【コラム】

権力秩序意識

              岡田 充


 健さんか、それともカイサンか? 大ニュースが相次いだとき、ニュースの送り手(編集者)が最も頭を悩ませるのがトップニュース選択。そう、高倉健さんの訃報が全国を駆けめぐった日(11月18日)の夕、安倍チャンが衆院解散を発表した。カイサンは確かに「天下の一大事」かもしれない。しかし安倍チャンの解散宣言は一週間も前から連日のように新聞、テレビが報じてきたから、新味(ニュース)や驚きは皆無。健さんの訃報のような意外性や衝撃力はなかった。

 思わず「天下の一大事」と書いてしまったが、本当に一大事なのかどうか考えてみよう。成長途上の国ならともかくカネ、ヒト、モノが国境を越えて自由に移動するグローバル化した世界では、一国の統治は一国の内政だけでは決められない時代になった。政治がなし得る領域はどんどん狭まっている。第1に税金を使って社会生活と産業の基盤を整備すること。それに安全保障と外交を付け加えねばならない。

 安倍チャンは選挙の争点として「アベノミクス」という「成長戦略」を提示したが、すでに成熟期に入った日本経済にとって「成長戦略」は時代錯誤であろう。1000兆円を超す借金を抱え、なおかつ少子高齢化が進行する中で経済政策の選択肢は限られている。自公政権でも民主党政権でも劇的な政策の違いはない。

 問題は安保・外交だ。政権によって選択の幅が大きい。隣国を敵視して集団的自衛権の行使容認を急ぎ、軍事予算を増やせば、福祉予算を圧迫するのは必定。その意味では、経済政策を制約する要因になる。

 本題に戻る。安倍演説に内容はなかったがNHK、朝日、読売など「デパート・メディア」(よろず屋)は解散をトップニュースにした。その夜「TV朝日」だけが「健さん」をトップに据えたのは見識というものだろう。「お前が編集者だったらどうする?」と問われれば、「健さん」と答える自信はない。なぜか。「政治、経済、外信、社会、文化、運動〜」というピラミッド型の権力秩序意識が深く刷り込まれているからである。日本人ほど自分を国家と重ね合わせる国民はいないといわれる。だがこの権力秩序意識は、社会の実相から大きくズレ始めている。戦後最低の投票率も「むべなるかな」。

 「朝日」(12月10日)が「テレビ『無風』野党痛手」という記事の中で紹介したライバル紙編集者のコメントはそれを物語る。編集者は今回の選挙は投票率が落ち込むといわれているとした上で次のように論評する。「国民が政治を自分の事として考えなければ、国の行く末が危うい」。政治という言葉がいつの間にか、「国」にすり替わる。これこそが編集者に染みついた「権力秩序意識」である。
               (筆者は共同通信客員論説委員)


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