【永田町余話】

民進党に欠ける「義と情」

菱山 郁朗


◆ 1 蓮舫新体制、波乱の船出

 民進党の蓮舫新執行部体制が9月21日にスタートして二カ月を迎える。四年前の政権下野の「戦犯」と呼ばれたこともある野田佳彦前首相を幹事長に起用したことに、党内から白けムードと不満が噴出、両院議員総会は大量の欠席者が出るなど波乱の船出となった。
 その両院議員総会が開かれた同じ時間帯に、大阪の読売テレビ制作の人気トークバラエティ番組「そこまで言って委員会」の収録スタジオに、菅直人元首相、原口一博元総務相、福山哲郎元官房副長官ら八人の民主党議員が顔を揃えていた。パネリストの一人から「冷や飯組の皆さんです」と皮肉られても満面に笑みを浮かべて、蓮舫代表の二重国籍問題への辛口質問に答える姿は、東京でもネット動画で見ることが出来る。「二重国籍は問題あり」と突き放す議員の言葉には、選ばれたばかりの新代表を支えて行く忠誠心や、惻隠の情のようなものは、全く見受けられない。自由にモノが言える党風は、民進党の美点と言われることもあるが、テレビカメラの前では、自ずから限度があって然るべきだろう。
 同番組は関東と東北地方の一部では放送されていないが、高視聴率を誇る人気番組で安倍晋三首相も出演したことがある。出演した八人は委任状を提出した上での覚悟のテレビ出演だと説明するが、新体制発足直後の重要な時に、党務よりもテレビ局を優先させたことには、違和感を持つ視聴者もいたはずだ。もっともこの両院総会は、野田の幹事長起用など人事の調整がもたついて前日の午後に設定されたため、慌てて出演を辞退する有力議員もいて出演交渉に当たった番組担当者は、八人を集めるのに一苦労したという。

◆ 2 故加藤紘一葬儀への民進党の対応

 蓮舫新代表を選出する代表選を兼ねた党大会が開かれた日と同じ9月15日の正午から、東京・青山斎場では、故加藤紘一元自民党幹事長の自民党・加藤家合同の葬儀が営まれていた。一時は「総理の座に最も近い政治家」と言われながら「加藤の乱」で躓き、すでに政界を引退していたが、加藤は「自民党良識派、リベラル派の重鎮」として、その存在感は大きかった。共産党は志位一夫委員長、自由党も小沢一郎党首と野党のトップが列席する中、民進党は党を代表して辻元清美役員室長が駆けつけて花を捧げた。午後一時から代表選という重要な党大会を控えて、参列する余裕などはないという事情はよく分かるが、せめて三役の一人ぐらいは、葬列に顔を出してもよかったのではないか。
 長期政権を狙う安倍晋三首相が独走し、自民党のリベラル勢力が衰退している現状で、加藤と波長の合う政治家はいないのか、加藤の遺したものを活用する手立てはないのか。多少うがった見方かも知れないが、民進党に礼節の欠如=浮世の義理への「素っ気なさ」と、加藤レガシーを生かし切れない「政治センスの乏しさ」のようなものを感じた。

◆ 3 社会党の元幹部の行動と「構造改革論」抗争の傷跡

 蓮舫新体制人事を決める二度目の両院議員総会は21日に開かれたが、この総会も人事への不満が燻っていたことや、バタバタと前日に設定されたため何と半数以上の議員が欠席、党内の亀裂の深さを印象づけた。野田幹事長とその主導人事に反発した赤松広隆元衆院副議長は、常任顧問への就任を固辞した上で総会も欠席した。赤松は社会党の元書記長で明るく気さくな好漢だが、同様の行動を執った前原誠司元外相共々「重鎮としての自覚を欠いた行動だ」との批判の声もあった。その父勇はかつて社会党委員長佐々木更三を支えた、派閥のナンバー2で副委員長、選対委員長などを歴任し、温厚・気さくで老練な闘士の風格があった。
 60年安保闘争の後、社会党は、「所得倍増」の池田勇人政権への対抗軸として江田五月の父三郎が、革新の新しい旗「構造改革論」を掲げて党に路線の転換を迫った。これに立ちはだかったのが佐々木で、佐々木VS江田の二人の派閥領袖の対立は、党を二分する激しい論争・抗争を巻き起こした。党改革が進まない社会党に絶望した江田は、野党再編を目指して離党に踏み切るが、間もなく志半ばで斃れる。その後社会党は、最左派「社会主義協会」を巡る左右両派の激しい抗争へと続き、不毛な党内抗争にエネルギーを費やして行く。土井たか子のマドンナブームや村山富市委員長首班の自社さ連立政権で脚光を浴びるも国民の支持を失い、社民党と旧民主党へと分裂した。自民党は派閥間の激しい権力抗争をくり返しながらも、最終的には水と氷のようにやがては解けて融合するが、社会党は、水と油が混在した「二本社会党」と揶揄されていた。

◆ 4 三人を偲ぶ会と「義と情の会」

 東京に木枯らし一号が吹き、米国からトランプ新大統領誕生という仰天ニュースが飛び込んだ翌日の11月10日の夜、東京・青山の小さなカフェレストランで、かつて社会党の顔として活躍し、存在感のあった三人の政治家、田英夫・楢崎弥之助・土井たか子を偲ぶ、ささやかな懇親会が開かれた。田の元秘書相沢進一、土井の盟友で元秘書の五島昌子、元社民連事務局長多田俊三、赤坂の名物ワインスナック「ロマネ」のママ伊藤圭子、レストランオーナーの東美和子ら有志が呼びかけたもので、その原点はかつて楢崎が提唱して発足した「義と情の会」にある。2003年(平成15年)のことで、結成趣意書には、「これまでの人生で、一体、「お前は何を得たか」と問われたら、何の“ためらい”もなく即座に、それは「良き先輩」、素晴らしい仲間にめぐり会えたことです」と答えうる人の集いの会を作ってはと考えました。“なりわい”に関係なく、党派の違いを越え、先行きの分からない暗い今の世の中で、「義のあるところ火をも踏む」気概を失わず、ほのぼのとあたたかい「義と情」で結ばれた友の集いが出来たらと願ってのことです」とある。いかにも熱血九州男児の楢崎らしい発想だ。
 三人を偲ぶ会には現・元議員秘書、党関係者、現・元ジャーナリストや友人ら16人が出席、旧交を温めながら故人の遺徳を偲び、懐かしい話に花を咲かせて再会を誓い合った。社会党の小さな灯がほんのりと点った一時であった。民進党関係の出席予定者は、TPP国会紛糾の余波で欠席した。
 なおこの会には、当初、引退した江田五月前参院議員を「労う会」をセットで
盛り込む計画があったが、本人が都合により欠席することとなったため、表題
の通りとなった。楢崎の長男で元衆院議員の欣弥とともに江田のメッセージが
読み上げられた。

◆ 5 民進党と「人の心」

 戦後政治において社会党は、革新勢力の主軸として歴史的な使命を果たし、大きな功績を残した。だが、党内に「万年野党的体質」、「労組依存体質」、「イデオロギー対立」などを抱え、自社さ政権で一時は政権に就いたものの結局分裂・衰退して行った。その悪しきDNAを引きずっていたとは言いたくはないが、三年余政権を担当した民主党も、寄り合い所帯故の宿命もあってか、議論百出で意見集約に手間取り、内ゲバをくり返して分裂した揚句に自滅を招いた。
 生き馬の目を抜く権謀術数と欲望の渦巻く永田町は、「権力闘争」という名の“仁義なき戦い”がくり広げられる冷酷・非情な世界である。世代交代やネット社会の到来もあり、今さら「義と情」など甘ったるい綺麗事が、まかり通る時代ではないことは、十分承知している。それでも政治は、コミュニケーションや人間関係が最も重要な要素であることに変わりはない。世界に目を転じれば、ナショナリズムや宗教的対立を背景に、民族・領土・資源などを巡って戦争をくり返すのが、その歴史であることも事実だ。だが、ただの「権力闘争」ではなく、平和と繁栄、国家・国民に安寧・発展をもたらす大きな責任と役割を背負っており、「最高の道徳」、「可能性の芸術」とも言われる。

 民進党には代表選に出馬した若手の玉木雄一郎のように、この党に大切なのは、「G(義理)N(人情)N(浪花節)だ!」と公言する政治家もいる。だが、蓮舫新体制発足からこの二か月間の民進党の動向を見ていて感じるのは、愛党・融和の精神や団結心・忠誠心、友情・仲間意識といった政党人として当然持ち合わせるべき「人の心」が、およそ欠けているのではないかということだ。最早「お家芸」と言われる党内抗争にエネルギーを費やす時間などないはずだし、そんな民進党に国民はうんざりしている。民進党にはもっと「義と情」を重んじる、心のこもった政治を心がけて貰いたい。

 (日本大学文理学部客員教授・元日本テレビ政治部長)


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