【旅と人と】

母と息子のインド・ブータン「コア」な旅(23)

坪野 和子


◆旅の本来の目的「伝説の高僧の足跡」を訪ねる 1【解説】

================================
1.前回の続き 現地目線のブータン政府と日本支援と日本人観光客
================================
 前回と前々回ではブータンで遭遇しした日本人たちの姿を見て切なくなったことを述べさせていただきました。つづきとして、現地目線での日本の支援について言われていたことを簡単に紹介する。
 「一生懸命やってくれている人もいるし、たくさんお金を出してくれているから、とても感謝している。中には技術指導のためだけに来ているだけだとか、指導に来た割に質が低い人もいるけど、私たちのペースを考えていない人や上から目線の人たちよりは良いと思うよ。でもね、前の政府(前政権・初の選挙政権)のときに、土地の役人が得するための支援や儲かっている業種、たとえば旅行業とかに関係ある支援だったりしたのね。私たちは同じ政党ばかりトップにいるのがイヤだから選挙の度に支持政党を変えれば、海外の支援がいろいろな形で回ってくるのではないかと思っているのよね、今の政権の次は別の政党に入れるわ」

 もうひとつ。日本の団体さんが来れば現地の人も儲かるから喜んでくれるだろうと思っている日本人が多いが、実はそうではない。中国人・台湾人・ベトナム人など敬虔な仏教徒たちがお寺に寄進・布施をたくさんしていく。大きな黄金の仏像を建てさせたりもする。日本人のように使うお金がお土産やカラオケ飲食など個人の小さなものではないので、回りまわってみんなが潤うから彼らは大歓迎だ。

 では、ブータン人は日本人が好きではないのが本音なのか、というとそうでもない。特に個人の関係では発想が似ているためか仲が良い。4代国王と日本の皇太子殿下はオックスフォード留学時代から大の親友だ。蛇足だが、4代国王は自ら国王定年制を提案し、憲法にも定め、ご自身で提案した年齢よりはやくその座を息子に譲った。公務はまだ続けている。現天皇陛下が生前退位をほのめかされているが、生前退位がこれだけ騒がれていることにブータン人たちはどう感じているのか?? あとでネットできいてみようかと思っている。

================================
2.【解説】橋を架けた享年128歳の高僧タントン・ギャルポ---
================================
 いきなりだが、クイズめいた質問!! ローマ教皇のPOPEとはどういう意味かご存じだろうか?? なぜこんな質問をしたかというと、日本にいる大学院時代の同級生であるチベット人のお坊さんたちとお茶をしていたとき、この話題を出したら「へぇぇ、そうなんだぁ」とおっしゃったので、意外な…しかし、彼らが納得する意味だからだ。答えは「橋を架ける」だ。
 有史以来、人類は道具を作り、丸木などを使って橋を当然のごとく架けていた。しかし、土木技術の進歩だけでは大きな橋は架けられない。大きく丈夫な橋を架けるとき、指揮するものが必要となる。土木だけでなく人間の環境も自然環境ももちろん景観の美的センスも長けていて、村人が錬金職人、技術者、ヨソモノの多くの人夫を受け入れてもトラブルなく進めるだけの指導力、などすべて兼ね備えるとなると、宗教界の重鎮であることで、誰もが納得がいくということになる。日本では奈良時代は行基、平安時代は空海がこういった指揮を行っていたという史実と伝説がある。その他の国や地域でも宗教者が架けたといわれる橋は多い。

 チベットおよびその周辺地域では、タントン・ギャルポという天才的な高僧がそのほとんどを作ったとされている。タントン・ギャルポ(1361−1485)は、ヒマラヤ地域で橋を架ける事業を行った大成就者としてチベット仏教圏で知られている。インド・チベット・中国(ヒマラヤ各地)を巡り、 寺院および付設医院を建立、鉄の橋を建設した。現在、チベットではそれら橋が人民解放軍に爆破され、なくなっているものも少なくないが、ブータン、ネパールでは修復された形で、あるいはそのままに近い状態で残っている。

 実在の高僧タントン・ギャルポ…日本の弘法大師空海と同じような数々の伝説を持っている。私自身は日本人にこの高僧の説明をするとき「チベットの弘法大師」と言う。チベット人は西洋人に説明するとき「チベットのレオナルド・ダ・ヴィンチ」と説明している。文系・理系・芸術・瞑想(身体)・人徳…すべてにおいて秀でていたと伝記でも伝承でも口伝でもされている。しかし、単なる天才ではなく、数多くの師匠の許で学び、人生の半分は修業の日々となっている。母親の死によって隠遁生活を送り、瞑想を続けた。観音菩薩より「たくさんの地に橋をかけよ」という預言を授かった。タントン・ギャルポは製鉄や青銅鋳造技術、建築を学び、ヒマラヤチベット仏教圏で寺院・橋をつくった。ブータンには鉄の原材料を求めてパロ谷へ遊行し、多くの橋や足跡を残した。

 私が彼に興味を持ったのは、チベット歌劇アチェ・ラモの創始者であることだ。橋梁を架けるために必要な寄進を得るためにチャリティコンサートを催していた。
 つまり、橋をつくるための資金を地元から得るため、仏教説話に基づいた歌劇を創作し上演することで、布教活動とともに地元の人たちと楽しめるイベントによって橋を架ける必然性を意識づけた。この劇団は美少女姉妹をスカウトしたことからはじまった。宝塚や松竹歌劇団のようなものだったのであろう。さまざまな地方の音楽や舞踊を吸収し、また姉妹たちが男子劇団との接触で結婚し、男女混合の劇団として発展していった。チベット文化圏の音楽芸術を知るカギだろうと思ったので、大学院院生時代からどうしてもこだわり続けたこの高僧の足跡である。

 彼の人生だが、伝承によって異なるが、ほとんどが100歳を超えている。数えで108歳または125歳、128歳である。西洋人・中国人学者らが干支の読み違いとして推測した計算では78歳がもっとも短命である。ブータンのみの伝説として「息子」が存在する。二代目タントン・ギャルポが存在するのであれば、一般的な寿命として納得できそうである。

 また、あれもこれもタントン・ギャルポの業績であるということで、辻褄を合わせるために長寿にしたという一般的な常識で伝説を否定することで、とても学術的な研究とみなされるだろうと思う。だが、私としては、まず、伝説を信じてみて、文献だけで判断するのではなく、フィールドワークで真相をあきらかにしたいと考えている。なぜなら、例えば哲学専門の大学生がある学説が正しいという前提で何かを講読し、そこから賛成か反対を決めて卒論を書いているはずだ。それと同じく嘘くさい伝説を信じることから出発して細かい修正をしていくことで真相が明らかになると考えているからだ。また、今回の旅で出逢った「現役で仕事をする老人たち」がいらっしゃった。先駆者であるイタリア人チベット研究者トゥッチもまた、この伝説を信じることを前提で論文・書籍を記している。

[自己ブログ]
 さらに、現在、世界の長寿国日本の場合。日本人の100歳以上の人口は5万8千人を超えています。いや、5万9千人に近いです。6万人を超えるのは先のことではないと考えます。

[厚生労働省 老健局高齢者支援課 PDF]
 http://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-12304250-Roukenkyoku-Koureishashienka/0000057762.pdf

 伝記や伝承によれば、タントン・ギャルポが橋を架けたことによって、このような奇跡が起きたと伝えられている。実は、奇跡ではない。
 落雷が落ちても山火事の被害が小さくおさまった。大雨が降っても、村に大洪水が起きず、むしろ農作物が育っていった。などなど。
 橋を架けた…治水学に基づいてのことなので、「水の分配」「ステークホルダー」…吊り橋を作ったので、水道橋を作ったのではないが、地下水道を築いたのではないかと。
 彼の奇跡は奇跡ではなく、科学的根拠によって、まるで奇跡のように伝えられたのだろうと。
 …息子は、私が追っている高僧の仏画(神や仏とみなされている)を見て言った。
 「めっちゃ怪しい爺ちゃんだよな。しかも、ただものでなく」現世で偉業を成し遂げ、悟りの世界、本当の意味での仏となった人。右手に知性の象徴、左手は鉄の鎖(橋の鎖)。

 次回もブータン。

 (筆者は高校日本語コミュニケーションアドバイザー&専門学校時間講師)


最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧