【海峡両岸論】

民主の「魔力」に寄りかかる危うさ ~「自己正当化バイアス」で曇る目

岡田 充

 2年ぶりに対面で開かれた先進7カ国首脳会議(G7サミット6月11~13日・写真)は、米中関係を「民主主義vs専制主義」と見なすバイデン米大統領の主導で、「専制中国」に対抗して民主主義国家が団結する構図を演出した。日本メディアや識者もその対立軸に飛びつき、中国を「専制」代表の「ヒール(悪役)」として描く。専制に比べ「民主」とはなんと心地よく耳に響き、正義と善に満ちた言葉だろう。ほとんどユートピア(理想郷)の代名詞のように使われ、抗い難い「魔力」すらある。だが「民主vs専制」から世界を切り取る乱暴な二元論は、自分は常に正しく他者は誤りと見なす「自己正当化バイアス」を駆り立て、目を曇らせる危うさに満ちている。

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  円卓で協議する首脳~「G7UK」HPより

 ◆ G7は斜陽クラブに

 G7首脳会議を振り返る。首脳声明は、台湾情勢をはじめ香港、新疆ウイグル問題で初めて中国を名指し批判し、自由と人権への尊重を求める文言を盛り込んだ。メディアは「G7『民主主義団結』鮮明 対中国、宣言に『台湾海峡の安定』」[注1]などと、中国に対する「ネガティブ・キャンペーン」によって、G7が団結する構図を描いた。

 一方、新型コロナ感染が止まらない世界へのポジティブなメッセージとして ①2022年にかけ10億回分のワクチン供与 ②途上国へのインフラ投資―を打ち出した。だがワクチン供与は、中国の「ワクチン外交」に対抗する思惑がむき出しだし、インフラ投資に至っては中国の「一帯一路」の後追いに過ぎない。
 日米はじめ先進7カ国が束になってかからないと、中国に対抗できないのかという印象は拭えない。しかも二つの政策のG7の資金配分は不明であり、実効性には疑問符がつく。1973年のオイルショックを機に、世界資本主義の「金持ちクラブ」としてスタートしたG7は今や、中国の政治・経済力を前に「斜陽クラブ」と化したかのようだ。

 ◆ 激論招いた対中批判

 肝心の対中批判もすんなり決まったわけではない。マクロン・フランス大統領が記者会見で「G7は中国敵対クラブではない」と明言したように、「戦略的自律」を重視するフランス、ドイツやイタリアは当初、台湾問題の宣言盛り込みには消極的だった。
 「外交」に関する90分の討議(12日)は激論となり[注2]、盗聴を警戒して全ての電話線と Wi-Fi を切断して、「密室」の中で議論は展開された。当初は中国名指し批判に消極的だったジョンソン英首相も、閉幕間際になりようやく日米強硬論に与したとされる。

 さて菅義偉首相のポジションはどうだったか。菅の主要な関心は、東京五輪への支持を取り付け、それを武器に五輪を強硬開催し、政権浮揚を図ることにあった。対中問題で首脳対立が表面化すると、菅はメルケル・ドイツ首相らと個別会談し説得工作に当たった。
 日本外交筋は「日米が役割分担した」と述べており、菅はバイデンの「お使い役」を果たしたようだ。自民党の派閥抗争を経験してきた菅にとって「多数派工作」は、お得意の世界だったのかもしれない。

 首脳宣言ではまとまったが、対中政策で日米と独仏など欧州勢との溝は埋まったわけではない。今回のサミットを「対中同盟」にしようとしたバイデンの思惑は「道半ば」に終わったとみるべきであろう。
 20年米大統領選で指名を争った民主党左派のサンダース上院議員は[注3]、バイデンの「対中新冷戦政策」を批判し「民主主義が勝とうとするなら、権威主義より実際にもっと良い生活の質を人々に提供できることを実証すべき」と主張。中国との直接対話と、地球温暖化やコロナ対策などグローバル課題での協力の必要性を強調した。

 ◆ 新自由主義から国家資本主義へ

 サミットは、イギリス南西部の保養地コーンウォール(写真)で行われた。そこで、今回のサミットを、新自由主義経済を広める1980年代の「ワシントン・コンセンサス」と決別し、経済への国家関与を強化するパラダイム転換を意味する「コーンウォール・コンセンサス」と名付けた報道[注4]もあった。

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  コーンウォールでの撮影風景~「G7UK」HPより

 バイデンは「米国救済計画」「米国雇用計画」などとして、国内総生産(GDP)の約3割に相当する6兆ドル(約650兆円)もの資金を注入し、コロナ対策からインフラ整備、脱炭素化や製造業の振興まで、国家が経済に介入、けん引する「国家資本主義経済」に転換しつつある。そうしなければ、中国に対抗できないのだ。

 世界の所得分配や格差に詳しい経済学者のブランコ・ミラノビッチ氏は、社会主義の看板を掲げながら事実上の「国家資本主義」によって成長を遂げた中国と、米国を並べ、「二つの資本主義」[注5]が世界を覆っているとみる。日米欧の資本主義を「リベラル資本主義」と名付ける彼は、「固定化された超富裕層の出現と格差の拡大は、(リベラル資本主義の)長期的存在を揺るがす脅威になっている」とし、その是正に失敗すればリベラル資本主義は、中国型の「政治資本主義」に近づくとみる。その差は「皮一枚」というのだ。

 サミットは、課税逃れのルール強化のため法人税の最低税率を15%とするのを承認した。これも新自由主義との決別の別表現だ。中国は新自由主義の担い手である巨大IT企業「アリババ」を独禁法違反容疑で締め上げ、同時にデジタル人民元導入を急いでいる。
 一方、バイデン政権もグーグルやアップルなど「GAFA」規制に乗り出した。米中同時に起きている動きは偶然ではない。コロナ禍が世界を覆う中、国家の復権がより鮮明になった証でもある。米中両国は対立をよそに「下部構造」では接近しているのである。

 ◆ 絶対定義とモノサシはない

 本題の民主に移る。民主を構成する理念は、日本では憲法が保障する言論・表現の自由、人権、法の支配など、社会生活上極めて大事な諸権利だ。権力者がこれらを踏みにじれば、これを盾に戦える貴重なツールでもある。
 しかしこれらの諸権利には、絶対的定義やモノサシがあるわけではないから、「普遍性」があるとは言えない。「専制」と非難される中国も、憲法や共産党規約で「民主」をうたい、上記の諸権利の保障を定める。民主とは、統治(ガバナンス)の到達目標ではない。統治の在り方は、それぞれの国の国家目標をはじめ、歴史、習慣と社会制度、言語、宗教など文化的特殊性を色濃く反映する。民主も専制も決して一律ではなく、様々なグラデーション(濃淡)がある。

 ブルガリアの政治学者イワン・クラステフ[注6]は、「バイデンは『民主主義』の定義を決められない」と題する論考で、インド、トルコ、ハンガリーを例に、独裁政権の多くは選挙を経て誕生したと指摘。バイデン政権は、世界に民主主義を取り戻すことと、中ロ封じ込めとを分けるべきだと主張している。民主は「トーチ(聖火)」にはならないというのだ。

 宗教的規律や理念が「民主的諸権利」に勝る国は多い。「民主の総本山」のように見られる米国も「神か悪魔か」の一神教的二元論が、思考の根底に流れていると思う。「民主か専制か」という対抗軸も、その亜種であろう。
 「民主か専制か」の二元論は「米国か中国か」という思考の「落とし穴」[注7]に誘いこむ。そもそも、複雑な相互依存で成立する国際政治の中で二択を迫ること自体に無理があり、誤った設問と言うべきだ。しかし米中関係について議論する会議やシンポジウムに参加すると、発言者の多くが、いつしか「米国か中国か」の二択思考の中で議論していることに気付かされる。

 ◆ 贔屓の引き倒し

 「民主」が、欧米や日本では絶対善と正義の代名詞になっているからこそ、人権外交は政治的宣伝効果を発揮できるのだ。バイデン政権登場以来、東アジアでは米中対立のホットスポットとして台湾が浮上し、メディアは「台湾有事」が切迫しているという危機感を煽り続けている。
 「専制」中国の圧力にさらされる台湾を「民主」の代表として贔屓(ひいき)したばかりに、「贔屓の引き倒し」になった例を挙げよう。

 台湾がコロナ感染を抑え込み「優等生」と言われた昨年5月、朝日新聞[注8]は社説で、中国政府が人々の行動の自由を奪い、言論統制しながら強制的なロックダウン(都市封鎖)をしたのに対し、台湾は丁寧な「記者会見やITの駆使により、政策の全体像、目的を社会全体で共有するよう努めた」と対照的に紹介。「こうした民主的な手法が市民の自立的な行動につながった」と書き、民主こそコロナ抑制の理由と絶賛した(写真)。

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 記者会見する陳時中・衛生福利部長~台湾衛生福利部HPより

 それから1年、この5月台湾で感染が広がり、当局は学校をすべて閉鎖、5人以上の集まりを禁止し、娯楽施設の休業を命じる「都市封鎖」に追い込まれた。「民主」に成功の理由を求めた社説の論拠は、事実によって裏切られた。感染症対策を、科学的視点からではなくイデオロギーの違いに求め、「民主」という魔力を持つ言葉に寄りかかった錯誤である。

 ◆ 価値観外交のアクセサリー

 もう一つ例を挙げる。元陸上自衛隊幹部[注9]は「南西の島々どう守るか」と題するインタビュー記事で、台湾を「日本と同じ自由と民主主義、法の支配の下で生活しており、台湾の有事は我がことと考えざるを得ません」と述べ、「台湾有事は日本有事」とみる理由として「民主」を挙げた。これと同様の論理は、台湾に同情的な多くの識者やメディアが共有している。

 では台湾が、国民党独裁時代に日本が「中華民国」を承認し支援した理由は何だったのか。台湾がもし今も「専制」下にあれば支援しないのだろうか。日米両国にとって台湾の重要性の一つは、中国を抑え込む地政学上のカードとして有用だからである。多くの台湾友人には申し訳ないが、それは冷戦期も現在も変わりない「国家の論理」である。ここでの「民主」とは、「価値観外交」を展開するためのアクセサリーにすぎない。

 先に引用したミラノビッチは「民主vs専制」の対抗軸について「価値観を巡る対立は本質ではない。(米ソ冷戦は)まさにイデオロギーを巡る闘争でした。しかし、中国は強国になりたいだけです。米中の本質的価値観は同じ」と述べている。

 筆者は、中国が台湾に武力行使しない3つの理由を挙げた記事を書いたことがある[注10]。台湾有事を煽ってきたバイデン政権だが、米軍制服組トップのミリー統合参謀本部議長[注11]は6月17日の上院公聴会で、「中国には現時点で(武力統一するという)意図や動機もほとんどないし、理由もない」と述べ、「近い将来(武力統一が)起きる可能性は低い」と証言した。
 台湾有事論は、ピークアウトしたと思うのだが、依然としてそれを煽り続けるメディアや識者は後を絶たない。しかも「民主」と「専制」のアクセサリーを、両岸のそれぞれに纏わせて。民主の魔力とはかくも強く、簡単にはとけないのである。

 (本稿は「東洋経済 Online」に掲載した拙稿「『民主』に寄りかかって国際政治を図る危うさ」<https://toyokeizai.net/articles/-/436175> を大幅に加筆した内容です。)

[注1]「G7『民主主義団結』鮮明 対中国 宣言に『台湾海峡の安定』(「朝日」6月14日夕刊)
 (https://digital.asahi.com/articles/DA3S14938845.html
[注2]「G-7 leaders fighting on 2 fronts here's no escaping Brexit and Beijing in Britain」(「POLITICO」2021年6月12日)
 (https://www.politico.com/news/2021/06/12/g7-leaders-fighting-brexit-beijing-china-493634
[注3]Bernie Sanders「Washington’s Dangerous New Consensus on China Don’t Start Another Cold War」(「ForeignAffairs」June 17, 2021)
  Bernie Sanders: Don’t Start a New Cold War With China (foreignaffairs.com)
[注4]ジリアン・テット「FINANCIAL TIMES G7提言 思想の変化映す」(「日経」2021年6月17日)
 (https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB145HS0U1A610C2000000/
[注5]「(インタビュー)二つの資本主義の行方 経済学者、ブランコ・ミラノビッチさん」(「朝日新聞」2021年6月18日)
 (https://digital.asahi.com/articles/DA3S14942739.html
[注6]Ivan Krastev 「Biden can’t decide what counts as a‘democracy’」(NY TIMES 2021年5月12日))
 (https://www.nytimes.com/2021/05/12/opinion/biden-democracy-alliance.html
[注7]岡田充「米中新冷戦の落とし穴:抜け出せない思考トリック」(花伝社 2021年1月25日)
 (https://kadensha.thebase.in/items/37894340
[注8]「コロナと台湾 民主の成功に学びたい」(「朝日」社説2020年5月25日)
 (https://digital.asahi.com/articles/DA3S14487802.html
[注9]「(インタビュー)南西の島々どう守るか 元陸将・番匠幸一郎さん」(「朝日」2021年6月11日)
 (https://digital.asahi.com/articles/DA3S14935588.html
[注10]岡田充「中国が台湾に武力行使をしない3つの理由」(東洋経済ONLINE 2021年5月21日)
 (https://toyokeizai.net/articles/-/429538
[注11]米制服組トップ、中国の台湾武力統一「まだ道のり長い」(「朝日」2021年6月19日)
 (https://digital.asahi.com/articles/ASP6L75X2P6LUHBI00M.html

 (共同通信客員論説委員)

※この記事は著者の許諾を得て「海峡両岸論」128号(2021/07/04発行)から転載したものですが文責は『オルタ広場』編集部にあります。
                            (2021.07.20)
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