【オルタ広場の視点】

株式市場と「狐の嫁入り」

高成田 享

 日経平均株価が3週間ぶりに3万円の大台に乗った。コロナ対策の切り札とされるワクチン接種が進められている米国の株式市場は、コロナ後の景気拡大を見越して高値を更新している。それにあやかりたい日本の株式市場だが、コロナのリバウンドの懸念が高まっているだけに、緊急事態宣言の解除と同じように、弱気が見え隠れする相場展開になっている。

 株式の環境そのものは悪くない。日米欧の中央銀行は、コロナによる景気の減速を止めるために金融緩和を続けている。各国の政府もコロナ対策で大規模な財政政策を発動している。インフレ率はまだまだ低い。そして、なによりもコロナワクチンの接種が広がり、経済活動が本格的に回復するめどが見えてきた。これだけの条件がそろえば、株価が上がらないはずはない。

  ◆ 下落は天気雨?

 2月中旬に日経平均が30年ぶりに3万円台をつけたのは、そんな経済環境を先取りして、株高への期待が高まったからだ。株価はさらに上がると見た強気の投資家にとっては、3月に入ってからの株価下落は天気雨としか思えなかっただろう。天気雨のことを「狐の嫁入り」と呼ぶが、強気にあふれていた市場に弱気が入り込んできたのは、狐にたぶらかされたようなものと思ったに違いない。

 狐の嫁入りの原意は、花嫁道中の提灯行列のように、田んぼの向こうの山裾をゆっくりと火の玉が流れていく怪異現象だ。いま金融市場がおぼろげに見ている怪しい灯りは、原油やプラチナ、トウモロコシなどの先物価格の上昇で、こうしたコモディティ(商品)価格の上昇がインフレの予兆とみているのだ。

 物価が上がり始めれば、通貨の劣化を防ぐために金利は上昇する。金利が上がれば、増える利息を期待して投資資金は証券市場から債券市場に移る。そんな思惑の連鎖が強気に走りそうな株式市場の足元で弱気となって漂っている。

 とはいえ、今年1月の消費者物価指数は前年同月比で、日本-0.6%、米国1.4%、ドイツ1.0%で、各国・地域の中央銀行が目標とする2%程度のインフレには届かない水準だ。中央銀行が注視する雇用情勢も、コロナ禍による悪化からの改善は十分とはいえない状況だ。弱気派の根拠は乏しくインフレの狐火にだまされることはない、というのが強気派の見方だ。

  ◆ 高値圏は空中楼閣

 直近の経済環境だけを見れば、強気派の言い分に分がありそうだが、そもそも高値圏にある現在の株価水準の土台はしっかりしているのだろうか。この相場の水準自体が中央銀行の金融緩和による金融バブルに支えられた空中楼閣とみることもできるからだ。3万ドルの史上最高値圏にあるニューヨークダウ平均株価も、3万円の大台を味わった日経平均も、強欲な市場参加者が作り出した幻影ではないか。

 2008年のリーマンショックを受けて、世界の中央銀行はこれが世界恐慌とならないように、「非伝統的な」金融政策で、恐慌に陥るのをなんとか食い止めた。その手法が金利を下げるよりもマネーの供給に力を入れた「量的緩和」だった。

 米国の中央銀行にあたる連邦制度準備理事会(FRB)は、リーマンショックの後、2014年まで3次にわたる量的緩和を打ち出し、景気が回復基調になったところで、金融政策を緩和と引き締めの中立に戻す「出口戦略」を進めていた。しかし、コロナ禍による景気の後退が見えてきたことで、昨年3月に金融緩和に逆戻りした。

 一方、日本銀行は、2013年に黒田東彦氏が総裁に就くや「異次元の金融緩和」と称して積極的な量的緩和政策に踏み切ったものの、「デフレからの脱却」というアベノミクスの公約が果たせないまま金融緩和を続けた。そして、コロナが広がると、緩和の手立てに出尽くし感があるなかで、なんとか積極的な緩和の姿勢を金融市場に見せようと懸命になっている。

  ◆ 日本の株価は官製相場

 FRBが金融緩和の具体的な手段として購入したのは国債や住宅ローン担保証券だが、日銀が買ったのは国債だけでなく、不動産への投資信託(J-RETE)や、TOPIXなど株価指数に連動する投資信託(ETF)だった。日銀は、資本市場へのマネーの供給を通してだけではなく不動産市場や株式市場に、より直接的な働きかけをしたわけで、これが不動産価格や株価を押し上げる要因になった。

 日銀によるETFの購入は、黒田総裁の前の白河方明総裁時代の2010年からだが、当初年間0.45兆円とされた買入れ枠は、黒田時代になると、1兆、3兆、6兆と拡大し、さらに昨年3月にはコロナ対策として12兆円になった。その結果、日銀は上場株式市場における最大の株主になっただけでなく、1部上場企業の2割程度の企業で最大株主になったとみられている。

 日銀は最大株主となったが、それまでの最大株主は年金積立金管理運用独立法人(GPIF)だった。GPIFの2020年12月末の運用資産額は179兆円で、その25%にあたる45兆円余が国内株式になっていて、日銀の保有額はこれを上回っているとみられる。株式市場を支えているのが日銀と公的年金となれば、日本の株価は「官製相場」と言われても仕方がない。

 株価は、企業の収益を反映しているはずで、その指標である株価収益率(PER)は、歴史的には15倍程度が「適正水準」といわれてきた。ところが、日経平均株価が3万円をつけた2月中旬のPERは23倍、3万ドルを超え、史上最高値圏にあるニューヨーク市場のダウ平均株価のPERは30倍を超えている。日本の株価が史上最高値圏にあった1989年末から1990年にかけてのPERは約80倍だったからまだバブルではない、という強弁も聞かれるが、相場を保てない危険領域に入っているのは確かだ。

  ◆ 富裕層には社会主義、残りには資本主義

 長期金利が下がれば、住宅ローン金利などが下がり、恩恵を受ける人々は多い。一方、株価が上がっても恩恵を受けるのは株を持っている富裕層ということになる。株価は景気の指標でもあるため、政治家は株高を歓迎し、株高になるような財政政策や金融政策を遂行したり、押し付けたりしようとする。しかし、株高でほくそ笑むのは富裕層で、庶民はそのおこぼれにあずかるしかない。お金持ちから滴り落ちるお金で貧困層の生活も底上げされるという、トリクルダウン仮説の株式版である。

 パンデミックのさなかに高騰する株式市場を「象が飛んでいる」と評したコラムニストのトーマス・フリードマンは、コロナ禍で仕事や家を失っている人がいる一方で、保有する株の値上がりでさらに豊かになっている富裕層をつくっている政府の政策を「富裕層には社会主義、残りには資本主義」と看破した(ニューヨークタイムズ電子版 1月26日)。

 日本のコロナ対策であるGoToトラベルは、感染が収まりきらないうちに始めたことで感染拡大の要因になったと批判され、感染が再拡大してもなかなか停止できなかったことで、また批判された。しかし、このコロナ対策には、金持ち優遇という批判があったことも忘れてはならない。

 上限額はあるものの、旅行費用が高いほど割引額は大きいため、高級ホテルや旅館に利用客が集まった半面、低価格の宿泊施設への人気は乏しかった。しかも、利用回数に制限はなかったから、旅行する時間とお金のある富裕層(ヴェヴレン風に言えばまさに有閑階級)と、彼らを受け入れる高級宿泊施設がもっとも恩恵に与る仕組みだった。

 そのほうが旅行業界に落ちるお金が多くコロナ対策として効果的だという論理だろうが、この仕組みと同じようなものが、ふるさと納税制度だ。自分の居住する地方自治体以外にふるさと納税として寄付をした場合、その寄付額を地方税から控除できるという仕組みで、さらに寄付をした自治体から寄付額に応じた返礼品を受け取ることができる。

 地方税の納税額が少ない人は、いくら寄付をしても控除額には限りがあるというわけで、これもお金持ちほど有利な税制ということになる。事業経営者の知り合いは、数十万円の返礼品を一律負担額の2,000円で手に入れたと喜んでいた。

 GoToもふるさと納税も菅首相が熱心に後押しした政策といわれているが、株価の上昇を支えたアベノミクスも、後継のスガノミクスも「富裕層に社会主義」になりかねない新自由主義の色彩が濃厚になっている。

  ◆ 密教となった現代貨幣理論

 コロナ対策で、各国は大規模な財政政策を打ち出しているが、その財源は国債であり、その国債を資本市場から買うことで、直接引き受けではないというアリバイを作ってファイナンスしているのは中央銀行だ。政府の債務をこんなにふやして政府の信用は大丈夫だろうか、中央銀行が国債を含む金融商品を買い続けマネーを供給し続けることでバランスシート(貸借対照表)の規模をふやして信用力を保てるだろうか。財務当局や金融当局は、信用の失墜によるハイパーインフレの悪夢を想像しているに違いない。

 それでも、積極的な財政政策や金融緩和を続けるのは、パンデミックという緊急事態に対処するためだが、同時に「まだ大丈夫」という安心感もあるからだろう。その安心感を支えているのが現代貨幣理論(MMT)で、政府と通貨発行権のある中央銀行を一体としてとらえ、インフレが起きない限り、政府は債務をふやしても、中央銀行が通貨発行で手当てをすれば大丈夫という「理論」だ。

 お風呂の水槽に水を入れるようなもので、外から見ると、いくら水を注入しても大丈夫なように見えるが、ある瞬間、水があふれ出すと止まらない。そんなイメージが浮かんでくる考え方で、狐火のような怪しげな理論に見える。しかし、金融や財政の当事者からは「MMTを信じているわけではないが、今のオペレーションを続けてもまだ大丈夫」という声をよく耳にする。信じていないというのは建前で、実際には、信じているからこそ大盤振る舞いの財政・金融政策を続けているとしか思えない。日本を含む先進国の財政・金融当局者は「健全財政」や「通貨の番人」はお題目としては残しながらも、もはやMMTという密教の信徒になっているのではないか。

 あやしげな狐火が本当の火の玉であり、そうだと気づいたときには、森から街に火が燃え広がっている。ベネズエラの中央銀行が発表した2020年の同国内のインフレ率は3,000%だった。すさまじい数字だが、2018年の13万%、2019年の1万%に比べれば、大幅に改善しているともいえる。私たちは、これを南米の怪異現象と見放すことができるのだろうか。「狐の嫁入り」からハイパーインフレに、景気の先を見通すという株価を見ながら、いろいろと思いをめぐらした。

 (経済ジャーナリスト、元朝日新聞論説委員)

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