【コラム】『論語』のわき道(54)

漢字の運命(2)

竹本 泰則
 
 アメリカ本国からの教育使節団は昭和二十一年三月に総勢27人で来日しています。 メンバーはイリノイ大学名誉総長でニューヨーク州教育長官をつとめるG・ストダードを団長とし、米国内の大学から選ばれた教育学、心理学などの教授を主体とした編成でした。
 この使節団と協力して検討するために、わが国は「日本教育家の委員会」を発足させます。東京帝国大学総長の南原繁を委員長とし、帝国大学の教授、専門学校・音楽学校・美術学校の学校長、天野貞祐(第一高等学校長)のほか中学校・国民学校の校長、さらに日本民藝館長の柳宗悦など29人が委員に連なっていました。
 
 調査団は約一か月間の滞在を経て、報告書を提出します。
 それには、教科書の「国定」などにみられるような中央集権的な教育制度の是正、六・三・三の学制と男女共学制の採用、修身・歴史の教科書の改訂、保健体育や職業教育の重視といった事項が勧告されています。この中に「国語の改革」という項があり、そこでは漢字、ひらがな、カタカナを廃止し、「ローマ字が一般に使用されるよう」改革すべきと提言されているのです。
 日本語の表記に関する調査団の認識は次のようなものでした。
 すなわち、漢字は「学習上の恐るべき障害」であり、漢字を覚えることは生徒にとって過重な負担となっている。そのための学習が勉強時間の大部分を占め、「語学や数学の技術、自然界や人間社会についての基本的な知識などの習得」が難しくなっている……というものです。
 
 戦中戦後、漢字への風当たりは国内でも強かったようです。
 政府の国語政策について建議あるいは答申などを行う国語審議会は、国字をローマ字に変える、あるいは、漢字を廃止して仮名文字にするなどの主張をもつグループの勢力が大きかったといいます。ちなみに会長の土岐善麿はローマ字論者、委員の一人、伊藤忠兵衛はカタカナ化を主張していた人で、伊藤忠商事では社内連絡用にカナタイプが配備されていたといいます。そのほか、松坂忠則など漢字を排除しようとする顔ぶれがそろって大きな発言力を有していたようです。
 また、米国施設団来日の四か月前、昭和二十年十一月には読売報知新聞(現在の読売新聞)は「漢字を廃止せよ」と題する社説を掲載し、「文化国家の建設も民主政治の確立も漢字の廃止と簡単な音標文字(ローマ字)に基づく国民の知的水準の昂揚によって促進されねばならない」との主張を展開しています。さらには志賀直哉が雑誌『改造』において「日本は思い切つて世界中で一番いい言語、一番美しい言語をとつて、その儘(まま)、国語に採用してはどうかと考えている。それにはフランス語が最もいいのではないかと思う」などと書いています。
 
 米国使節団の報告書によって国語政策の大転換を迫られた政府は、まず使用する漢字の字数制限に動きます。「当用漢字表」の告示が施設団による報告から半年後に行われます。内容の公表から告示までの期間が十一日間という異例の短期であったために外部からの意見具申は事実上できなかったといわれます。ちなみに、「当用」とは「さしあたって用いる」との意味。漢字はなくしてしまうが、代わりの表記手段が決まるまでの間、これくらいの漢字は使ってもよろしい、というくらいの魂胆であったのでしょう。
 勧告に沿ってローマ字化の試みも実施されています。昭和二十二年の新学期からは、小学校の「国語」の授業にローマ字を教える時間が採り入れられています。さらには、教科書などを含めてローマ字だけで授業を行う実験も、全国の小学校1年、3年、5年の90学級を選び実行されています。しかし実験の成果は 「芳しいものではなかった」らしく、そのことはGHQの担当部課(民間情報教育局 ) もつかんでいたようです。
 
 昭和二十五年九月(第一次教育使節団の来日から四年半後)に、勧告に対する実施状況を調べるために第二次教育使節団が来日します。その報告書中の「国語の改革」についての項では、それまでに実施されたものは、かなや漢字の単純化にとどまっており、「ほんとうの簡易化・合理化」には手がついていないとしながら、ローマ字採用に関しては、第一次のものより後退して、その「手段の研究」という表現にとどまっています。
 
 学制の改革など第一次調査団の勧告事項がほとんどそのまま実行されている中で、漢字廃止・ローマ字化だけは取り残されます。
 GHQがその絶対的権力をもってリードした戦後の五大改革の中の一項であるだけに怪訝な気がします。
 しかし、その理由ははっきりしません。教育の場でローマ字化の試行が行われたものの、芳しい結果が得られなかったことは既述しましたが、このことも何らかの影響があったかもしれません。さらにいえば、二次にわたる使節団の来日のはざまに当たる昭和二十三年八月に行われた「日本人の読み書き能力」調査も影響したかもしれません。
 この調査は全国の15歳から64歳までの男女から無作為に2万Ⅰ千人が抽出され、そのうちのⅠ万7千人が参加して行われています。
 調査内容は漢字、漢数字、アラビア数字、ひらがな、カタカナの読み書きのほか、日常的な文書の読解力や語彙力などが観察されました。
 調査当日に会場に集まった参加者には用紙が配られ、これに筆記で回答しています。書き取りの問題は記入式ですが、そのほかの問題は列挙された選択肢から答を選ぶ方式で、全90問のうち65問が選択式でした。各人の成績は1問1点として計算されています。
 正しい答がまったくなかった人の割合は1・7%(都市部住民で0・9%、郡部で2・1%)という結果です。ほかに「かなすらも正しく読み書きできない」人は1・6%、「かなはどうにか読み書きできるが、漢字はまったく読み書きできない」と判断される人は1・7%であったという報告もあります。
 いずれにしろ、大変に低い数字であり、関係者の予想に外れるものであっただろうと思われます。このためか、「当時の日本人の識字率は世界的に見ても極めて高く、そのことが日本語表記をローマ字化するという方針を撤回させた」という風説も生まれたようです。
 参考ながら、現在では調査結果の評価に疑義も提起されています。前述のように90問のうち65問は選択式であり、選択式であれば「鉛筆を転がして」偶然に正解するということもあり得ます。統計学的にはチャンスレベルという概念らしいのですが、これを考慮に入れると非識字率は1・7%から6・7%に上がるそうです。
 識字率の正確な数値はともかく、この調査結果はGHQの姿勢に影響したかどうかまではわかりません。
 
 注目されるのは、 マッカーサーがローマ字化について、乗り気でなかったのかもしれないということです。
 第一次使節団の報告書に対する声明の中でマッカーサーは次のようなことを言っています。
 「国語の改革に関する勧告の中には、あまりにも遠大であるため、長期間の研究と今後の計画に資するにすぎないものもある」、と。
 また、マッカーサーはこの件では「ほかとは違って、めずらしく口をはさむことがなかった」 とも伝わっているようです。
 浅学な老人の勘繰りに過ぎませんが、マッカーサーの意思が案外大きく影響したかもしれないなと思う次第です。
 (次号に続く)

(2023.11.20)
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