【北から南から】中国・吉林便り(9)

短い秋、北風が吹き始めた吉林

今村 隆一


 10月9日吉林市の最低気温は今季初の零下1度、昨日は朝から雨がしとしと、風も北風でした。戸外活動ネット上では紅葉の景色が溢れています。吉林の市民は冬に備えてジャガイモやキャベツ、長ネギ、ゴボウ、ニンジンなどを大量に買い入れ干し始めました。冬でもたいていの野菜はスーパーで買えるのですが、この季節は安いし生活習慣なのでしょう。

 秋といえば中国には中秋節があります。中秋節は団欒節とも呼ばれ、豊作を願うと同時に、調和も願う、中国伝統文化の核心的価値の目標だそうです。政府の定めでは9月15日から三連休でしたが、大学は18日の日曜は授業がない場合は休みなので、結果として四連休になりました。学生によっては土日に選択科目で授業がある場合もありますが、基本的に学生は学内での寮生活ですので通学時間は広い校舎敷地を教室まで歩いて移動します。遠いと15分位はかかりますので、一駅の距離でバス利用する学生を去年ぐらいから目にするようになりました。一元(約17円)を惜しまない学生が増えたことになります。

 また10月1日の国慶節から7日まで7連休、中国政府通達でしたが、8日と9日が土曜・日曜で北華大学の授業がない学生も私も9連休となりました。中国生活を始めてこれまでの私はこの時期旅行又は戸外活動に出かけていましたが、今年は療養の連休となりました。
 7月の蛇咬傷に続く骨性関節炎で闘病生活となりました。今年の私は吉林生活9年目にして初めて吉林市の病院で受診治療することになったばかりか、何と7月から10月の今まで闘病に明け暮れています。それまで毎週のように行っていた戸外活動がピタリと止んでしまいました。

 蛇に咬まれて1か月後、左足首から膝までの痛みも遠のき微かに腫れが残っている程度になり、住まい近くの北華大学南校のグランドでストレッチとジョギングを始めるようになって2週後の8月28日、戸外活動群(登山クラブ)の携手戸外群が登山用具店の新店開業を記念してバス代無料でのイヴェントを企画したのを機会に、勇んで「老虎砬子(海抜800m)」活動に参加しました。

 参加申し込み者は何と446人、貸切った大型バスは9台、私は既に2度登ったこともある山でしたし、蛇咬傷も癒えたようなので、足慣らしの試し登山のつもりでした。四百余名もの団体登山を見てみたいこともあり、コースも往復でしたので、何かあってもあまり心配はない、と踏んだのです。集合場所の戸外用具新店前には顔見知りも多くいました。申し込みは私一人分をしたのですが、なんと去年の10月国慶節時の「錐子野長城、九門口水上長城」(河北省と遼寧省にある万里の長城)の2泊3日の戸外活動に参加しバスで隣に座った28歳の色白の女性、ネット名「淡(ダン)」がやはり一人で参加していたのです。バスを降りて山中に入る手前で先を歩いていた娘さんが笑いながら私に向かってしきりに手を振るのですが、女性でそれも若い娘は自分には関係ないと思っていたのでしたが、5・6メートルまで近づいて、やっと「淡」だと気づきました。

 出会ってから一緒の行動となり、雑談しながら歩いて1時間も経っていない時、頂上まで残り15分ほどの所で私の左膝が突然抜けたようになりました。私の異常に気付いた時の彼女の顔に驚きの表れ、目を大きく開いたのが分かりました。彼女は「これ以上行くのはよそう、休んで引き返そう」と進言しましたので、丁度12時前だったので休憩し昼食を取り、登るのを断念し下山したのでした。小さい私のリュックサックでしたが彼女は断固として私には持たせず、自分が持ったのでした。私が持参したステッキも1本でしたが、彼女が山中の枝を1本足して、2本にしてくれました。蛇に咬まれた時は「蘇」先生、この時は「淡」と、若い女性が偶然傍にいてくれ、私をいたわってくれたのでした。こういう時の心境は、分かちゃいるけど、うれしいやら、“男はつらいよ寅次郎”と同じです。

 普段私は大学にいますし、戸外活動では参加した女性とは積極的に接することは少なく、その活動が終われば、おさらばですが、「淡」は時々、メール連絡があります。去年の暮れ私の日本帰国では「ウナギのタレ」があれば買ってくるよう彼女に頼まれ、1ケ100円のタレを吉林に持ち帰りました。お蔭で彼女が通販で買ったウナギを一緒にいただいたことがありました。

 私の足は、戸外活動の翌日、北華大学校舎の階段を上った時、再度左膝に異常が発生し、結果として「骨性関節炎」を発生させてしまったのでした。
 その後あまりに辛いので漢語の先生に同行していただき、吉林では最も大きい「中心医院」に行きX線を撮り、外科医の問診を受けましたが「治療の仕様がない」と。その時同行してくれた先生が別の医師に会うよう図ってくれましたが、痛み止めとグルコサミンを飲むよう勧めてくれただけでした。その後、かつて私を吉林に誘って下さった方から勧められて「豊満区医院」中医骨傷科の漢方医師の治療を受けることにしたのでした。

 朝一番で日本語授業がある月曜以外はほぼ毎日、朝早いのと通勤ラッシュで時間がかかるので家からはタクシーで通院(大体片道で300円、30分前後で到着)しました。帰りはバスで1時間位。私の治療は開院時刻の朝7時半から10時位まで、膝に注射と赤外線照射、時に針灸と湿布薬添付です。初めての本格的な漢方治療経験です。医院には腰や膝を痛めた多くの患者さんがみえていました。自分一人、痛がって消極的になってはだめだと思い知らされました。私も重症なのかも知れません、医者は「歩行は少なく、運動はご法度。水泳も」と。平坦な所では全く違和感がありませんが、階段の上下時が要注意で、痛みは瞬間的で、下りは転倒の恐怖感があります。早く治ってくれることを祈っての通院です。もう今年は山登りなどしたくてもできない状態です。

 思いもよらず、夏から秋の今日まで、吉林のいくつかの医院を訪問したので、吉林市の病院をいくつか紹介します。なお、開業医は西洋医も漢方医も掃いて捨てるほどありますが利用したことはありません。

(1)吉林市中心医院:市内最大の医院です。私が今回左膝のX線を撮りました。
 成立:1908年(清国時代 光緒34年)
 位置:船営区中心の商業地、(3)と近い
 職工:2,680人
 建築面積:20.14万平方米
 等級:三級甲等医院
 ベッド数:2,600床
 2013年 吉林大学付属吉林医院

(2)吉林中西医結合医院(三医院):中国医療と西洋医療を併用することで有名です。私の蛇咬傷時、受診入院したところです。
 成立:2003年12月
 位置:船営区の西側
 職工:770人
 建築面積:3万平方米
 等級:三級甲等医院 
 ベッド数:500床
 1958年 中医中薬研究地として発足

(3)北華大学付属医院:評判は良くもあり悪くもありです。私の受診経験は無し。
 成立:1958年
 位置:船営区中心の商業地、(1)と近い
 職工:1,494人
 建築面積:5.2万平方米
 等級:三級甲等医院
 ベッド数:738床

(4)中国人民解放軍第四六五医院:吉林市医薬学院付属医院。ネット上ではあまり評判は良くありませんが私の住む豊満区では規模が一番大きい。
 成立:1954年12月
 位置:豊満区華山路
 職工:518人
 建築面積:6,6815平方米
 等級:三級甲等医院
 ベッド数:500床

(5)吉林市児童医院(吉林市第七医院)
 成立:1954年
 位置:昌邑区吉林大街
 職工:385人
 建築面積:17,540平方米
 等級:二級甲等総合性児童専科医院
 ベッド数:400床
 2009年7月加入吉林大学第一医院集団

(6)吉林豊満区医院(原郊区医院):漢方治療だが西洋医療もあります。私の関節炎治療医院。
 成立:1950年代初期
 位置:船営区の中心だが周りは古い住宅と商業ビル
 職工:160人 
 建築面積:5,000平方米
 等級:二級二等総合医院
 ベッド数:120床

 私は(3)と(5)の医院を利用したことがなく訪問しておりませんが、他の4医院を利用した感想では(6)が最も気持ちが良かったです。規模が小さく、医療従事者と患者の関係が良さそうに感じられたからです。(4)については居住ビザに必要な健診に受診したことがあり、系列大学である吉林市医薬学院は医科専門大学で、私の家の直ぐ側に広大な敷地を擁しキャンパス環境は素晴らしく、多くの市民が散歩や広場ダンスや運動に訪れていて、私も蛇咬傷後キャンバス内の池の周囲で運動しに行きました。

 吉林の病院で、最も気になったのは、どの病院もトイレの便器が洋式つまり椅子式ではないことです。病院は病人やけが人が利用するところなのに利用者・病人への配慮が全くされていないのではないかと思いました。
 あまり触れたくないことですが、吉林で生活していて、病院に限らず、商店やサービス機関における顧客サービスが欠如していることを実感することが多いのです。また道路など公共施設に段差や突起物が多く、盲人ブロックはほとんどありませんし、有っても壊れていて使えません。道路補修や改修は少しずつされてきてはいるのですが。
 一方で、以前は有料だった公園の無料開放化が進んでいるのは事実です。吉林の大型公園は私の知る限りではほとんど無料になりました。北京市を例にとると、各種公園が1,100園以上あり、このうち87%の都市公園はすでに無料開放されたと報じられています。

 吉林では、一部ですが働く人の士気・モラール(責任感)が低いことが、私の最も残念に思うことの一つです。つまり、吉林も中国大陸も広くて人が多く、良いも悪いもピンからキリまでと感じます。
 日本語授業で私はバリアフリーと言う単語をしつこく学生の耳に届けるように努めています。障碍者や高齢者が住み良い環境は健常者にとっても良いのだと。

 私の国慶節休暇は吉林にいて始めての病院通いと闘病生活となりました。それでも国慶節休暇の中旬、10月4日と5日は、吉林市囲碁大会に参加しました。5年ほど前にも参加したことがあり、その時は国慶節ではない土曜と日曜でしたが、300人以上の参加者と、私でも名前を知っていた中国プロ棋士の常昊九段が来てTV取材があったほどでしたが、今年は何故か参加者が40人未満と激減していました。会場は私が所属する囲碁クラブである「八弈(バーイ)棋会」の月例会場である連大ホテル(会員の一人がホテルの経営者)の会議室でした。吉林では子供の囲碁教室も盛んで、子供もとても強く、会員の高段者が簡単に負けてしまったのを見ました。以前私も二人の子供に負けました。何故だか今年の大会には以前からいる会員は誰も参加しませんでした。

 囲碁クラブには2010年7月仙台空港で知り会った、当時吉林に住んでいた早川信也(1937年生、2012年4月吉林にて腦出血で死亡)さんに誘われて直ぐに入会しました。早川さんは酒好きで、当時日本人会の食事会と囲碁でお会いする時以外、私は付き合うことはなく、知り合って2年未満のあっという間に逝かれてしまいました。その時の囲碁クラブ会員は約20人でしたが、今は30人以上います。皆、私より強く、偶に勝たせてもらうことがありますが、私の棋力は全く上がっていません。会員になって既に6年経ち、月に1度の例会は続いていますが、入会時より盛り上がりに欠けています。今年は会の創立20周年でしたので記念パーティがありましたが、私は蛇咬傷で入院していたため参加できませんでした。

 その様子は動画をCDに撮って記念として配られました。それを見て、少しも面白そうでなく、出席できなくても良かった、と思ったほどです。このクラブでは毎年春節祝いで家族も含め集まっているようですが、その時期私は帰国していますので一度も出席したことがありません。しかし例会時は必ず夕食会があり、参加していますし、クラブ有志で吉林市郊外に出かけ囲碁をする時、声がかかればできるだけ参加するようにしています。10月に入って会員からの転送ニュースで、中国棋士界の大御所である囁(ニエ)衛平九段を父、中国女性棋士の強豪孔祥明八段を母にもち、今は日本に帰化している日本棋院七段の孔令文棋士について知りました。彼は1981年四川省生まれで母と共に日本で生活を始め、囲碁に全く興味が無かったのに離婚した父に勝ちたくて囲碁を覚え、日本アマチュアの強豪菊池康郎塾で囲碁を学び日本のプロ棋士になり、小林覚九段の娘さんと結婚したそうです。囲碁の取り持つ縁を強く感じさせます。

 私は千葉出身のプロ棋士の高尾紳路九段のファンで、手合いの結果がいつも気になり、特にタイトル戦で戦っている時は逐次ネットを見て応援しています。現在高尾九段は名人戦で井山裕太に挑戦しています。3連勝し、その後2連敗しましたが是非ともタイトルを奪取して欲しいと念じています。なお、高尾九段の師匠であった藤沢秀行名誉棋聖は中国の囲碁発展のため尽力され、2006年に中日囲碁交流功労賞を中国から授賞され、北京に藤沢記念館が設けられているそうです。機会があれば行って見たいと思っています。

 今、気にかけていることは、体重です。太る体質の私は山に登っている時、自分の体が重く感じることの無いよう、夏前から食事の量を減らすよう心掛けていました。
 これまでの吉林生活では、外食し、美味しいと感じた料理はあまりありませんでした。
 しかし、吉林の名誉のために言っておきますが、河魚料理や豚肉料理、餃子などおいしい料理もあることはあるのですが、決して多くない。
 そして吉林以外でも、地方によっては羊肉料理や豚肉料理、魚料理などでおいしいと感じたことはありましたが、やはり多くはありませんでした。グルメでない私はあまり食べるものに関心がないため、美味しい店を知らないだけかもしれません。

 しかし、水餃子は比較的美味しい店があり、偶には餃子を食べたくなることがあります。
 10月2日の病院帰りの昼食はチェーン店で国内で420店舗、吉林では23店舗になったという「喜家徳(シィジャダ)」で1皿(餃子360グラム:約18ケ)30元(約500円)の海老餡(エビのあん)餃子を食べ、10月5日の囲碁の日は「手工(手作り)餃子清和伝家」で1皿28元(約480円)の三鮮(ニラ、卵など3種のあん)餃子を食べました。餃子には、蒸し餃子や日本で多くみられる焼餃子を出す店もありますが、圧倒的に多いのが水餃子で、水餃子だけでも6種類から10種類、店によってはそれ以上あります。それは餃子の餡が各種あるからです。

 中国のネット上では「日本は災害多発国」。私に言わせれば「中国は災害大国」で、中国大陸ではいつもどこかで災害が発生していると言っても過言ではありません。9月14日から15日にかけて襲来した台風14号と16号は福建省福州市を濁流が襲い洪水で覆いました。TV画面のその光景は2011年3月の東日本大震災時の津波同様のすさまじさでした。見ている私には福島に続き福建も天の生贄にと、おぞましく感じました。
 「災害は忘れたころにやって来る」と言ったのは寺田寅彦だったと思いますが、現在は確実的に「災害は忘れる前にやって来る」、と言えるようです。だから、原子力発電は稼働停止して廃炉を急ぐべきだし、戦争のできる安保法案も廃棄すべきだし、東京オリンピックも早いうちに開催を返上すべき、と言う主張は少数でしょうか?

 (中国吉林市・吉林大学日本語教師)


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