■【横丁茶話】                   西村 徹

   ~無縁社会ということがいわれる~    
    必要とする、されないということについて
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■孤立無援は不幸にはちがいないが


 無縁社会ということがいわれる。NHK「日本の、これから」という番組でも取
上げられていた。民放の場合に見られるような扇情的なケンカ番組ではない。時
に自分の価値観を押し売りしようとする発言者も皆無ではないが、およその人は
異なる意見にも、感情移入を図ろうとするだけの節度を保っていて、落ち着いて
見ていることができる番組である。キャスターを含めて、ここに登場する人たち
の寛容と謙抑に、私は敬服することが多い。

 その放送のなかで、人の孤独、あるいは疎外が浮き彫りになるのは「誰も支え
てくれる人がいない」と感じるとき「自分は必要とされていない」と感じるとき
だとしていた。それはそうだろう。孤立無縁とはまさにそういう場合のことだろ
う。できるだけそういう不幸な状態はないようにというのが「最小不幸社会」と
いうスローガンの目指すところでもあるだろう。

 しかし、この不幸は最小にはできてもまったくなくすことはできないだろう。
なぜなら人は個としては孤にほかならないからだ。生まれるときはまれに一人で
なく双子とか三つ子とか、あるいはそれより多く複数で生まれてくることもある
が、厳密にいえばまったく時を同じくして生まれるのではない。

 所詮一人ずつで生まれる。死ぬときも、心中のように計画的に誰かといっしょ
に自殺するにしても、自然死の場合同様、所詮個体は別々に死ぬ。一人で生まれ
一人で死ぬしかない。個はついに孤であることから逃れようがない。にもかかわ
らず一人で孤立したままでは生きられないようにできている。矛盾した話しで
困ったことではあるが、そこが人間の面白いところでもある。


■孤立無援は自由ということでもある


  「誰も支えてくれる人がいない」。「自分は必要とされていない」。この二つ
の不幸は、皮肉なことに、自由を意味することでもある。誰の支えもなく生きる
ことができれば、これほど独立性の保たれることはない。後者についていえば、
私の場合、「必要とされたい」と思ったことは、あるいは、あったのかもしれな
いが、いつそんなことがあったのか、今のところ思いだせない。

 むしろ必要とされたくないと思ったことはある。それは徴兵検査のときのこと
だ。とにかく自分だけは国家によって必要とされないことをひたすら願った。お
なじように思った者は多かったはずである。どうせ兵隊にとられるのなら、とい
うので、高校には進学せずに、逆張りで先回りして、軍の学校を志願する者もい
た。だから死亡率の最も低い陸海軍の経理学校がいちばん難関だった。それほど
誰もが、殴られて、殴られて、殴られた挙句に弾の餌(canon fodder)になる赤ベ
タの兵隊になるのがいやだった。

 必要とされない自由がどれほど望まれたか。その自由を求めて国家から逃亡し
ようとした人は毎年2000人前後に上った。俳優の三国連太郎は大陸に逃れようと
して未遂に終わった。三島由紀夫は即日帰郷で衛門を出たとき、ひょっとして呼
び戻されはせぬかと、父親と手に手をとって一目散に走った。昭和18年文科系学
徒の徴兵延期制度が中止され、高校の私の属していた文科乙類一年40人中6人の
学徒出陣があった。

 よろこび勇んで出で立ったものは一人もいなかった。後に知ったが、そのうち
二人は行方不明になった。憲兵が下宿先をうろついたという。逃走したらしい。
捕まったとは聞かないから自殺の公算が高い。

 私も逃亡を考えないことはなかった。しかし狭い日本のなかでどこに隠れても
隠れおおせるものでもなさそうだったし、憲兵の恐ろしさは度々耳にしていた。
その憲兵に捕まったときのリンチの、身の毛もよだつ凄まじさを想像するだけで
逃亡を諦めざるをえなかった。逃げたかったけれどもリンチが恐ろしくて逃げる
勇気がなかっただけだ。

 それはちょうど、自殺はしたいが死ぬのは怖くて、結局自殺する勇気が出ない
のとおなじだ。要するに大の臆病者だったから、なすすべもなく兵隊に引っぱら
れていっただけだ。徴兵を忌避して行方を晦ましたクラスメートの断固たる勇気
を私は仰ぎ見るほかない。丸谷才一の『笹まくら』の例もある。戦争も終わった
のだし、終わらなくても時効は20年だから、生きているなら姿を見せてくれれば
と思わずにいられない。

 あの当時若者がなにから逃亡したかったかというと必ずしも死そのものではな
かった。戦争で死ぬこと自体は、まだ若かったからか、自然死とひとしなみに避
けがたい必然としてしか恐れはしなかった。じつは死以上に、軍隊という生き地
獄が恐ろしかった。奴隷として自分が必要とされることが恐ろしかった。虐待さ
れて、酷使されて、そして使い捨てられるために自分が必要とされることが恐ろ
しかった。女は兵隊として必要とされなかったから女がうらやましくさえあった。


■漱石も税金を嫌った


  お前の金など必要としないといって税金が免除されたら疎外されたと感じて落
ち込むだろうか。志願して軍隊に入りたいという奇特な人もいたのだから志願し
て税金を払いたいという人もいないことはないかもしれない。しかし日本国がそ
れほどまでして税金を払いたくなるような国であろうか。どう贔屓目に見てもそ
うは見えない。

 小泉内閣の金融大臣は住民税を逃れるために毎年住民票を海外に移した。おな
じ頃、強欲資本主義の波に乗じて財をなした投機成金は日本に税金を払いたくな
いので儲けをスイスやケーマン諸島に移した。武富士の元会長夫妻は贈与税1650
億円を申告しなかったが2月18日最高裁の判決によって国税側の敗訴となり、国
は利息を含めて約2000億円を元武富士会長の長男に返還するそうだ。

 税回避意識はこの種の反吐の出るような不労所得階層にかぎられる事柄ではな
い。税に対する不満はもっと普遍的だ。税そのものというより課税の不公平に向
かっての不満だからであろう。明治40年、朝日新聞に入社した夏目漱石は5月28
日に社会部長渋川玄耳に「朝日新聞に於いて社員諸君は所得税に対して如何なる
態度を取られますか」と問い、玄耳に叱られて「ほかの社員なみにズルク構えて
可成少ない税を払う目算を以って伺った訳であります。

 実は今日まで教師として充分正直に所得税を払ったから当分所得税の休養を仕
るか左もなくばあまり繁劇なる払ひ方を遠慮する積りでありました」と書いてい
る。 さらに高尚な納税拒否もある。1846年、ソローの市民的不服従としての納
税拒否は有名だ。奴隷制や不当な戦争に反対する非暴力的な意思表示として納税
を拒否して牢屋に入った。このように税金の使われ方そのものに首を傾げざるを
えないことが少なくない。

 その評価は別として名古屋の減税日本に人気の集まる理由はある。減税日本
は、じつは一律に一割減税だとカネモチ優遇になるのだけれども、大衆にはそん
なカラクリはわからない。言い出した河村自身がわかっていないかもしれない。
わかったらいずれなんらかの修正をするだろう。とにかく、そういうカラクリが
わからなくなるほど大衆は税金を嫌っている。 

 そういうわけで、必要とする、されないは、疎外される、されないの前提とす
るには必ずしも適当ではないように思う。国家や会社から必要とされるのは人間
としてではなく物品あるいは商品としてである。いつでも捨てることのできる物
品、あるいはいつでも売却できる商品として必要とされないことが疎外感の理由
にはならないのではないか。

 職を得られなかったのは、自分が必要とするものを得られなかったということ
であり、自分が必要としたことのほうが、自分が必要とされなかったことに先立
つことのように思う。必要とするものを得られなくてがっかりするのも無理はな
いだろうが、ただただ、自分が必要とされなかったとだけ捉えるのは、いかにも
一面的に自己の主体を放棄するようで、却って自分を貶めてしまうことのような
気がする。せめてもの矜持として幕臣のやせ我慢はあっていいのでないか。

 必要とされるのは概ねろくでもない場合が多い。永らく地政学的に米軍基地と
して日本国はアメリカによって必要とされた。日本国の米軍基地化を集中的に肩
代わりすべく沖縄は日本本土によって必要とされた。東京の電力需要を充たすべ
き原発の立地点として東北地方は東京によって必要とされた。京阪神の電力需要
を充たすべき原発の立地点として福井地方が京阪神によって必要とされた。先進
国が豊かであるために途上国は貧困に留まるべく、さらには貧困の状態をますま
す深めるべく、途上国は先進国によって必要とされた。国の経済においても少数
の富裕層がますます富むために貧困層の増大が必要とされた。


■真に必要とされるとき――救って救われる


 
  もっとも、必要とされるのは常にこのように体よく利用される場合だけとかぎ
らないこと、いうまでもない。かけがえのない各個人の人格そのものがある高邁
な目的のために動員される場合も、もちろんありうる。たとえばチュニジアのジ
ャスミン革命がそうであったし、それに続いて、エジプトでハーリド・サイード
という青年が警察に殺されたとき、グーグルの駐在員がフェースブックで
  We are all Khaled Saidと発信したのに端を発して、澎湃として集まってきた
人々の場合がそうであった。そのとき徳孤ならずが現実となった。人間の鎖にお
いて人は個が孤であることを超える。

 空調の利いた、直射日光のあたらない室内での、パソコン相手の職場を求めて
得られないからといって疎外されたと感じている人が、現在の日本に、もし仮に
いたとするなら考えてみるといいことのように思う。2011年3月11日、千年に一
度の天災が襲った。東北関東大震災は切実に若い人々の救援を必要とするだろう。

 必要とされないことをかこつ若者は真に自分が必要とされる場を見出すことに
なるだろう。1995年1月17日、阪神・淡路大震災が起こった。そのときもボラン
ティアとして被災現場に駆けつけた若者は大勢いた。普段だらしないと思われた
若者が、にわかに人間の輪と自己実現の場を見出して甦るのを目の当たりにし
た。今回は規模も大きい。それに被曝のおそれは深刻だ。しかし被災現場に飛び
込むことによって、被災者を救うのではなくて、その若者の魂は救われるであろう。

 ジョン・ダンの有名なことばがある。

 なんびとも孤島にはあらず・・・
   人ひとりの死はわれを侵す・・・
   誰がために弔いの鐘は鳴るのか。
   なんじがために鳴る  (No man is an island entire of itself…..
   any man's death diminishes me…..for whom the bell tolls.    It
   tolls for thee.)
                      (2011.3.14記)

       (筆者は堺市在住・大阪女子大学名誉教授)

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