【沖縄の地鳴り】

沖縄のコロナ状況

平良 知二

 新型コロナウイルス感染症がようやく“撤退の気配”を見せてきた。まだまだ気を緩めることはできないが、沖縄の場合、5月に入って11日連続で新たな感染者がゼロであり、営業自粛など全面解除へ、と期待する声も出始めている。長い休みが続いている学校は21日に再開される。

 とはいえ、甘い願望は禁物である。というのも、筆者は前回(3月半ば)この欄で「早めに通常生活を取り戻すことが大事である」などと当時の学校再開に理解を示したのだが、その10日後あたりから状況が悪化、コロナ拡大に県民全体が震える事態に追い込まれた。
 安倍首相の全国の小中学校、高校を臨時休校とする表明(2月27日)を受けて、ほとんどの学校は3月2日から休校に入ったが、一部の学校は休校しなかった。筆者は「地域自身で状況判断を」と休校としなかった自治体の措置を評価したものだったが、その後の経過は知っての通り。想像をはるかに超えた。

 沖縄県内で初感染者が確認されたのは2月14日。那覇に寄港した「ダイヤモンド・プリンセス」の乗客を乗せた(2月1日)女性タクシー運転手だった。中国では死者がすでに1,500人を超えていたが、沖縄にもコロナが来たのか、と軽く受け止めていたのを覚えている。19、20日と2人目、3人目の感染が確認されたが、2人目も「プリンセス号」関係であった。

 その後、感染はばったりと止む。3月下旬までの1カ月間、新たな感染者は出なかった。筆者は会合や食事会など、多少コロナを意識していても参加し、普通の生活であった。年1度の人間ドックを受け、耳鼻科クリニックにも行った。病院やクリニックではほとんどの患者はマスクをしていなかった。
 このころ中国の感染者は8万人を超え(死者3,000人超)、WHO(世界保健機関)が「パンデミック」表明をし(3月12日)、世界に危機を訴えていたのだが、自分たちの気持ちは緩んでいたのだろう。対岸の火事的な認識だった。

 3月下旬から県内の状況は一変していく。21日に1カ月ぶりに4人目が確認されると、23、24、26日と感染者が出て、28日には初めて複数(2人)が感染。3月末日までに感染者は計10人となった。感染経路は外国旅行からの帰宅や県外関係が目立ち、外部から持ち込まれたという“被害者意識”がまだ強かった。

 この時点では感染者の数は九州で福岡、大分、熊本の次に多いという順位だったが(全国では25位)、4月に入ると激しく増加し、3日2人、4日に一挙5人、6日6人、7日は何と12人と急カーブで伸びた。その後も7~10人も増える日がつづき、17日には遂に累計100人を突破した。1週間で倍増という最悪事態となり、初の死者も出て(16日)、誰もが震撼せざるを得ない日々となった。

 この時、全国の感染者はクルーズ船など含め1万人余り。沖縄はちょうど人口比同様、全国の100分の1の感染者であったが、九州では福岡につぐ2位の多さ、全国でも17位に順位を上げていた。こういう順位比較もどうかと思うものの、テレビでも毎日放送され、見るたびに気分が萎えていった(地元の新聞は日報形式で掲載している)。

 安倍首相の「緊急事態宣言」の全国への拡大(16日)、玉城デニー知事の県独自の「緊急事態宣言」(20日)もそのころで、社会のムードは一気にコロナ一色に染まった。外ではマスク、予定されていた会合は取りやめ、スーパー・コンビニにはほとんど行かず、盆・正月と並ぶ清明祭(シーミー)も家族ごとそれぞれで、ということになった。

 この1カ月、那覇に出向いたのは亡くなった先輩の焼香、その1回きりである。沖縄の地元紙は死亡広告の多さで知られるが、その文言が変わってきて「葬儀は昨今の諸事情により近親者のみにて執り行い」「相済ませました」というお断り的なあいさつが大半になっている。葬儀縮小である。

 自粛とか、「3密」とか、社会が窮屈になっている。人との距離を気にする社会。初めてのこの事態は何かを生むのだろうか、あるいは形を変えて尾を引くのだろうか。
 コロナ後をあれこれ言うのは甘いと言われるかも知れないが、沖縄の感染者は最初に述べたように11日連続のゼロである。11日現在の感染者は143人、死者5人。

 (元沖縄タイムス記者)

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