【投稿】

海外文学者たちを魅了する日本の詩、俳諧その(二)

吉川 佐知子
高沢 英子

 日本の俳句は、西欧の詩人たちばかりでなく北欧や東欧にも多くの愛好者を持つようになっていることは前号でも述べた。
 短い詩形の中に多くの感動を込めることのできる、世界で唯一の魅力あるジャンルとして詩人たちや文学者たちはもとより、一般読者にも句作のこころみを楽しむ人たちが増えてきていらしい。この流れは西欧に限らず北欧、東欧はもとより、アメリカでも盛んに見られるようだ。

 代表的な日本の詩歌をどのように紹介すればいいだろうか、と話し合って、今回は秋の詩として代表的な句を選び、吉川が訳してみた。

 野ざらしを 心に風の しむ身哉
 Though I may die as bones on the wayside I set off in autumn
   winds pierce my skin and heart

 秋深き 隣は何を する人ぞ  
 Autumn deep㎱ I wander what his work of the man next door

 此秋は 何で年よる 雲に鳥
 This autumn why have I aged so a bird flying in to cloud

 ところで、俳句に関心を持っていた海外文学者に、小説「ライ麦畑でつかまえて」で20世紀なかば、世界中の若者ばかりでなく多くの読者を虜にしたアメリカの作家J・Dサリンジャーがいる。
 彼は芭蕉や一茶の句を、彼独特の感性でとりあげ、作品のなかで、謎のような描き方をしている場面がある。
 後年、彼はラーマ・クリシュナの説くヴェーダンタの思想に心酔、ニューヨークを離れ、ニューハンプ州コーニッシュの広大な田園地帯を手に入れて移り住み、ささやかな住まいを書斎にして、その後の自作の発表は拒否しつつ祈りと執筆の日々を送り、2011年九十二歳の生涯を閉じたが、後年発表された数少ない短編集「ナイン・ストーリーズ」の中の「テディ」という短編で、主人公の天才少年テディが、ひとりの青年との対話の中で不意に呟く芭蕉の俳句2句がある。

 やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声
 この道や 行く人なしに 秋の暮

 テディの訳は

 Nothing in the voice of the cicada intimates how soon it will die
 Along this road goes no one,this autumn eve.

 「何だいそれは?」対話の相手の青年が聞く。この句をここで呟やかせた作者サリンジャーの意図について、この句をどういう風に解釈しているのかについては謎が多いけれども、次回それも含めて日本文学の伝統的なことばの意味と、大きく言えば世界観が、海外文学でははどう受け止められているのかもあわせて、考えてみたいと思う

(2023.11.20)
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