【旅と人と】
母と息子のインド・ブータン「コア」な旅(18)
ここ2回、日本のみなさまに理解しがたい「活仏」=転生上人について回想によって解説させていただきました。…ということで、旅行記の続きに戻ります。ですが、もう少し説明的な話で。
◆金剛阿闍梨との謁見まで…良い旅行代理店に感謝
ブータンの冬は寒い…といこうになっている。しかし、滞在中はダージリンのほうがはるかに寒かった。湿気との関係なのか、自動車移動、室内暖房完備のせいなのか…さほどではなかった、と感じた。
今回、実は旅行会社に出したリクエストは「チベット語がわかるお坊さんのナビゲーターをつけてほしい」というものだった。この日本の旅行会社に依頼する前は、チベット人とブータン人のハーフの女性社長の旅行代理店にその依頼をしていたのだが、彼女はアメリカ留学のスカラシップを取得し、しかも当時のフィアンセ(つまり今の旦那さん)も同じスカラシップに合格していた。そのため、急遽、旅行会社を変更せざるを得なかった。
ネット上で私が旅行代理店を探していることをいくつかの現地の旅行代理店が知り、それぞれいろいろな条件を出してきた。中には「公定料金」より安い算出をしてきたものもある。しかし、私がもっとも希望していた「チベット語がわかるお坊さんのナビゲーターをつけてほしい」に応えられなかった。
日本の旅行代理店に問い合わせた。知り合いだ。すると、彼ではなく、通訳ガイドさんが「ナビゲーターとしてついてくるのではなく、目的地情報に詳しい高僧から情報をいただく謁見をしたらどうか」という意見だった。しかも、その高僧はただものではなかった。ただし、外国人なのでお布施(情報料に近いかな??)高かった。それは無理だと思って友達に相談したら、「(灌頂や人生相談ではない学術的なインフォーマントという)そんな程度だったらルピー払いで普通のお布施の相場でいいと思うわ」と、で、出せそうな金額を言ったら、彼女は「それは現地の人の相場だと思う、それでいいと思うわ」と、いうことで、さまざまな条件も含めて日本の旅行代理店にお願いすることに決めた。
自由な旅行スタイルでフィールドワークや現地飛び込み留学をしてきた、もしくは、紹介状を出してもらって現地での紹介状が紹介状を生み、それによって人が広がっていった留学や旅が私のスタイルだったので、はじめて旅行代理店を通しての旅となった。また現地の人でなく「日本」の代理店というのもはじめての体験だった。日本の代理店はベーシックな手数料だけだったので助かった。インドのビザ申請も他の日本の代理店より安く提示してくださったが、これは自分の確認もあるので、場合によってはかえって高くつく可能性があってもお願いしなかった。
息子はビザ申請のとき「なんで、パキスタンに親戚はいないかとか、最終学歴とか訊かれるんだよ」と驚いていた。これは自分にとって自分を知るいい機会だと母子ともに感じられた。どうでもいいお役所仕事に自分は何者なのかを知らされたのだった。もしも私が英語の教師で「異文化理解」するのであれば、このビザ申請を電子辞書を使って書くという試験問題を出してみたいかなとすら思ったくらいだ。
「ルピー払い」というのは、ブータン・ングルタム(日本では一般的にニュルタム)払いではなく、インド・ルピーという意味だ。一応等価値になっている…1対1。しかし、実態的等価値ではない。日本の旅行書『地球の歩き方』にも、「インドの高額紙幣の持ち込みは禁止」と書かれている。「高額紙幣」がいくらかということがはっきり書かれていないのは意味があるようだが、バックパッカー向けから普通の旅行者向けに方針が変わって久しい「地球の歩き方シリーズ」の事情だろう。で、話しを統合してみて、いわゆる高額紙幣を私と息子それぞれに分けてお布施をお渡しすることにした。
それからチベット仏教で欠かせないカター(祝福用の布[マフラーみたいなもの])はダージリンで購入していた。通訳ガイドさんは、普通の流れならば、カターを買いに行くところからはじまるのだが、「買ってきた」と伝えたので、一般のお客様とは違う私が理解できたようだった。しかし、チベットとブータンでは風習がこまかく違うことを私が知らされることになった。これもまた、ブータンでは珍しいゲルク派(ダライ・ラマ法王の宗派)の元僧侶だった通訳ガイドさんだからこそ、私の戸惑いを理解できたのだろうと思う。さあ!! 金剛阿闍梨との謁見だ。金剛阿闍梨ンガワン・テンジン師は本拠はパロ、寒い冬はプンツォリンの「ワニ園」が近くにある山のふもとにお住まいだ。
「金剛阿闍梨と謁見するからね」と息子に言うと、通訳ガイドさんは知っていたけれど使ったことがない直訳だったのだろう。「…そう、こんごう金剛(=ドルジェ) あじゃり阿闍梨(=ロポン)」…たぶん本などで目での知識があったけれど音声では、はじめてだったのだろう。で、謁見して私はその逆を体験することになった。それは、長年音声ではなく文字でばかりチベット語やゾンカ語に対峙していたので、音声で聴くと翻訳を飛ばして自分の解釈がどんどん先にすすんでいくことに気付くのだった。
言語とは教育関係で4技能「聴く」「話す」「読む」「書く」のそれぞれの能力が必ずしも同じでないとされている。で、一般的には「聴く」「話す」がセットで「読む」「話す」がセットだが、ネット社会によってセットの組み合わせも少し変わってきているとように思う。私の教え子であれば、twitter で国籍不明の日本語「だからさぁ」「知ってる」(「い」落ち)という表現でスラスラ打っているのに、実際にはそんなにペラペラではない、または会話はペラペラでも文章力は口語文ほどではない、かなりアンバランスな子がいた。または、日本語能力試験N2合格しているのに(面接で「話す」を試すという試験はない)会話は驚くほどおかしい。「先生、自行車も鍵落ちた、私、回る、家、できない」→「せんせい、自転車の鍵を落としてしまいした。私は家に帰れません」…中国語を知らない先生だったら、あなたが何を言いたいのか解りませんよ…と。
しかし、その子に言ったようなことを自分もやってしまうようなことになってしまった。
あまりに会話から遠ざかっていた自分は、ダージリンで日常会話の延長は問題なくできていたけれど、精神的な意味を持つ深い言葉に対してはそちらに心が流されてしまったので翻訳できなくなってしまっていたのだった。
…次回は謁見でのこと。息子の上人へのステキな質問とステキな答え。
(筆者は高校時間講師)
※お世話になった日本の旅行代理店:GNHトラベル&サービス http://gnhtravel.com/