【投稿】

江田三郎の自然観と吉川英治の草思堂随筆「高野往来」

仲井 富

 ◆ 比叡山ケーブルという考え方が嫌いだ 歩いて登るべき

 わが師江田三郎はともかく草花が好きで、山歩きもしばしばだった。江田の死後、保健同人主筆の大渡順二主筆が「私の垣間見た江田美学」なる一文を寄せている。そのなかで面白いと思ったのは、比叡山のケーブルについて議論した話である。以下に要旨を紹介する。

【大渡】江田さんに聞きたいんだけれど、風景というものの社会化という問題ね。比叡山のケーブルができた。比叡山は元来霊山だから歩いて登るべきものだと言われて来たんですよ。それは宗教的、人生体験的なものです。社会化されていない。ケーブルやバスで登るということは登山の社会化です。社会党としてはどっちをとるのです? 神秘的なものとして残そうという道をとりますか?
【江田】そうですね。これは社会党としてよりも個人の考え方が出ますけれど、僕はああいうことはきらいだね。第一、比叡山だって小鳥がいなくなりましたよ。比叡山といったら昔は野鳥の名所だったんですよ。そういう世界がどんどんこわされてゆくということに対しては抵抗を感じますね。

【大渡】だけど社会化という面ね、それによって利用する何万倍の社会人がいるということから考えたらどうなんです?
【江田】ケーブルに乗りたかったら、山の上に登らんでもいいじゃないですか。
 だからそれがコマーシャリズムの上に立って、どんどんやられて行って、どこでもケーブルで登るかというと…
【大渡】だけど社会化のためには仕様がないんじゃないか。それが新しい美じゃないかと思うんですが。社会的楽しみというか…

 ◆ 三千メートルの山に浴衣がけで登るというのは疑問だ

【江田】まあ、三千米の上に苦労せずに登って、かってはリュックサックを背負ってのぼって、時間をかけなくては登れなかった所へ浴衣がけでゆける、ということだけから言えば、それだけ楽しみうる人が沢山になったというかもしれませんよ。しかし、その楽しみというのはなんだということになる。

【大渡】それじゃね、お互いに岡山育ちですわね。児島湾に鷲羽山というのがある。あれは私たち生まれた時は、全然知らなかった。最近だれかが登って、これはいいというので、バス道路をつけたということによってあの美が生まれたのですよ。
【江田】だけど全然別な美だね。
【大渡】それが社会的な美だと思うんです。また社会党的な美だと……
【江田】そういう美には抵抗を感じるんだね。

【大渡】そういうことが、江田さん社会運動家でいらっしやりながら古いんじゃないかと思うんです。
【江田】その点、この間スコットランドへ行ってみてね、スコットランドの湖水ね、ああいうところへ行ってみると立看板が一つもないわね。その点実によくしている。そういう点が、日本の場合はコマーシャリズムでぶち壊しているんだね。これに抵抗を感じないというのはおかしい。
 (「江田三郎・そのロマンと追想」私の垣間見た江田美学 大渡順二)

 ◆ 吉川英治の高野山ケーブル設置への批判 昭和五年に開通

 私は後年、2001年から四国歩き遍路結願の折に四度、高野山のケーブルを利用してお礼参りに行った。あるとき、作家の吉川英治が、高野山のケーブル設置について、痛烈な批判を書いているのを目にした。なるほどと思ったことがある。以下に吉川英治の一文を紹介する。これは1930年代の話である。

 七年ほど前に、高野へ登った時には、一山の僧が、「山上までケーブルカーを軌くの可否」について、その昔の山法師のように、賛否二派に対立して、論議していた。

 それから四年後に、登ってみたら、もうケーブルが完成していて、高野は、低地社会の延長になっていた。参詣人は、花見客のよう殺到し、夕方になると、多くは日帰りで麓へ去ってしまった。
 ケーブルを軌けば、参詣がふえる、参詣がふえれば寺に泊る旅客が増す、という経済観から出発した坊さん達は「こんな筈じゃなかったが」と当のはずれた顔をしていた。

 一昨年、三度目に登ってみたら、ケーブルが出来たので、食えなくなった橋本ロの腰掛茶屋だの、尻押だの、人力車だの、また大阪あたりの百貨店の進出で、脅威をうけた山上の小売業者だのが、労働争議に似たような大会をひらいて、説教する坊さん達に説教を聞かせていた。

 次に、去年の春先に、登ってみたら、山上の道路をひろげるやら、青バスが走るやら、各寺院では、競争して、大きなバラックを建築している。
 「たいへんな復興景気ですな」と、懇意な方丈にいうと、「そうです、今年は、弘法大師の千一百年忌ですから」という。
 聞けば、全国の信徒が、何十万か登山する見込で、宿房の増築をやっているものの、もしこの思惑がはずれたら、借金で、夜逃げをするお寺も出来るかも知れないという怖いような話。

 その後のことは、聞きもしないし、これから先は、高野へ登ってみる気もないが、どこの法城も今は、ざっとこんな時代らしい。戦国のころ、根来や叡山を焼き討ちしたのは、織田信長であったが、現代は、資本主義が、仏法僧の巣までをたたき落としてゆく。宗教復興とは、その鬨の声か。(吉川英治『草思堂随筆』)

 ◆ ごみの山と化した富士山は世界自然遺産に登録されなかった。

 日本一高い山、富士山は日本を象徴する景色として、世界的にも有名な山だ。日本人の誇りとする富士山だが、世界自然遺産には登録されていない。1992年から2003年まで、富士山を自然遺産として登録しようと取り組んでいた。だが、年間20万人以上の登山者が訪れる富士山にはたくさんのゴミが捨てられ、ゴミの山となり、登山者がたれ流すし尿も富士山を汚し続けた。富士山のふもとの青木ケ原の樹海には違法に捨てられた廃棄物がたまり、環境を汚している。

 私は四国歩き遍路を2001年の春から始めた。合計1,200キロの遍路道を4周したが、その途次、あまりにも多いごみの投げ捨てに怒りを覚えた。山奥の源流のような場所に、旧いベッドを投げ捨てていた。わざわざ車で運んで捨てにきているのだ。また有名な足摺岬の断崖の下には、冷蔵庫などの家庭用品が投げ込まれていた。いずれもごみに出すと有料だからと、断崖絶壁の下に投げ捨てに来ているのだ。

 それを見逃すことはできないと、国土交通省に働きかけて、四国高松市の国土交通省四国地方本部と提携して「カンカンラリー」と称する空き缶拾いの運動を、東京周辺の遍路仲間とともに数年間実施した。そして富士山のごみ拾いも仲間とともにやってみた。青木ケ原の樹海もごみの投げ捨てで汚されていた。ケーブルカーやマイカーで気楽に世界遺産の候補地に行けることが、四国八十八箇所の遍路道や富士山の環境を汚し続けているのだ。

 (公害問題研究会代表、『オルタ広場』編集委員)

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