【コラム】技術者の視点(18)

民間事故調その後
―船橋プログラムディレクターに聴く―

荒川 文生


<民間事故調>

 福島原発事故から6年半、当時相次いで発表された事故調査報告書のうち、「民間事故調」を企画・推進された船橋洋一プログラムディレクターのところに、科学技術ジャーナリスト会議の福島事故「再検証委員会」の委員8名が、その後の状況を踏まえご所見を伺いに参上しました。

 「民間事故調は、合衆国における事故調査の実績を参考にして『真実、独立、世界』をモットーに、『ネバー アゲイン』の教訓を学ぶことを目的として、公共政策の遂行と政府のパフォーマンスの検証と評価を民間の立場で行った」と言うのが、船橋さんの基本的な想いでした。その結果として、他の報告書に比べ極めて特色のあるものが作成されました。

◆ 1.グローバル コンテクスト

 先ず第一の特色は、広くて深い国際的な視点と分析です。文章表現としてはカタカナ英語が多く、その意味を的確に理解することは容易ではないのですが、原子力発電所の事故を複雑な国際情勢の中に位置づけると言う「グローバル コンテクスト」は、国際派である船橋さんならではの視点といえましょう。その分析の基盤は、具体的には、日米原子力協定にあります。

 第二次世界大戦の英雄としての名声を背景に合衆国大統領となったアイゼンハウアーが、国連総会で行った「原子力平和利用」を推進すべきとの演説が、合衆国の核戦略をオブラートに包み、世界各国の産業政策の中にそれを組み込むものであったにも拘らず、その裏を見抜けなかった日本のジャーナリズムはその演説を持て囃し、原子力発電がその後の「高度経済成長」を推進するエネルギー源となったこともあって、日本の原子力は「安全神話」の下にひたすら開発の一途をたどり、そのリスク管理は全くと言ってよいほど蔑ろにされて来ました。

 民間事故調はこのような事態への批判を踏まえ、その教訓の中から未来へ向けた「復元力」を得ようとしています。事故の重大性が国際的な広がりを持っていることから、民間事故調は「日米調整会合」の例をあげつつ、それが幾多の欠陥を克服しながら事故に対応し、何とか「日米同盟」が維持されたと指摘しています。しかもなお、それらの欠陥を国際的な枠組みの中で補正してゆくことが、「復元力」の重要な要素であることも指摘しています。

◆ 2.第二の敗戦

 第二の特色は、日本が国際戦略の欠如から太平洋戦争の敗戦を迎えたことへの反省が、全くと言ってよいほどなされていないことへの厳しい批判です。民間事故調の報告書を裏付けるかの如く上梓された『原発敗戦 危機のリーダーシップとは』(文春新書、#956、2014年2月、284p.)という、如何にも船橋さんらしさが横溢する書物にそれを観る事が出来ます。日本記者クラブが主催した民間事故調報告書発表記者会見が「『福島原発事故』に学ぶ危機管理とガバナンス」を掲げていたことにも、この問題意識が強く表れています。

 船橋さんは『原発敗戦』の「はじめに」で、「福島事故は日本の『第二の敗戦』だった。私たちは、福島原発事故とその悲惨な結果を敢えて敗戦と見なす事から再出発すべきなのだ。」と述べておられます。「第二の敗戦」と言う言葉は、かつて、江藤 淳が異なるコンテクストで用いていたことから誤解されかねない用語ではありますが、強いてそこに共通性を求めるとすると、「第一の敗戦」も「第二の敗戦」も共に合衆国の核戦略が齎したものであり、その結果は、共に倭(やまと)の民草が二千年の時を懸けて築きあげてきた歴史的かつ文化的伝統を破壊していると言う事ではないでしょうか? それは庶民も貴族も夫々の持ち味を活かして生活する多様な社会構成であり、自然の災害と闘うことなく、「三十六計逃げるに如かず」で自らの命を守る事であります。

 勿論この生き様が近代社会の複雑な国際情勢の中で「戦略」たり得るとは、流石に言えないかもしれません。船橋さんは、ここで何とアイゼンハウアーの言葉を持ち出します。曰く、「戦闘において、プランは全く役に立たない。しかし、プランニングは不可欠である。」そうしたうえで、船橋さん曰く、「日本人ほどプランをつくることに熱心なのに、プランニングは苦手と言う国民も珍しいのではないか。」(『原発敗戦』、P151.)――では、如何したら良いのか?

 『原発敗戦』の第四章には、『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』を共著された一橋大学名誉教授の野中郁次郎氏との対談が含まれています。そこで危機管理とガバナンスに関連し、「チャーチルほど将来のことを当てた人はいない」と言う評価が紹介され、その方法論は“Study History”という二つの言葉で表現されるとしています。戦闘や事故処理と言った危機管理の現場では状況が絶えず変化し、その中で、何を為すべきかを即断して事に当たる訳で、その答えは必ずしも論理的ではありえないのです。その答えは、観念や分析に拠るものと言うよりは試行錯誤の繰り返しの中で得られるものなので、いわば帰納的な現場主義と言えます。それだけでは全体の状況判断が難しく、大局的な理想に至る演繹的な道程と大きくかけ離れて行きます。この過ちを避ける途が「理想主義的なプラグマティズム(実用主義)」で、これこそリーダーシップに於いて重要だと野中先生が述べておられます。(『原発敗戦』、P238.)

 「歴史に学ぶ」と言うのは、過去に実用された手段の中から理想実現の道となったものを見出して、それを直面する現実に適用すると言う事なのでしょう。

◆ 3.本音は何処に?

 事前に質問事項をお届けしてあったとは言え、取材慣れした「再検証委員会」の委員が次々と繰り出す厳しい質問に、即座にあるいはちょっと間をおいて、淡々とお答えになる船橋さんに対し、一部が期待していた「挑発に乗って洩らされる本音」は、どうやら得られず仕舞いであったようです。

 『原発敗戦』のような厳しい責任追及をなさるいっぽうで、菅総理をはじめ電力会社首脳などの責任を個人的に追及する様子は、インタヴューのあいだに微塵も感じさせるところがありませんでした。例えば、民間事故調報告書発表記者会見に唯一の科学技術者として列席された山地憲治氏が、「パンドラの箱を開けた者には、それを閉じる責任がある。」と述べられたことの意味をどの様に捉えておられるのだろうかと言う質問に対し、些かご記憶を確かめる風情でした。そこでインタヴューを補佐しておられた北澤 桂さんが、会見の記録をその場でお示しになりました。

 会見の記録と質問者の記憶との間には、微妙なニュアンスの違いがありましたが、それから「責任」と言う機微に触れる問題に就き、船橋さんを含む関係者が問題を慎重に扱おうとしていることが読み取れます。唯一、現場の原子力保安委員が真っ先に撤退しようとしたことに対しては、「現場で頬被りをした半面、組織的責任の生贄とされた」と怒りと同情が綯い交ぜとなったようなご発言を残されました。ただ、新聞記者として「現場」の何たるかを身に染みて経験されたことから、事故に対応した吉田所長を初めとする「現場」を守る人々への想いは、お言葉の端々に滲み出ておりました。後に上梓された『吉田昌郎の遺言』(日本再建イニシアティブ、2015年2月、174p.)にもその想いは籠められております。

 もう一つ、語られるべくして語られなかった「本音」として、日米同盟の問題があります。日本の「第一の敗戦」も「第二の敗戦」も、その相手国は合衆国でしたが、戦勝国との同盟が実はそれへの隷従であったことが、今やいろいろな側面でその覆いが剥がれて顕在化しつつあるように思われます。例えば、合衆国で経済的に立ち行かなくなった原子力産業の後始末が日本に押し付けられ、日本経済の中核的存在であった企業がその存亡の危機に見舞われました。こうした状況のもと、2018年に改訂期を迎えている日米原子力協定が、福島原発事故の教訓の中から未来へ向けた「復元力」の重要な要素となり得るものかどうか、残念ながら、これへの言及は為されませんでした。

 今や日本は、厳しい国際情勢の中で、その立ち位置を問われています。これまで世界に冠たる覇権国として「唯我独尊」の地位を保ってきた合衆国が、今その位置を失いつつ苦悶しているかの如くですが、これに対し私たちが提示すべきグローバル コンテクストとは、日米同盟を超えた国際的枠組みであるべきではないでしょうか?

  初日の出倭(やまと)の輝き今いずこ  (青史)

 (地球技術研究所 代表)

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