【コラム】海外論潮短評(91)
気候変動による海水位上昇と暴風雨で直撃を受けた「環境難民」
地球温暖化とそれに伴う気候変動は、それに直接の責任を負わない弱者をまず直撃している。彼らの声はあまりにも小さく、国際社会の注目を浴びることが無い。アメリカの国際問題専門誌『フォーリン・ポリシー』1/2月号が「名もなき難民たち」としてこの問題についてレポートを掲載している。
筆者のケネス・ワイスは顕著な功績のあるジャーナリストに与えられる「ピューリツァー賞」受賞者で、科学、環境、公衆衛生の分野の報道で活躍している。彼のレポートの基になった調査は、「危機報道ピューリツァー・センター」の資金供与を受けている。以下は同報告の掻い摘んだ紹介。
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地球温暖化要因に無関係な人々がまず犠牲者に
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キリバスに住むイオーネ・テヨウタは4年前まで地球温暖化について聞いたこともなかった。今日、彼は気候変動によって家を奪われ、土地を失った難民になったが、その存在は無視されたままである。温暖な南太平洋の島から寒冷なニュージーランドに移住した彼は、輸出用白菜栽培農園で毎日8時間以上働いている。
彼の生まれ育ったタビトウア環礁は、キリバス共和国に属する33の小さな島の一つである。これらの島は、南太平洋の真ん中に135万平方マイルにわたって散在している。その地表面積を合計してもミズーリ州カンザス市相当の規模にすぎない。これらの環礁は何億年も前の海底火山活動によってできたものである。海水位が上昇し、休火山はそれ自体の重みで沈下したが、サンゴがそのうえに増殖、砂州が形成された。
海抜約90メートルの高地のあるバナバ島を除くと、他の島は海に浮かぶ森のように見える。イギリスが燐鉱石を80年にわたり採取したのち、このバナバ島は地表が削られたままで放置されている。同島と近隣の他の島々が、キリバスとして1979年に独立した。珊瑚礁に囲まれた潟湖がアクアマリーン色に輝いているほかには、島の周囲は潮流に洗われて砂浜がほとんどない。
ハワイとオーストラリアの中間に位置する赤道直下のキリバスは人口増加のために前世紀半ばより地下の真水が枯渇気味で、漁獲高も減少している。降雨が少ないと、地下水は黒ずんでしまい、飲料水として利用不適となる。
キリバス総人口11万人の約半分が首都のあるタラワ島に住んでいる。今も、仕事、現金、教育機会を求めて他の島からの人口流入が続いている。そのためにこの島ではスラムが拡大し、高潮に弱い低地にまで広がっている。先進国による援助と協力で防潮堤の建設を計る案もあるが、これは資金の浪費と効果的なサンゴ礁の破壊を招くだけで、効果は焼け石に水だと思われる。せいぜいのところ、援助資金で土木事業を請け負う外国企業を潤すだけだろう。
キリバス諸島の標高は平均で海抜1メートルにすぎず、しかも海潮浸食が進んでいるので、世界で温暖化気候変動の被害を最も受けやすい国の一つになっている。今後、多くの住民が環境難民として避難せざるを得ないだろう。テヨウタがニュージーランドで苦労しているように、彼らには技能と教育が無いので移住とその後の生活設計は容易ではない。
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ニュージーランドに移民したキリバス人家族の受難
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2007年にテヨウタと妻がニュージーランドのビザを認可されると、退職積立金と全財産を現金化し、二枚の片道航空券を買った。彼女はオークランドの保育所で保母となり、彼は近くの温室と農園で働き始めた。未知の国で着実な新生活の一歩を踏み出した。貧困国から富裕国に移住し、低賃金の3K仕事を見つけて生活の橋頭保を築く。これは世間によくある物語だ。
だが、テヨウタの場合には他の人々とはやや違う経過をとった。2011年、彼のビザは不注意のために期限切れとなってしまった。彼は、裁判所にビザ延長を求めて提訴した。ところが、彼の弁護士はこれを単なるビザ問題ではなく、気候変動の犠牲者救済のケースとして取り上げ、国際法の改正を求める事件としてしまった。彼とニュージーランド生まれの3人の子どもを本国送還すことは、気候変動で存立の危機に瀕している島において彼らの生命と安全が脅かされる。
この事件により、何十万人ものキリバス人と同じ運命下にある、その他何百万人の身代わりとして、38歳の移民農業労働者が一躍、国際的有名人となってしまった。世界中で政府、政策担当者、活動家、学者が、今後急増が予想される環境難民を国際法上の難民に含めるべきかどうかをめぐり、様々な論議を繰り広げることになった。国連はまだこのようなケースの判断は「法的空白」だとしている。
一方、テヨウタ本人は弁護士と打ち合わせが十分できるだけの英語力が無く、ましてやニュージーランドの移民法を理解できていないので、なぜこのような状況に巻き込まれたのか分からず、当惑して苦しむばかりだ。国際社会において彼はシンボル的な存在となったが、母国ではこのような関心を呼び起こしたこと自体が不名誉だとみられ、彼は悪者扱いされている。
3提訴案件がいずれも却下されたので、彼らは今や強制送還の脅威に直面している。ニュージーランド生まれの6歳、4歳、2歳の子供たちを抱え、幼児死亡率が高く、汚染された水しかない国に、将来の希望が無い失業者として彼らは送還されることになる。彼は「先が見えない」と通訳を通じて述べた。「弁護士がやってくれているが、どうなることか。ドアをノックする音におびえる日々だ」という。
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人権派弁護士の取り組みに立ちはだかる壁
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テヨウタは、ビザが切れる前に弁護士に更新手続きを依頼していたので問題ないと思い込んでいた。ところが問題はそう単純ではなかった。最初の弁護士は長時間働いている彼とその後の連絡が取れず、また弁護士料も支払われないので、依頼はビザ期限の切れるままに放置されていた。
テヨウタはある日、パトロール中の警官にパスポートの提示を求められ、オーバーステイが発覚した。一旦は逮捕、収監されたが、逃亡の恐れが無いので2日後には釈放された。その後、現在の弁護士マイケル・キッドが2012年からこの事件を担当することになった。その時には、ビザが無効になっていただけでなく、人道的理由から判定に上訴しうる42日間の猶予期限も切れていた。
60代前半のキッド弁護士は熱心なクリスチャンであり、これまで救世軍の活動家として刑務所を訪問する傍ら、バヌアツなどの島々の住民にも救援の手を差し伸べてきた。また、1980−90年代にはオーストラリア原住民の窮状を改善するために活動していた。彼は、「人類の法」と「神の法」を組み合わせて「国法」の限界に挑戦してきたという。現在は、ニュージーランド先住民のマオリに関する諸事件を主として弁護している。
テヨウタを、拡大しているグローバル格差の犠牲者とみて、彼は広い観点から人道的問題として取り組もうとしている。これは必ずしも新奇な発想ではなく、これまでも同様な挑戦が行なわれたことがあったが、成果はまだ上げられていない。
彼は、テヨウタを1951年の国連難民条約上の難民として保護の対象とするように求めている。この条約は第二次大戦の悲劇を踏まえて採択されたもので、人種、宗教、国籍、政治信条を理由に迫害された難民を保護することを目的としている。キッド弁護士は、人間の行為によって生み出された環境破壊と温暖化の被害者にこの条約を拡張適用することを求めている。道義的には彼の主張は強力であるが、立法の趣意を忖度する法の解釈適用はまた別である。
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環境難民増加と島嶼国家の消滅が国際問題の前面に
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この事件がニュージーランド高裁で取り上げられると、まず『ウォールストリート・ジャーナル』が報道し、続いてオーストラリアとフランスのテレビが放映した。ドイツ、スイス、韓国などからもテレビ取材が殺到した。かれらは、環境難民と途上国の環境被害に対し、その源因を生み出した先進工業国が国際法上責任を負うべきかを問いかけた。
ニュージーランドの裁判所は、国連難民条約の適用による救済を次の論理で退けた。「難民条約は、自国政府ではなく、居住している第三国でその国の政府を訴える法的根拠とはなりえない」。そしてまた、気候変動の影響は無差別的であり、特定個人に向けられたものではないと判断した。気象変動が原告に深刻な影響を与えたことは認めたが、それを理由に難民認定を下せば、世界中に影響を及ぼすような判例となり、難民が溢れ出す水門を開けることにつながると懸念した。
もちろん、今後どれだけの数の環境難民が出るかは誰にもわからない。今世紀半ばまでの難民発生予測には、2,500万人から10億人までの幅がある。確かなことは、気候変動が環境破壊だけではなく、人道的危機を生み出すことである。キリバスのような「沈みゆく島」は国自体を喪失させ、無国籍者を生み出す。国際法上の定義では、国家とは一定の領土と恒常的な居住者を有するものなので、多くの島嶼国家は今後消滅の危機に直面する。
一つの対策として、キリバス政府はフィジーに8平方マイル強の土地を購入した。フィジー大統領も1300マイル離れたキリバスからの移住者を歓迎すると述べた。しかし、これが国家としてのキリバスの生き残りになるかどうかは別の問題である。
2014年5月にニュージーランドの法廷が最終的にテヨウタ事件の棄却を決定して以後、国連気候変動パネルはその第5回アセスメントを完了し、かつてない強い言葉で「海面上昇率が加速していることは間違いない」と断定した。高波と嵐の増大に加えて、海水面の上昇が「低地沿岸部と環礁諸島の住民を風水害と浸食の危険に曝している」。
キッド弁護士は、テヨウタ事件を国連人権委員会に提訴して、問題を国際的に広げる構えを見せている。国際世論と高まる関心が追い風となっている。
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■ コメント ■
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取り上げられている問題には二つの側面がある。一つは、原告となっているテヨウタ一家の運命がどうなっていくかという観点から見た、個別的な人間的悲劇である。同様な悲劇を難民として経験している人たちは国際的に多く、今後その増大が確実視されている。第二の側面は、気候変動が多くの人たち、特に島嶼部の弱者にもたらしている全般的な的な被害である。これは今後さら深刻化すると予測されるが、これは個人の運命を越えるグローバルなスケールの悲劇である。
共通しているのは、いずれも自らが悲劇の原因を生み出したのではなく、他の人たちの強欲な経済活動の結果によって被害者となっている点である。したがって、自己責任による個人的努力では根本的に解決を図りえない問題であり、国際社会全体、特に加害責任を負う先進国と企業の責任が問われている。
ところが、現在の主権国家を主体とする国際秩序の中では、これらのグローバルな問題は正面から取り上げることが困難である。グローバルな環境問題から派生する人間安全保障は、主要国政府の重視するナショナルインタレストという射程に入っていないだけでない。国境を越えたグローバルな理念とそれを体現する市民社会の成熟とと国際統合の進展を待つしかないのであろうか。これは、ここで論ずるにはあまりにも大きすぎる課題だ。
そこで目を日本との関連に転ずることにする。去る3月13日、キリバスの隣邦、バヌアツがサイクロン(颱風)に襲われた。南・西太平洋は11月から4月が颱風シーズンだが、近年次第に風水害が猛威を増している。人口26.7万人のこの島嶼国は65の島から構成されている。ほとんどの住民は自給自足の農漁民であり、手作りの小屋に住んでいる。多くの住民が壊滅的な被害を蒙ったとみられるが詳細はまだ明らかになっていない。
これらの南・西太平洋の島々は、一人当たりにしてもっとも多額な日本の援助を受けている。だが、その内容を海外協力事業団や外務省資料で具体的に見ることはできない。2009年に大地震と津波が西サモアを襲った時、外務省の避難指示に従って、150人以上の日本人援助関係者が避難したという、当時の短い新聞記事に驚いたことを思い出した。サモアは人口僅か17.9万人の小さな島国であるが、そこに150人以上の日本人援助関係者が滞在していたのである。沿岸資源開発や村落開発指導のためだという。
日本の援助に詳しい関係者によると、太平洋の島嶼国は援助関係者にもっとも人気の高い赴任先だという。治安と対日感情がよく、何よりも仕事があまりなくて、優雅なゾート暮らしを公費で味わえるからだ。元海外協力事業団幹部をはじめ、高給を食む援助貴族にとっての最適赴任先と見做されてきた。ところが皮肉にも、気候変動は彼らの生活をも脅かしている。
さる4月1日、災害対策に関する国際会議で安倍首相が太平洋島嶼国に対し今後3年間に600億円の支援を表明した。気候変動に関する研修施設と人材養成、計器の供与が援助の中心だという。これにより、さらに南洋諸島への派遣人員が増えそうだ。これまでの援助の総括が無いまま島嶼国への援助が拡大されるならば、公費によるリゾート生活者を増やすだけとなりかねない。気候変動は、日本外交とその援助政策を全面的に再検討するもう一つの契機になってしかるべきだ。
(筆者はソシアルアジア研究会代表)