【コラム】八十路の影法師

漢字漫歩 国字(3)込

竹本 泰則

 あふれるような人込みの国際空港ロビー、新幹線の駅構内、有名観光地などをときどきテレビのニュースが伝える。混雑の背景は、COVID-19の鎮静化、外国為替市場における円安などによって外国からの訪問者が大幅に増えたことによるらしい。
 政府観光局の発表では今年8月までの訪日外客は24百万人に上る。単純に年換算をすれば36百万人に達するほどの勢い。これじゃぁ、どこも込むはずだ。ちなみに訪日外客は2018年、2019年の両年とも30百万人の大台を超えている。その後コロナ騒ぎによって急激に減少し、2021年は25万人を割るまでに落ち込んだ。コロナ禍前をみると、10年前の2014年は13百万人で、2012年以前になると10百万人に満たない。日本を訪れる外国人は目を見張る勢いで増えている。

 人などがある場所や施設などに大勢集まる状態を「こむ」という。これに対応するわが国の漢字表記は、「混む」あるいは「込む」とするのが普通だろうと思う。たとえば「電車がこんでいた」という文章をパソコンのソフト(Word 2019)で漢字交じりの文にしようとすると、変換の候補としては両方の漢字が用意されている。現行の常用漢字表もこれら二つの漢字を採用している。しかも「こみあう」、「ひとごみ」などはどちらを用いてもいいと備考欄に注書きまでしている。
 国語辞典で「こむ」を引いてみると、『広辞苑』は「込」と「混」の二つの漢字をあてている。『大辞泉』、『日本国語大辞典』ではこの二字のほかに「籠」が加わる。
 「籠」は「こもる」、「こめる」などの表記には思いつくが「籠む」はなじみが薄い。パソコンソフトでもこの表記は出て来ない。

 戦前の国語辞書の「こむ」には「込」、「籠」が使われているという。夏目漱石の『行人』(朝日新聞の掲載期間は大正元年末からおよそ一年間)の中には「夜の急行は込む」という表現が見られる。また『三四郎』には「女は人込みの中を谷中の方へ歩きだした」というくだりがある。しかし「籠む」の用例は見当たらない。
 『日本国語大辞典』が挙げる用例には『紫式部日記』の「人げ多くこみては…」と記しているが漢字表記はない。「こむ」という日本語が存在していたことは確かだろうが、それに「籠」の字を当てていたか、当てていたのであればそれはいつごろのことか、管見にしてわからない。
 昭和二十一年公布の当用漢字には「籠」は採用されておらず、昭和五十六年公布の常用漢字(旧)にもない。平成二十二年の常用漢字改定のおりに採用されたのだが、その訓は「かご」と「こもる」(籠もる)とされていて「こむ」はない。
 戦前の国語辞書で「こむ」に「籠」も当てていたのは、人が一か所にたくさん集まるという意味の「こむ」ではないかもしれない。たとえば「夜(よ)をこむ」との言い方があった。百人一首でなじみの「夜をこめて鳥のそら音ははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ」(清少納言)というわかがあるが、これなど漢字を当てるならば「籠」が合うような感じだ。
 それはともかく、「混雑」をいう「こむ」の漢字は昭和の終わり近くまでは「込」が独壇場だったのだろう。ところが、まさにこの「混雑」からの類推が働いたのか、1970年代に「混む」という表記が見られるようになる。『広辞苑』も1983年(昭和58年)の第三版から見出し語に「混む」を掲げるようになった。その後も「混む」の使用は広がり、これを受けて2010年の常用漢字の改定を機に「混」に「こむ」の訓読みが追加されたという流れのようだ。
「混」はもともと「まじる」、「まざる」を表す字で、「こむ」の意味は無い。この漢字は当用漢字、それに続く昭和五十六年の常用漢字にも入っているが、その使い方は「まぜる」、「まざる」、「まじる」とされていた。平成二十二年の常用漢字の改定でようやく一般の慣用を認めたのか、新たに「こむ」の訓読みが追加された。したがって、「混む」はわが国特有の漢字用法ということになる。

 「込」は戦後まもなく決められた当用漢字に入っており、常用漢字にも引き継がれている。混雑をいう「こむ」の意味合いを持つことも一貫している。
 この「込」は国字だという。「込」の字が入る地名は北海道から九州まで全国的にあり、東京にも馬込・牛込などがある。日常の生活場面においても申込、税込、振込、煮込みなどなど、しょっちゅう目にする字でもある。だからということではないかもしれないが、この字が国字であると知ったときにはちょっと驚いた。
 中国伝来のオリジナル漢字に「こむ」(混雑)の意をもつ字を辞書で探しても見当たらない。擠(セイあるいはサイ)という字に「ひしめく」、「群がる」といった意味合いが近世以降になって新たに加わり、現代中国語で「こむ」は擁擠という語を当てるようだ(インターネット上の翻訳ソフトによる。字体は当然ながら簡体字になっている)。
 中国では込み合うことはなかったのだろうか。漢字が誕生した大昔であれば、彼の国でも人口はさほどに多くもなく、しかも国土は広い……そういうことか? ひょっとすると、人が集まったり、群れたりということはあっても、ひしめくほどになることは、日常生活の中では稀だったのかもしれない。
 「こむ」の語意にはほかにも「細密にわたる」(『広辞苑』)といった意味がある。「手の込んだ仕事だ!」といった言い方がその例。こちらの意味に該当する漢字もなく、現代では「精心的」などの表現になるようだ。

 日本語の「こむ」に当たる漢字がないために「込」の字が日本で生まれたと単純に考えればそうかもしれない。しかし、もう一つ気になることがある。この語が複合動詞を多く作ることだ。
 当てると当て込む、買うと買い込む、考えると考え込む、住むと住み込む、踏むと踏み込む、老けると老け込む……挙げれば色とりどりだ。ちなみにインターネットの記事にはおよそ150語の「こむ」を含む複合動詞が出てくるものもあった。これらには「込」の字だけが使われているが、もともとの和語「こむ」は広い意味合いをもつ言葉(多義語)だったと思えてならない。ならば「込」だけでなく意味の違いに相応した国字がほかにもあってもよさそうだが……。
 和語に多義語は多い。他言語に比べて多いといえるかどうかわからないが感覚的には多い。金城学院大学の西原一幸という方の論文によると、現代の実用日本語で最も多義である語は「とる(取る)」であり、その語義は28にのぼるという。
 手にとる、草をとる、他人の財布をとる、寿司をとる、新聞をとる、嫁(婿)をとる、写真をとる、責任をとる、ひとの言うことを悪くとる……、相撲もかるたもとるだし、責任をとったり、年をとったり、さらにはとるに足りないなどという語句まである。そんな複合動詞の行列を眺めてみて、当てる漢字がすぐ浮かぶものもあるが、すべてに漢字が決められるわけはない。だからと言って、その都度国字を作り出そうとするなどはほとんど馬鹿げているだろう。
 「こむ」も同じかもしれない。基本となる概念を表現する文字が一つできる、その概念に大きく外れないものはその文字を使うことで済ます。そんなこともありそうだ。
 「込」の場合、文字の成り立ちから考えると、「入れる」、「入る」というような意図・結果を伴うものにこの字があてられ、その意味合いを軸として近似のものへ次第に拡がっていったものかもしれない。

 あるところに人などが大勢集まる状態をいう「こむ」はこれまで「込」が優勢であったが、近年は「混」の勢いに押されている感じだ。
 混雑という言葉はいろいろな物や事象が雑然といり混じっていることを意味するのが本来だと思うが、今では漢字の意味を離れて、もっぱら込み合っている状態をいうようになってしまった。同様に「こむ」の漢字も「混」が主役になりそうな予感がしてならない。

(2024.12.20)
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