【オルタの視点】

トランプ新大統領出現― Brexit ―
現代史の転換と日本の課題―

井上 定彦

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◆◆ はじめに 「アメリカ第一」への転換が意味するもの

 トランプ新大統領登場に関わる選挙過程等の事実関係、ニュース(含む「トランプ最初の100日行動プラン」、新閣僚候補名等々)については、ここでは新聞報道等にゆずりたい。そのことをふまえたうえで、私達がこれから米新政権に対してどのように向き合うことになるのか、これまでとは違う如何なる視点が求められているかについて、現代史あるいはそこに視点を置いた戦略的視野でみてゆきたい。

 トランプ氏は「アメリカ第一」をまず訴えて選挙に勝利し、二国間での個別交渉が基本となるべきことを強調した。このことの意味は、あるいはトランプや彼を支持した人々が考える以上に重いのではないか。おそらくはトランプ登場は、後世には、21世紀の大きな(やや早すぎた)転換点をなすものとしてとらえられるのではなかろうか。すなわち、激動と戦争の20世紀にもまして、世界の混乱と不確実性の21世紀への移行を象徴的に確定するようなアメリカ新大統領登場ということになる可能性が大きいと思う。近くはすでに四半世紀は経過した「ソ連崩壊」にも並ぶような位置にあると思う。

 私達の知る20世紀、殊に第二次大戦後の世界は「アメリカの世紀」であった。そしてこれは19世紀の「パックス・ブリタニカ(イギリスによる平和)としばしば対比された。また、その「パックス・アメリカーナ(アメリカによる平和)」は、トランプの急登場までは21世紀のまだかなり先までは続くのではないかというのが、おおよその常識であった。すなわち、中国の台頭がアメリカの影響力に匹敵し、あるいは凌駕するには、いますこし時間がかかる、と考えられてきた。それは、アメリカが20世紀に長年かけて構築してきたさまざまの世界秩序システムが米経済の単独の力以上に大きな役割をもってきていたからにほかならない。
 したがって、アジア太平洋において中国の影響力が増してゆくとき、TPP(環太平洋アジア太平洋経済連携協定)に依拠してアメリカと日本の「同盟」をもって対抗しよういう点について、新大統領(予定者)が就任初日にこれを「廃止する」という言明をあらかじめ行う―これは、これまでのアメリカの関係者はもとより、殊に日本の安倍政権にとっては、東南アジア諸国をはじめ直前のAPEC会合までの努力がまったく無視されたことなる。日本の外交政策での大失態ということでもある(独ソ不可侵条約が伝えられ、「欧州情勢・複雑怪奇」として内閣総辞職した1939年の平沼内閣が想起されるほどのことであったはずである)。

◆◆ 「Gゼロの世界」の下、さらに無秩序となるグローバル化

 たしかに、今日はすでに世界のシステムはアメリカ一強が主導した時代は終わりつつあり、「Gゼロ」の時代になってきているのではないかとの指摘はすでにあった(イアン・ブレマーの「Gゼロの世界」)。それは、2008年の大規模な金融崩壊と世界経済の「大停滞」への移行の頃からいわれはじめたことである。というのも、この「リーマン・ショック」以降の世界経済の急激な同時下降に対して貢献したのは、アメリカをはじめとするG7(金融の量的質的緩和政策で対応しただけ)ではなく、BRICSをはじめとする比重の上がった多くの新興国であった。この金融危機、「大不況」が1930年代ほどには深刻にならず、それよりは相対的には軽度ですむようにみえたその最大の要因は、すでに台頭してきた中国をはじめとする新興国の著しい成長と積極政策の展開であった。それが金融危機による負のスパイラルを止め、埋め合わせる力をもつようになっていた点が大きい。2009年秋のピッツバーグ「G20」会議は、世界経済に関する最も重要な経済フォーラムとしてアメリカをはじめとする「先進国」が公に認め、合意したものであった。

 そこにはすでに21世紀に入ってからの世界経済の構造変化があった。2010年頃の世界GDP構成は、G7のシェアは半分程度に下がり、代わって高い成長率をつづけてきた中国、インドなどの新興国(BRICS)また東南アシア、南アフリカなどの、かつて発展途上国といわれた諸国の合計シェアは35%前後までに増しさらに成長を続けていた。世界経済の成長センターはいわゆる先進国から東アジアなどへ移っていたのである。世界の経済格差は社会階層間では深刻な拡大を続けたが、国と国との関係でみれば、その点では世界は「フラット」化してきていた。近年に韓国、台湾、香港、シンガポールなどを旅行した方は、大都市の興隆と高学歴化など社会の近代化、殆ど日本経済の水準(一人あたり)に接近(シンガポールはすでに日本を越えている)しているという強い印象をもっておられるであろう。

 経済のグローバル化が先行してしまった世界において、世界不況対策についても、地球温暖化問題を含めて、多くの新興国の参加と協力なしにどうしても不可欠となっていたのである。それぞれの新興国の経済発展は、国際政治での影響力、独自の動きをもたらしたのも自然な成り行きであった。韓国は国連の事務総長を出して支え、国際的発言力を高めた。中国は国内経済の巨大化(GDPはすでに日本の2倍強、成長率が多少低下しても2030年までにはアメリカに並ぶものとされる)を背景に、それを維持し発展させるために「一帯一路」(陸のシルクロード、海のシルクロード)を含め中央アジアから欧州、アフリカへ、また国連PKO部隊の派遣などで世界での独自の存在感を高めている。

 そのほかの新興国をはじめ、自前の力をつけてきた諸国はそれぞれに独自の外交戦略をたてながら進んでいる。AEC(東南アジア経済共同体)の発足(2015年)もそのような動きのひとつとみることもできよう。このような世界構図の変化からみれば、2015年暮れに、中国が主導し日本へのよびかけもあったアジア投資インフラ銀行(AIIB)がイギリス、フランス、ドイツ、韓国、インドネシア含めた世界57か国の参加で発足し、さらに100か国に迫りつつある(TPPで対抗するためでもあったと思うが)―このままでは殆ど日米のみが孤立するかたちとなったことも理解しえよう。
 むしろ、このような世界の変化にあまりに鈍感な、日本・アメリカの政治の内向き志向が現実と乖離していた(世界をみようとしない日本の「島国根性」!!)とみなければならないのかもしれない。殊にイギリスのAIIB参加というのは、20世紀から近年まで変わることのなかった米・英の関係、すなわち「大西洋同盟」の影が薄れつつあることを印象づけた。

◆◆ イギリスのEU離脱、広がる欧州の危機

 すでに、この6月下旬のイギリス国民投票で、欧州の「雄」、英国がEU(欧州連合)から離脱することを決めていた。その後選出されたメイ保守党首相は予定どおり欧州連合との交渉に入り、2017年3月には正式に離脱を通告する。

 考えてみれば、このこと自体が大変に大きな事件であった。知られているように、第二次大戦後の世界秩序システムは戦勝国であるアメリカとこの英国が組んで、安全保障システムだけでなく、国際政治、経済秩序についても第二次大戦後の国際機構(いわゆるブレトン・ウッズ体制)国際連合を含む安全保障のあり方の延長線上で、基本的にずっと継続されていた。「自由と民主主義、人権」はそれらの錦の「御旗」でもあったわけだ。出発点が1939年の米英でむすばれた大西洋憲章であり、対日ポツダム宣言(1945年7月)にもそれらの「普遍的理念」が明示されている。

 英国の離脱については、欧州諸国首脳はもとより、欧州への影響力確保のためにも、アメリカ政府も離脱阻止を働きかけていた。2003年の根拠の乏しい米軍によるイラク攻撃についても同一歩調をとってきていたことからの大きな変化である。アメリカは1991年のソ連崩壊後は次第に欧州、日本の比重が上がってきていた世界の構造変化を無視して、世界の中枢、治安警察官であることを誇示してきた。殊に2001年のニューヨーク貿易センタービルへのテロ攻撃後には、「単独行動主義」ともいわれるように国連や国際協力の枠組みを第二義的位置におき、世界中に治安・安全保障についてにらみをきかそうとした。その無理が、イラク介入の失敗、アフガニスタン介入の長期化、中東紛争の泥沼化、「ユーラシア大陸」の資源と政治への支配力確立(イラン問題を含めて)の構想どころか、サウジの離反傾向、さらにアメリカの裏庭ともいわれた中南米の「アメリカ離れ」をもたらす結果となってしまった。
 そこに中国をはじめとする新興国の台頭がめざましく進んだ。オバマ大統領になってから、ブッシュ政権時代の「強大なアメリカ」という背伸びしたあり方は、G7からG20の重視へ移行、アジア太平洋地域での「リ・バランシング政策」への切替え、「アメリカはもはや世界の警察官ではない」(オバマ大統領、2012年)というシグナルも発せられた。二期目のオバマ大統領の、「オバマ・ケア」(国民皆保険)や気候変動・地球温暖化への前向きの対応(中国とともに「パリ協定」に調印)、戦後初の大統領による「ヒロシマ」訪問は、世界での「モラル・ヘゲモニー」を重視してきたアメリカ・リベラルの最後の証しであったのかもしれない。

 アメリカはEUの統合進展については、懐疑的な部分を残しながら、基本的にはイギリスを介しつつ支持してきた。アメリカが支えるNATOとも重なる欧州連合は旧東側地域への文化的社会的影響力については歓迎していた。
 欧州は、単一通貨ユーロに加盟する中核国を中心に、マーストリヒト条約にそって市場統合、労働市場の統合(シェンゲン協定による国境での検問廃止等)だけでなく、社会諸制度のできるかぎりの統合を積み上げてきた。しかし政治・経済・社会の三側面にわたる並行的な統合のなかで、実際には市場統合と労働市場の流動化が先行し、非正規雇用の拡大、貧困の拡大などの社会の亀裂が深まっていた。そこに中東、シリア等の紛争拡大とそれによる難民の大規模流出が続き(数百万人規模)、西欧・中欧州・北欧(含むイギリス)へと、反発が広がっていった。グローバル化の最後のフロンティアともいえる「人のグローバル化」は、政治的反発の波が、イギリスの国民投票にあらわれたイギリス独立党などの新型のナショナリズム・ポピュリズム、フランスの国民戦線、イタリアの「五つ星運動」、オーストリアやハンガリー自由党の支持率の急上昇にみられるように、欧州諸国でひろがる、という新事態に直面したのである。
 世界のグローバル化を、地域統合の力で社会へのマイナス面を削減し、方向づけようとした欧州統合の「壮大な夢」が停滞し、あるいは崩れてゆくこととなれば、地球規模でのグローバル化の次のステップでのベターにみえる対応策はたてようもなくなってしまう。概してグローバル化に肯定的であったリベラルリズムは試練のときを迎えているわけだ。

 こうした現状は、すでにみたように時間軸をもうすこし長くのばして、20世紀のアメリカ、イギリスがリードした世界秩序のあり方からふりかえると、トランプ新大統領の「アメリカ第一」や英の Brexit が意味するところは、まさに現代史の転換点そのものともいえよう。最近にいたる戦後の日本の政党の対立軸とその配置も、このことに規定されていたわけだ。アメリカが世界の秩序に責任をもつのではなく、安全保障を含めて普遍主義的アプローチを放棄し、「アメリカ第一」をかかげる。このままトランプの政治公約にそって「二国間主義」のビジネスのかけひきのような個別政治交渉で進んでゆくとすれば、近年までの国際的常識としての普遍性のあるルールについて、アメリカに習ってすでに実行しているロシアだけでなく、この新たなやり方に他国も追随しかねない。すべてがケース・バイ・ケースになってしまう。国際通貨基金、WTO、国連の諸機関をはじめ、ほかならぬアメリカ主導で20世紀に長い時間をかけて育て上げてきた国際協調の仕組み、そのルールの権威は大きく傷つけられることになっているわけだ。

◆◆ 現代国家の変容(福祉「国家の退場」)の中で社会分裂がもたらす「ポピュリズム」

 トランプ大統領選出とイギリスの国民投票による Brexit の結果は、多くの事前予想とはまったく違ったものだった。この選挙結果は、いまや「トランピスト(トランプ支持者)」と「ブレクジッティーアーズ(イギリスのEU離脱支持者)」というそれまで無視されがちであった社会層が怒れる選挙民として登場してきたことの影響が大きいという。そこには共通点が多いということに注目すべきだ。それは、アメリカではオハイオ、ミシガンなどの従来ならば強い民主党の支持基盤であった地域での白人労働者層の不満・不安がトランプ支持にまわったことだ。

 この地域は古くから米製造業の工業地帯であったが、いまや相当部分が海外からの輸入製品にとって代わられ、衰退した地域(「ラスト・ベルト」)となっている。すでにこの数十年は、自動車については日本製もしくは日本ブランドの中南米製品、あるいは電機製品についても韓国・中国の安価な製品がとって代わってしまっていた。当該地域の労働者は、もとの職を失い多くは転職したが、以前のような安定したそこそこの収入をうることが困難になっていた。すでにアメリカ全体の産業構造からみれば、日本以上に製造業の比重がさがり、不安定なサービス産業の就業・雇用しかない。また平均像としては地方暮らし、大卒以下45歳以上の所帯もちということで、出稼ぎ、移民などのヒスパニック系の低賃金労働者と競合することも多い。
 ニューヨークやカルフォルニアのような両海岸部のように金融・情報産業をはじめ国際市場と直結しているところのヒラリーへの支持率は高かった。イギリスのブレクジッターズも、世界の金融・情報サービスセンターにあたるロンドン周辺はEU残留派が多数であるが、かつての工業や農業でさかえた北東部、地方では、熟練・単純・非就業者(高卒以下)、クリスチャンと自己認識している。双方ともに、国内での所得分布をみるかぎり、所得中央値に近い。まったくの低所得層は、そもそも投票所に足を運ばないのかもしれない(主要国の過去20年の投票率は日本と同様におおよその国で下がっており、アメリカのこのときの全国投票率は56%とまた低下した)。

 たしかなことは、経済格差や地域格差の拡大についての不安・不満が深まり、それが白人以外の出稼ぎ労働者、イスラム教徒へ向けられ、また経済のグローバリゼーションの結果であると考えている。そして、さらに経済のグローバル化を押し進めようとしている米・欧の高学歴エリート層や人種・性別・宗教の多様性について寛容な「リベラル派」への不信が広がっていたということだろう。
 このような、社会のグローバル化への反感、反グローバリズム、また排外的な差別意識を助長したのは、これまで社会格差の拡大を放置してきた政治、あるいは政府と国家へも向かう(「ポスト・デモクラシー」)。かつての社会和解や所得の平等化がある程度進んだ1950~1970年代の国家のあり方は、社会レベルでの労使関係の力の均衡関係、労働者保護を制度的に支援したり、社会保障や公教育や公共住宅などの再配分機能をもっていた。この「福祉国家」機能はこの20年~30年、いわゆる「新自由主義」の政策思想が主流になってから停滞あるいは弱まってきている。トマ・ピケティ、アンソニー・アトキンソンの格差研究が実証したのは、その事実であった。
 それまでの保守党や共和党はむろんのこと、イギリスの新労働党、ドイツのシュレーダー政権、そして国民皆保険につとめたオバマ民主党政権もそのような傾向を逆転するにはいたらなかった。雇用・就業に悩む青年層も年金生活者層も社会制度の改革に興味を示さず(現実がいっこうに改善されなかったから)、「メキシコとの国境に高い壁をかれらの負担でつくる」とか、欧州連合からはなれイギリスの「独立」をはたせとか、難民を排除しフランス第一主義、フランスの栄光を取り戻せ、などをとなえるいわゆる「右派ポピュリスト」が主要国で広がっている。「怒りの政治」の奔流である。

 さまざまの政権交代にもかかわらず、グローバル化の「負」の側面が寧ろクローズアップされてきたといえよう。それどころか、進展してきた経済のグローバル化への大きな反動が生じ始めたとみることもできる。それは、これまで30年間におよぶ広義での中道右派(キャメロン政権やキリスト教民主同盟など)から中道左派(英ブレアー、独シュレーダー政権)を含めた「政治的エリート層」への、あるいは債権をもつ者と債務をかかえた者とのドンデン返しを求める大逆流につながりかねない。ポピュリズム政治(文化的異感のあるものの社会的排除、貧困と犯罪の弾劾、人種差別主義等)は結局強い国家を求めることになる。突撃ラッパを吹き鳴らすポピュリズム政治の台頭は、それは世界規模での「政治的エリート」への反逆であるにとどまらず、グローバル経済そのものへの反発の国際的伝染であるのかもしれない。経済と貿易はすでに長期停滞が通説となっているなかにある。
 だとすれば、「新自由主義」の時代は終わり、「新国家主義 neonationalism 」がはじまったのかもしれない。

 米新政権の方向は、企業減税、金融規制のいっそうの緩和(ドッド・フランク金融規制法の見直し)、閣僚への、ゴールドマン・サックスなどのウォール街出身者、また軍部強硬派の大量登用である。むろん、「グローバリズムの敗者」への系統性ある政策はまったくといってよいほどみられず完全に見捨てられている。本命のはずの「グローバル金融資本主義」の規制強化はなく、むしろその擁護のための強権政治に堕するのでは、というのは杞憂ですむのか。

◆◆ むすび 「ネオ・ナショナリズム」にいかにむきあうか

 たしかに1930年代の世界恐慌は、一方にファシズム、他方にニューディール、そして殊に「ソビェト・コミュニズム」という国家主義の「お化け」、いずれも強力な国家権力をもった時代をもたらした。その帰結が第二次世界大戦であった。あるいはそのまた前向きの帰結が社会階級の融和を演出する「福祉国家」と「自由化体制」であった。
 歴史は一度目は悲劇として(世界大戦)、二度目は茶番としてあらわれる、と誰かがいった。二国間主義へ傾斜するトランプ政権に代わって、AIIBとRCEPを進める習中国政権の方に国際的普遍性が高いようにみえる、と映り始めることはないであろうか。
 米が世界をリードする時代が終わったとすれば、暗黙のうちに「米基軸」を前提として、立てられていたこれまでの日本政治と政党の座標軸が、あらためて問われていることはたしかである。

<参考>
 Mark Blyth, Grobal Trumpism, Nov. 15, 2016
 Dani Rodrick, The Politics of Anger, "Project Syndicate" Mar. 9, 2016
 吉田徹「グローバリズムの敗者はなぜ生まれ続けるのか」『世界』2017年1月

 (島根県立大学名誉教授)


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