【コラム】八十路の影法師
白内障
竹本 泰則
白内障の手術を終えた。
昨年の11月半ばに右眼を終えたあと、術後の経過に問題がないにもかかわらず、なぜか待機が予想外に長引いた。ようやく左眼が終わったのは今年の2月だった。
いまは裸眼で過ごす時間がほとんどとなり、講演会などで映写されるスクリーンの文字も眼鏡無しで読める。
発端は一昨年の運転免許更新時の視力検査だった。混雑を避けようと曜日・時間を選んだのが大当たりで、検査場では前にも後ろにも人が並んでいないという幸運に恵まれた。前回の更新のとき、視力検査に照準を絞って安い眼鏡をつくっていた。今回もそれを装着して検査に臨んだのだが、視野がぼやけて切れ目が左やら下やらはっきりしない。検査官も事務的に不合格とするのは忍びなかったか、時間をかけてくれている感じだった。なんとか通過したものの、書類を手渡しながら「眼鏡の度を合わせた方がいい」と忠告された。
眼鏡の買い替えのため、いつもの眼鏡屋に出かけた。検査に先立って、免許更新のときのいきさつを話した。一通りの検査の後、予想外の言葉を聞いた。「右眼の具合がおかしい。眼鏡をどうこうの前に、念のため、眼科医に診てもらってください」という。
住まいから一番近い眼科医を訪ねたところ、「眼鏡をどう工夫しようと1.0以上の視力は望めない。手術を考えた方がいい」とのご託宣であった。ならばと、大学附属の病院を紹介してもらったという次第。
白内障という病名は変わっている。普通「〇〇ショウ」といえば、不眠症だとか狭心症などのように〇〇症と表記する。ところが、おなじ「ショウ」でもこちらは障害の障を使っている。さらに「白内」も意味が分からない。いや、この熟語は「白・内障」なのか、それとも三文字で一語なのか……。いずれにしても名前からは病気の中身は浮かんでこない。ちなみに、『広辞苑』の白内障の説明ではこうなっている。「眼の水晶体が灰白色に変わってにごる病気」。う――ん、すこし説明不足だなぁ。手術にいたるまで何度か白内障の説明は受けているので、僭越ながら補足をしてみます。
水晶体とは、眼球の中の一つの部位で、よくカメラのレンズに例えられるが、外からの光を集め、ピントを合わせて奥の網膜に像を結ぶ働きをする。もちろん透明なのが本来の姿。これが加齢などによってにごってゆくと、光が通りにくくなり乱反射も起きて鮮明な像が得られなくなる。要は見ようとする対象がぼけてしまう。そんな病気といっていいようです。
日本では、古くは緑内障を「あおそこひ」、白内障は「しろそこひ」と呼んでいたとの記述を見た。「そこひ」という語を自分が使った覚えはないが、この言葉自体はなんとなく知っている。『広辞苑』で「そこひ」で引くと「底翳・内障」と両方の漢字表記があてられている。底翳の「底」は、眼底(目の内側)を表すのだろうか。「翳」を辞書で見るエイと読む漢字で、もともとはのりものなどに日覆いとして取り付ける美しい羽毛で飾ったものを表す字らしい。そこから、日かげ、かげ、かげりといった意味でつかわれるのだそうだ。陶淵明の有名な「帰去来辞」にも「翳翳」という熟語が使われ、夕陽がかげってほの暗いさまを表現する箇所がある。
水晶体がにごることで、眼底(の像)がかげる病気だと解すれば、底翳の方は理屈に合う表記とも感じられる。しかし、「翳」の字は字体も複雑で、「ひ」と訓じるいわれもはっきりしない。そんなこともあってか、昭和二十一年に決められた当用漢字にも採用されなかった。そこで代わりの表記として「内障」が考えられたのかもしれない。眼球内の障害(さわり)というくらいの発想かもしれないが、いただけない。見るものがぼやけるという要が消えてしまってはダメでしょう。
蛇足ながら、「翳」という漢字は、今ではなじみがなくなっているが、かつてわが国でも結構使っていたようだ。かすむを翳む、かすみ目は翳目、さらには振りかざすは振り翳すといった用例が出てくる。
ところで、白内障の発症確率は60歳代で70%、70歳代で90%、80歳代で100%という。もちろん、手術を含めて治療を受けるかどうかは症状の程度、患者の意思にもよることなので、80歳代までに誰もが手術を受けるわけではない。それにしても、小生は「人並」といってよさそうだ。
八十余年も使い込めば、もとは透き通った目玉であってもにごってしまう。それは仕方の無いことと受け入れながら、ならば、ほかにもにごったところがありはしないか、そんなことがそぞろ気にかかるこの頃でございます。
(2024.7.20)
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