◇ 石原都知事の愛国心        仲井 富

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●口舌の徒にして「右翼少年」
 石原慎太郎氏は基本的に「口舌の徒」であると思う。自民党では改革はできな
いと、かっこよく絶縁宣言をして議員バッジを捨てた。しかし25年勤続表彰は受
けて最高額の議員年金を貰い権力欲は捨てずに都知事になった。あれほど批判し
た自民党の議員に長男がなり、大臣までつとめると一変して、政治家向きでもない
三男坊を自民党の国会議員にすることに熱中して恥じない。そもそも自民党に2
0数年もいて、仲間一人もつくれず環境庁長官や運輸大臣を歴任しながら、これと
いった実績もない。
 こんな無能な政治家をかついで石原新党なるものをという政治音痴が都議会民
主党にもいると聞く。これでは首都東京での民主党惨敗は当然である。
まず気に食わないことの第一は、都知事として年間、ボーナスを含めて数千万円の報酬を貰い。悪名高い議員年金も最高額の年間数百万円は受け取っていながら、週二回くらいしか都庁に出ない。やっていることは愛国心だとか、中国批判とかをぶち、沖ノ鳥島に出かけ、日章旗を掲げて得意がっている。赤尾敏ならまだ許せるが東京都知事がやることではない。岩に旗を立てて反中国をやっているのだからまさに右翼少年だ。
 中国といわず「シナ」という言葉を多用する。これは私が同年齢だからわかるの
だが、敗戦まではシナ、チャンコロという言い方は、中国に対する蔑称として使っ
ていたものだ。右翼少年なら「馬鹿め」といってすむが、日本の首都の知事の言葉
としては許しがたい。(注参照)
(注)凌星光・日中関係研究所所長、福井県立大学名誉教授は石原と同年で一ツ橋大の同窓だが、2003年4月『石原慎太郎君への公開質問状』日本僑報社刊の中で以下のように述べている。
「小生は小学生のころ、よく「シナ人」「チャンコロ」と言われ苛められた。江戸時
代はともかく、明治維新後、日本が中国を侵略するようになってからは、「シナ」「
シナ人」は中国人を蔑称する言葉となった。これはシナが秦のチーナから変化してきたという語源問題ではなく、実際に如何に使われたかが問題だ。例えは「ジャップ」は「ジャパニーズ」の略称で、語源的には何ら問題なかろう。しかしアメリカ人やイギリス人がこの言葉を使う時は、日本人蔑視の意味合いがあるとのことだ。従って、教養のある英米の有識者は、このような言葉を使わない。同様、中国の有識者は日本人蔑視の「小日本」とか「日本鬼子」とかの言葉を使わない。貴兄のような重要な役職にある者が、中国人の感情を害する「シナ」という言葉を使うのは不適切である」。

●戦争体験希薄な「好戦的・軍国少年的言辞」
 石原都知事のもっとも許しがたいのは、軽率な好戦的言辞である。たとえば尖閣
列島の問題について、あれは日本の領土だ、と主張するまでは許せる。だが、「場
合によってはフォークランド紛争のような小戦争も辞さない」とか、つい最近、ア
メリカに行って「米中もし戦わばアメリカは負けるだろう」とか、軽々しく、他国に
バカにされないためには戦争も辞せずなどと平気でいう。では一体だれが戦いに
いくのか、戦争の犠牲者は誰なのか、というような想像力がまったくない。ここま
で来ると「バカ」というより、極めて「危険」である。親の威光で徴兵逃れをした
ブッシュ大統領と同じで戦争の悲惨な自己体験がないから、気軽に戦争に手を出
してしまう。
石原都知事は、少年時代を北海道小樽市で過ごして悲惨な空爆の体験がなく、の
ちに逗子市に転居して終戦を迎え、ここでも戦争体験らしきものはない。ただ敗戦
と同時に、教師たちが一夜にして、民主主義をいいだしたことに違和感を禁じ得な
かったというが、そんなことは、当時、すべての軍国少年が経験したことだ。唯一、
戦争話として書いているのは「家内の父親が戦死して、その日記とか遺書を見た」
という程度のことである。
 当時の軍国少年の多くは、肉親の戦死そして父母、姉妹の嘆きなどを目の当たりにし、空爆での悲惨や、疎開経験の苦しさ、さらに引揚者の家族分散別離、戦後の飢餓状態をいやというほど体験した。石原慎太郎氏はそういう戦中、戦後体験がなく幸福な軍国少年時代を経て、23歳で芥川賞授賞、35歳で参議院議員全国区トップ当選、さらに都知事へと挫折を知らない人生を生きてきた。彼の言葉の端々に出てくる、弱者への無理解と蔑視は「痛みを知らない」からである。さしたる戦争体験を持たぬことが、軍国少年そのままの、「好戦的な言辞」につながっているのではないか。個人的見解ならば好きにすればいい。だが東京都知事の立場にいながら勝手な妄言は許されない。

●観光客誘致に「皇居ライトアップ」提案
 愛国心の塊のような顔をして、天皇の靖国神社ご親拝をことあるごとに要求す
る。そのくせ昨年3月には、天皇陛下へのご進講で、「東京都も観光誘致を行いた
いし、国も観光立国を言っているので、宮城(皇居)のライトアップをさせて頂き
たい」。「桜やヒガンバナとかを映させてもらい、もちろん、お住まいに明かりが届
くような失礼なことはしません」とお伝えしたという。「打ち首になるかと思った
けど」と定例会見で話した。これに対して宮内庁は「ご進講内容を明らかにしたこ
とは適当でない」と、都の事務当局に注意したという。日本国の歴史、伝統、文化
の尊重と日本人らしさを強調する人間が、観光客のための皇居ライトアップなど
よく言えたものである。都知事になった際、「臣石原慎太郎」と述べたというがその
実、いかに石原都知事の愛国心とか日本人らしさというものの中味がうすっぺら
なものかを証明している。
 侘びとかさびとかの真髄は、かの谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」を待つまでもなく、
漆黒の闇の中とか、薄明かりとかのなかにある。真っ暗な広野のなかでこそ月明かりや、星の光を堪能できる。だいいち煌々たるネオンやライトの中では月も星も見えようがない。商魂たくましい京都の古寺がライトアップして観光客集めに狂奔
していることの真似事に過ぎない。そのために皇居まで利用しようという根性が
見え透いているではないか。皇居周辺の夜は静まり返っているがゆえに価値があ
る。他にみられない自然環境の麗しさを感じとることが出来るのである。(注参照)
(注)大阪の西村徹氏から私の所論に関して以下のようなメールをいただいた。
「石原が皇居のライトアップ。どこまでアホか。神道のことをなにも知らないよ
うです。三島由紀夫の『奔馬』を読めば、新風連が「うけひ」を神殿で伺うとき、
真の闇のなかで行う場面があります。闇というのがいかに神道では重んじられた
か、少しでもそのことを思えば、天皇という 神主のいるところ、さまざまな神事を行うところをライトアップだなんて。『奔馬』は右翼がいかに左翼に近いか、根源的な動機は同じであること昭和史の勉強にはとてもいい本だと思います。あのモノ書きは読んだのでしょうか。読んだらあんなアホではないはずです。」

●「国辱ものの公園」のゴミ、観光より環境を

 観光客の誘致の前に環境美化を真剣に考えよといいたい。二年位前に皇居のお

堀の外来魚調査をやったら、たしかトラック数台分の不法投棄物が回収された。石
原知事の愛国心や天皇尊崇の精神にもっとも背反する行為を都民がやっているの
だ。まず「臣石原慎太郎」がやるべきことはこれを侘びることではないのか。南海
の岩にもぐって日章旗を立てるよりも、皇居のお堀に得意の潜りをして、ごみ拾い
の一つもして環境美化を都民に訴える方がより効果的ではないか。都庁にいたく
ないのなら、都が管理している代々木公園などを歩いてみたらどうか。土日の公園
はゴミ投げ捨てで見るに耐えない。こんな公園に外国人の観光客は再び来たいと
思わないだろう。日本の象徴ともいうべき富士山が不法投棄のゴミによって世界
遺産の候補地にも登録されなかった。象徴天皇の皇居のお堀もゴミ投棄で汚され
ている。これを辱と思わない者はいない。

                                              (筆者は公害研究会代表)

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