【沖縄の地鳴り】

沖縄県 地方選挙考

平良 知二

 沖縄県内の統一地方選挙が9月9日、投開票された。
 県全体41市町村の60%にあたる25市町村の、4年ぶりの議員選挙だった。1村だけは首長の選挙も行われた。開票翌日の10日に、この原稿を書いているのだが、筆者も自分の住む地域(町)の選挙にかかわり、一緒に闘った候補者が当選したものの、予想より得票が少なく、ちょっとした虚脱状態にある。後援会長として選挙戦を引っ張る役回りを負ってきただけに、責任も感じる。

 筆者の住む町は那覇市の近郊。ベッドタウンとして急速に人口が増え、長い間1万人前後で推移していた人口が、今は3万3,000人。中堅規模の自治体に成長している。地元民と呼ばれる昔からの住民に比べて、居留民(新住民)が多くなり、高層団地やアパートが目立つ。昔からの地域自治会とは独立して団地自治会も認められ、自治会の数はだいぶ増えている。
 そんな中でも、筆者の字(あざ=地域)は地元意識が強い集落として知られ、「地域一丸となり、地域代表として」候補者を立て、議会に送り出す、そんな選挙戦であった。

 定員19人に21人が立候補。少数激戦と言えば厳しい選挙戦に見えるが、客観的に俯瞰(ふかん)して、まず落ちることはない、一定の人口を擁するわが地域が結束すれば、上位当選も可能、との楽観があった。“字代表”のわが候補者は2年前に補欠選挙で初当選し、2期目の挑戦であった。1人だけ選ぶ補欠選(3人が立候補)は町内全域を駆けずり回らねばならず、またそのような選挙戦を展開したのだが、今回は地元地域を固めれば十分、というやや甘い考えがあった。

 選挙はやはり足である。ドブ板選挙と称されるように路地に足を運んで1軒1軒回ってお願いする。集票カードに署名をお願いする。電話などで再確認をする。そういう地道というか、当然やるべき運動をしなければ、票は確かなものとはならない。今回、それが欠けていた。

 候補者本人は他集落の有力者や知人との接触によく動いたが、陣営全体として(陣営と呼ぶほどの結集体ではなかったが)動きが鈍かった。集票カードの集票が遅く、念押しの電話など積極性が乏しかった。

 開票の9日夜、選挙事務所に30人ほど。開票所からの第1報が入った時、当選はほぼ確実ながら、思ったほどの得票ではなく(全体の中位の下)、意気が上がらない。上位に食い込むとみんな期待しているので、どうしたか?の表情である。
 次の、ほぼ最終報告でも伸びなかった。当選者全体(19人)の13位。とにかく当選は当選だ、と全員立ち上がって2度3度、万歳をしたが、悔いの残る得票、順位であった。
 細かい運動を展開できなかったことを自戒しつつ、後援会長としてみんなの労をねぎらったのだった。

 ほろ苦い祝い酒の残る10日、朝刊を見る。各地の選挙の結果が紙面を埋めている。辺野古問題を抱える名護市議選、佐喜真淳氏が知事選に出馬する宜野湾市議選などが大きな扱いである。
 名護市では、辺野古反対派と辺野古“容認”の与党が五分五分、宜野湾市では佐喜真氏支持の与党が全員当選、石垣市は自衛隊配備賛成の与党が過半数を占めるなど、全体的に保守・公明の手堅い闘いであった。保守への流れが強まっている感じである。

 わが町では、自民党公認の3氏が8位までに食い込んだ。今回25市町村の議員選挙で、自民党を名乗って当選したのは計10人。うち3人がわが町、しかも上位当選だったことになる。
 虚脱状態に陥った一因なのかもしれない。

 知事選が間近である(30日投開票)。保守・公明のほか維新なども加わって、前宜野湾市長の佐喜真氏を擁立、「オール沖縄」側は衆院議員で自由党の幹事長の玉城デニー氏が立つ。激戦の予想である。「辺野古」問題が最大の焦点であるが、同時にドブ板選挙的な運動量が勝敗を決めるのではないか。

 (元沖縄タイムス記者)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧