【 寄稿】

現代文明と感染症

井上 栄

 ■ はじめに

 私は、本誌3月20日号の記事【自著を語る:『次世代パンデミックに備える―感染症の文明史』】でその内容を説明させていただきました。このたび野澤汎大氏を始めとする寿活財団設立準備会の佐原勉氏や地球・人間フォーラムの坂本有希氏らのご尽力によって、この出版記念セミナーが10月25日(金)午後に国連大学1階の「地球環境パートナーシッププラザ」を会場に「対面 + オンライン形式」で開かれることになりました。その詳細は、添付のポスターに載っています。
 セミナーの基調講演は「将来の日本人の感染症はどうなる?」です。これと同じ題名の記事をすでに地球・人間環境フォーラムの『グローバルネット』9月号に書いています。以下には、上記フォーラムの諒解を得てその要約を掲載させていただきます。ご一読いただき、今回の出版記念セミナーのテーマである「コロナ禍の記憶を語り続ける」活動に思いを寄せていただければ幸いです。
 (詳細および申し込みはこちらから https://www.gef.or.jp/news/event/241025pandemic/
 
 ■ 将来の日本人の感染症はどうなる?

 1.エアロゾル感染
 今回のコロナパンデミック(汎流行、世界流行)の最大の特徴は、今まで人類が経験しなかった流行様式( 飛沫より小さいエアロゾルを介する)で世界に広がったこと、と私は考えています。感染しても無症状の人たちが国境を越える旅行をして広げたのです。私は、それを「次世代」流行様式と名付けました。
 将来、コロナウイルスとは別の野生動物から来たウイルスがヒトで変異を起こして、コロナと同様のエアロゾルを介するパンデミックが起こる可能性があります。しかし、今回のコロナの体験を生かして対処できると考えます。エアロゾル感染を防ぐには換気が重要です。国民皆が目に見えない微生物病原体がどのように伝播するかを知って論理的な行動をすることで、不安を鎮め社会の混乱を最小にすることができるでしょう。

 2.新型インフルエンザ
 1996年から鳥インフルエンザウイルスH5N1亜型の高病原性株(全身の出血を起こす)が家禽の間でときどき流行しています。無症状の渡り鳥が大陸を越えてウイルスを運ぶのです。WHOによると、2003年から2024年4月までにこのウイルスに家禽から感染した人は世界中で889人であり、そのうち463人が死亡していますが、人→人の感染はありませんでした。
 2024年3月、米国でH5N1ウイルスの変異株が乳牛に感染し、州を越えて牛→牛の感染が起こりました。このウイルスがヒトの気道で増殖するような遺伝子変異が起こって人→人伝播する可能性があります。ただし、そのようなウイルスは、動物と異なり清潔行動をする人間の社会では低病原性株(気道局所の感染)になるでしょう。
 20世紀初めから現在までインフルエンザの世界流行は4回ありましたが、いずれも飛沫感染で、エアロゾル感染はありませんでした。今は抗インフルエンザ薬(タミフルなど)があり、マスク着用も有効な対策であるので、今回のコロナのようには広がらないでしょう。

 3.巨大災害時の避難所での感染症
 日本国に特有な感染症発生様式もあり得ます。我が国は自然災害が多い国であり、地震・津波などの巨大災害時に避難所で集団生活をするとき感染症が流行する可能性があります。
 ウイルス感染の場合、幼少時の初感染は軽症だが高齢になるほど重症になる、という特徴があります。昔の日本人は幼少時に不衛生の環境で生活しており、さまざまなウイルスに対し免疫を持っていたでしょう。しかし、百年単位の間隔で起こる巨大災害が、将来日本のどこかで起これば、避難所生活者のほぼ全員は清潔時代に育った、ウイルスに免疫を持たない人たちになります。換気、手洗い、緊急時用トイレの準備などがより重要になります。

 4.ヘルペスウイルス感染症の変貌
 ヒトのウイルスのほとんどは一過性感染を起こすものであり、感染して人体に免疫が残り、ウイルスは残りません。ところが、ヘルペスウイルス群はそれらウイルスと異なり、幼少期に感染した後、体内の一部の細胞の核内にウイルス遺伝子DNAが一生潜伏します。
 潜伏ウイルスはときどき活性化されてウイルス粒子になり他の人に伝染します。その伝播効率は悪いため集団発生は起こりませんが、ウイルスは体内で持続するので、最終的には人口の90%程度は人生のどこかの時点で感染を受けてウイルス保有者となります。その感染時期が問題なのです。
 今までは母→児間、および児同士の密な接触で無症状の感染が起こっていました。しかし現在、少子化や、育児のやり方および子供の行動様式の変化などで幼少期の感染が減ってくると、症状のある初感染が青年期に起こるようになります。2型単純ヘルペスウイルスによる性感染症が起こります。エプスタイン・バー(EB)ウイルス未感染者が、青年になってキスなどで唾液を介して感染すると、「伝染性単核症」という入院を要する病気になります。サイトメガロウイルス未感染の妊婦が感染を受けると、ウイルスは胎盤を介して胎児に感染し、障碍児が生まれるリスクが生じます。日本では今、これら疾患が少しずつ増えています。
 水痘帯状疱疹ウイルスは、ヘルペスウイルスの中では例外的に伝播力が強く、「水痘(水ぼうそう)」として小児の間で流行し、昔はほぼ国民全員がこのウイルス保有者になっていました。免疫力が低下する高齢者が増えてきた現代、神経細胞に潜伏したウイルスの活性化で起こる「帯状疱疹」が増えています。その治癒後に何年も続く重い神経痛が問題になり、その予防に高齢者の免疫を強化(ブースター注射)するワクチンが使われるようになりました。

 5.熱帯都市で広がる蚊媒介ウイルス感染症
 熱帯にはネッタイシマカというヒトの血を好む蚊がいて、人口の多い都市に棲み、昼間に人を吸血します。ジカ熱・デング熱ウイルスは蚊とヒトとの両方の細胞で増殖するので、都市でその病気の大流行が起こるのです。
 デング熱は東南アジア起源の感染症でしたが、南米諸国にも広がりました。2023年に650万例(死者7,300人)となり、2024年には7月末現在で1,000万例以上(死者6,500人)になりました。将来、地球温暖化によって温帯の一部が熱帯の気候になり、このウイルスが地球の南北にも広がると考えられています。日本人が熱帯へ行くときには、前もって現地の流行状況を調べておくべきです。
 
 ■おわりに

 感染症は途上国だけの問題ではなく、先進国のなかでも変貌していくものであるとの知識を国民に持ってもらいたいと思います。セミナーでは、清潔化・少子高齢化社会における成人・高齢者へのワクチン接種や、人間と微生物との共生の意義までも議論してみたいと思っています。
 ( 国立感染症研究所名誉所員・大妻女子大学名誉教授)
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(2024.10.20)
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