これに先立って冒頭サンデルはニューヨークタイムズの記事を紹介することか
ら始めた。今回の日本の震災では、ニューオーリーンズのカトリーナのときと正
反対で、大災害に遭いながら暴動も略奪も、便乗値上げも買占めもまったく起こ
らなかった。避難所では秩序と礼節が保たれ、悲劇に直面してのストイシズム、
冷静な勇敢さと自己犠牲をニューヨークタイムズは絶賛していた。さらに「これ
らはまるで日本人の国民性に織り込まれている特性のようだ」と。まさにDuty
First, Self Secondは日本人のDNAになっているというのだ。

 ちょっと日本人を褒めすぎではないかと思う。カトリーナのときの暴動はブッ
シュのサボタージュが原因にあるといわれる。多くの白人富裕層はいち早く逃げ
て無事だった。被災民の多くは逃げ出す手段すら持たないほどの黒人、ヒスパニ
ックからなる貧困層であった。福祉の面で国の予算の負担になる層だから口減ら
しとして、わざと見殺しにしたともいわれる。日本の3.11津波・地震・原発災害で
は、菅政権もその初期対応は遅かったが、無能なだけで悪意はない。カトリーナ
とは比較すべきでない。しかし総じて日本人は、こういうとき、扇動者の謀略さ
えなければ、怒りが暴力化することはないのかもしれない。

 16年前もまったく同じだった。神戸の長田区は在日韓国人の多いところだ。そ
こが崩壊炎上し、ほぼ全焼した。大正12年の関東大震災のトラウマがあるから真
っ先に韓国政府が緊張した。ところが現実はその緊張を裏切って、人々は争うの
でなくて助け合った。国籍や民族の出自などなんら垣根になることなく、人々の
意識にすら上らなかった。やはり諸外国の報動陣は感動した。日本人としてはい
ささか面映いほど彼らは感動した。灰燼と瓦礫のなかで、なんのわだかまりもな
く助け合い譲り合う人々を見て、マイクを手にしたBBCの女性記者が涙に声を詰
まらせる姿が記憶に残る。

 1945年の八月に上陸してきた米軍もかなりの程度これらに似た印象を日本人一
般から受けたのではないかと思う。戦場で敵対した日本兵とはまるで違う柔和で
従順な日本人に拍子抜けしたのでなかったか。ジョン・ダワー『敗北を抱きしめ
て』、『人種偏見』や、ヘレン・ミアーズ『アメリカの鏡・日本』などからそれ
はうかがえる。ダワーは日本人を女性視していると読む人(西部邁)もいる。女
性とのアナロジーは物議を醸しかねないが、日本人一般が、社会関係において他
人指向というか、好奇心は強いけれども自己主張は弱く受動的である点は認める
べきかもしれない。

 日本人の信じやすさ、謙虚、気前のよさなど、『回想の明治維新』(岩波文
庫)の著者メーチニコフは溜息まじりで称揚している。サンデル自身が日本人の
共同体意識にほとんど惚れ込んでしまったのでもあった。

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■空気を読む日本人
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  それをまずサンデルから吹き込まれたことが討論の場の空気を支配していた。
日本のマスメディアの世論調査が、欲する答えの得やすいように設問(誘導尋
問)するのと似たことが起こったのだと思う。日本人は素早く空気を読んだ。世
界中から義捐金が寄せられ貧しい国からも救援隊が駆けつけている。そしてサン
デルは日本人の共同体意識を賛美している。どうしてこの貴(あて)なる客人
(まろうど)の期待に応えないでいられようか。どうして潮目に逆らえようか。

 日本人にとって、そんな場合、元々あるかなきかの自己主張を「卑見」として
隠蔽あるいは抑制するのはごく普通のことだ。むしろそれは、ほとんど美徳のよ
うに推奨される。世間知として多数意見に迎合することが無難とされる。迎合し
ないとKYなどとなじられる。つまりいじめに遭う。東電の宣伝費は官房機密費な
どの比ではない。広告費・販売促進費は500億円弱に達するといわれる(4月23日
「パックインジャーナル」出演の池田香代子発言による)。原発推進の国策に沿
って多くの御用学者・言論人が動員され毒饅頭を食ってきた。

 節を曲げずに原発に反対する学者は村八分にされ、万年助教のまま、たとえば
熊取などに島流しにされたりしている。では、なぜルソー説をくつがえすような
新しい認識が世界大で出現してきたのか。今回の津波・原発事故に世界が敏感だ
ったのは、ひとつには、いやがうえにも高精細のデジタル動画映像の氾濫が地球
上の距離を極小化したからであろう。

 作家の石田衣良が、「もし、ルソーが今生きていたら、YouTubeで津波のムー
ビーを見てこれは世界の果てのことではなくて、自分の隣で起こったことだと思
ったと思います。」と放送のなかで言ったのはある程度当たっているだろう。ど
んなに情報から距離をとって、それをむしろ誇るような人であっても、日露戦争
を終始知らなかった学者はもはやありえないだろう。

 しかし、石田衣良のいうように「津波のムービー」だけで世界中が遠くの悲劇
に胸痛めるのなら、昨年(2010年)23万の死者を出したハイチの大地震も電波が
その映像を世界に送った。2004年スマトラ沖地震の津波は被害8カ国、死者22万
人に及び、映像は世界に送られた。世界は今回のように反応したか。世界のメデ
ィアを驚かせたのは、即物的な「津波のムービー」が伝える自然の猛威であるよ
りも、なによりも「人々」であった。

 被災地といえなくはないが、交通機関が止まったという程度の東京で、それが
あたかも日常であるかのように淡々と黙々と夕刻の家路を歩き続ける「人々」の
静けさに彼らは先ず驚いたのだった。外国紙の電子版でその群像写真を見、日本
人としては驚くにあたらないことに彼らは驚いているのが私の驚きだった。さら
に彼らの驚きの的となったのは東北の「人々」の忍従、悲しみのさなかの優しさ
と静けさであった。

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■美談の裏で
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  たしかに身を犠牲にして中国人研修生を無事逃れさせた事業主、警報を放送し
続けて自らは波に消えた女性町役場職員、被災現場、原発事故現場での自衛隊、
消防、そしてフクシマ50と呼ばれる人々の献身は美談である。それは建前として
は憲法18条によって「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。・・・その意に
反する苦役に服させられない」のであるがゆえに美談にはちがいない。しかしま
た、その意に反する失職のリスクから守られているわけではないだろうことも事
実である。

 下請け会社は危険な作業を拒めるだろうか。拒んで後の発注はなくなるかもし
れない。美談はしばしば利用される。本来責任を負うべき当事者の責任回避のた
めに美談はつくられてまで利用される。戦争末期の特攻隊の多くがそうであった。

 さる夕刊紙によると、4月20日、海上自衛隊の自衛官が、軽犯罪容疑で神奈川
県警に逮捕された。捕まった3等海曹は犯行の理由を、「被災地に派遣されたく
なかった。逮捕されれば行かずに済むと思った」と話している。彼はすでに一
度、被災地に派遣され遺体捜索をしている。「約2週間、宮城県沖の遺体の収容
作業にあたった。厳しい勤務で緊張の連続だった」と吐露しているという。
 
  これは美談の裏面のひとつにすぎない。また被災地の避難所では秩序と礼節が
保たれてはいても、避難して空き家になったところにはコソ泥が侵入し、地元に
留まる人々は夜回りに苦慮しているとも伝えられる。興味本位で被災地を見物に
来る都会人もいたらしい。その後、物見遊山でもいいから東北に来て消費してく
れるのがよいという声も出ているが、NHKアサイチという番組では一度ならず被
災地からの物見遊山に対する苦情を訴えるメールが紹介されていた。

 実際は生産工場や包装材メーカーの被災で供給が滞ったための品薄まで、たと
えば納豆やヨ-グルトまで買占めされたと空騒ぎした評論家もいたが僅かながら
買占めもあった。便乗値上げも絶無ではなかったらしい。

 中国に立地されている、大手日系メーカーの工場で、日本の地震を受けて社内
募金活動がおこなわれた。報道であまりにも凄まじい映像をみんな見て知ってい
るので、かなりの額が集まったらしい。最後に日本人駐在員らのところに行く
と、「えー、俺はパス」と言って逃げた日本人がいたらしい。義憤に駆られた中
国人らに詰め寄られて結局渋々50元(円?)出してきたなどという話も聞いた。
 
  表があればかならず裏がある。サンデルもニューヨークタイムズも裏には目が
届いていない。隣の芝は青いという。褒められて、悦に言っていては大きなもの
を見失うだろう。たとえば首相菅直人に欠けるものはなにか。まさしく海外から
絶賛を浴びた日本人の無私性ではないか。原子力村の甘い蜜に群がった政治家、
学者、ジャーナリスト、組合ボスもまた日本人である。また、遠くには慈善のカ
ネを投げても隣の貧家を遠ざける金持ちもいる。

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■自戒すべきこと
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  コミュ二ティを重んじる、己を後にする精神は災害時に長所であった。長所は
また短所でもある。なによりも、関東大震災のケースを例外として片付けてしま
っていいだろうかと思う。あのような扇動者が現れたなら同じことが起こらない
という保証はない。今また非常時だというので挙国一致が叫ばれ始めている。人
権制限をふくむ非常事態条項を設けようとする改憲の動きもあるやに聞く。しか
も鳩山由紀夫が熱心だと聞く。

 日本人の精神のありようについての危惧を端的に示す一例をあげておく。サン
デル討論の場で原発事故の修理をだれが担うべきかの問題について東大の学生は
言った。「本来ならば私たち全員が行かないといけないと思います。なぜなら私
たちは東電の電気を使う事、東電にお金を払っていることによって東電と原発に
(ママ)支持をしていたからです。私たちがそれを支持し、その支持していたもの
が問題を生じさせたのだから私たち全員が本来ならばその原発の対処に当たらな
ければならないと思います。」

 そういえば 朝日新聞4月6日の夕刊で「今の日本ではこの事態の外にいる者は
いない」と池澤夏樹も言った。思い出すではないか。1945年敗戦のときも東久迩
首相が言った。「一億総懺悔」と。(2011/05/08)

                (筆者は堺市在住・大阪女子大学名誉教授)

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