【書評】

石郷岡建著『杉原千畝とスターリン』

- ユダヤ人をシベリア鉄道へ乗せよ! ソ連共産党の極秘決定とは?
                          評者初岡 昌一郎

ユダヤ人迫害をめぐる独ソ関係と日本の立場に新しい光を照射
― ”美談”の闇と諜報機関の役割に肉薄する圧巻の国際資料解読

石郷岡建著『杉原千畝とスターリン』(五月書房新社、2022年10月)

杉原千畝

 バルト海沿岸の小国リトアニアにナチスの迫害を逃れた後、行き場を失ったユダヤ難民のために“独断”で「命のビザ」を発給して彼らを救ったことは、戦時中の人道的美談として日本では広く膾炙されている。だが、独ソ日という絶対主義的独裁大国の狭間で、官僚機構の歯車の一部である外交官個人が公然とそのようなイニシアティブを発揮することができたのか、という疑問が付きまとってきた。自国民でさえ国内を自由に移動できない当時のソ連において、シベリアを経由して日本にたどり着くことが、なぜ、そしてどのようにして可能であったか。ソ連時代に厳しい管理・警戒下の鉄道を利用してロシアを数回横断する青年時代の経験を持つ評者にはとっては全くの謎であった。

 著者の問題意識はこの謎を追いかけることから出発しているが、本書は優れたノンフィクション報道の域をはるかに超えており、広い歴史的かつ国際的視野からユダヤ人を研究してきた筆者による渾身の歴史書である。最近発掘された新資料をも活用して、国際報道に経験豊富な筆者の見識と、一般的に理解されている事実の理解と歴史の表層を越えて切り込む調査報道(インベスティゲイティブ・ジャーナリズム)の技が生かされている。この技は、公式発表をともすれば鵜吞みにして報道しがちな日本の大手新聞・テレビ報道にあまり見られないものである。

 全20章から構成されている本書の最初の10章は、「ユダヤ問題とは」(1章)から「アイヒマン」(10章)まで、主としてこの問題に焦点を当てている。国際労働運動の経験からユダヤ人問題にかなりの関心を寄せてきた評者にとって衝撃的な新事実は、第5章「河豚計画―満州のイスラエル」で述べられている、ドイツ系ユダヤ人移住計画を松岡洋右(後の外相)や鮎川儀介(満州系財閥の日産コンッエルン総裁)が画策していたことだ。この二人は、岸信介を加えて「満州国の三スケ」実力者として知られていた。第9章「日本のユダヤ問題」では、ユダヤ難民のビザ発給に関して本国の訓令を求めたことに応じて、外務省が出した大臣訓令を取り上げて論じている。これもこれまでほとんど知られていない(すくなくとも、外部に知れていない新事実)。数次のややニュアンスの異なる訓令がこの問題で出されているが、松岡外相名で1940年7月に発出された、杉原千畝宛訓令では、「最終目的地の入国許可を持っているユダヤ難民に対して日本通過ビザを発給」することを容認している。これは同盟国ドイツの手前、公表されなかったが、これだけを見ても「命のビザ」が杉原の個人プレーではないのが明白だ。しかし、当時の日本政府内に確たる方針が論議された形跡は見られない。あまり重視はされておらず、マージナルな問題として処理されたものとも受け取れる。この点が、今後のさらなる資料発掘によって究明される可能性は、今となってはあまり期待できないだろう。

 著者は断定的ではないとしても、ユダヤ難民のシベリア経由移送計画には、日ソ諜報機関の連携、少なくとも了解があったとの決論に到達している。これを裏付ける明文的な資料は発見されておらず、あってもおそらく処分されているだろうが、状況証拠から見て無理のない推論だ。当時のソ連は反ナチズム・反独の国際協力を追求する立場から、ユダヤ人問題に関心を寄せていた。スターリンの腹心で彼と同じグルジア人*であった、公安・諜報最高責任者べリヤ内相がスターリンの意を汲んでゴーサインを出したと推察される。これが「杉原千畝とスターリンを結ぶ見えざる一本の糸」であり、「衝撃の歴史」発見のもう一つの側面である。

 ソ連がその歴史を通じて一貫してユダヤ人に対して好意的であったとは言い切れないが、ユダヤ人多数を内部に抱え、ユダヤ人幹部が共産党と国家の内部で大きな役割を果たしてきたソ連政府が、他の多くの欧州諸国と比較してみるとユダヤ人の窮境に同情を寄せても不思議ではない。戦後のソ連もイスラエルの建国にいち早く承認を与え、その国連加盟にも支持を与えている。イスラエルの側もこの歴史はよく承知している。親米一辺倒で、その存在自体をアメリカに依存しているのも関わらず、ウクライナ戦争に対するアメリカの立場に支持を公言せず、ロシアに公然たる批判を加えていない。

 本書は杉原の経歴を丹念にたどっている。通訳官として満州現地において外務省に採用された杉原はエリートコーㇲの正規外交官ではなかった。彼は入省当時から通訳官として、後には領事館員として軍諜報機関と密接に連携していた。外交官として諜報機関に協力したというよりも、諜報機関員が外交官(領事)として活動したのかもしれない。彼はその後の各任地では,敵性国をも含めて、外国人諜報関係者と深く接触していた形跡が本書で詳しくトレースされている。著者も指摘しているように、彼が外交官ではなく諜報関係者であったとしても、彼が行ったヒューマンな行為を過小評価するものではない。同じ立場にあったとしても、誰しもが同じ行為をするとは限らない。杉原の能動的なヒューマニズム自体は光芒を失わないが、それは歴史の全体像の中で理解されるべき行為である。

 本書は優れた研究書であり、これまで十分な光が当てられなかった歴史の一側面に新たな次元を開拓した。日本におけるこの種の研究書の多くは、外国における先行研究の紹介と焼き直しが主な内容となり、オリジナリティのあまり見当たらないのが通例で、一般の読者には敬遠されがちだ。しかし、本書ではノンフィクション形式で展開された記述により、この複雑な歴史のストリーを読みやすいものにしている。380ページにのぼる大著だが、途中で長い中断なく読み終えることができるのは、ベテランのジャーナリストのこなれた文章とプレゼンテーション力に負うところが大きい。ほとんどのページの下部に掲載されている脚注で、本文に出てくる事件、協定文書類、人名に簡潔な解説・紹介が付されているのが、読者にとってとても役立ち、複雑な状況理解に役立つ。また、ふんだんに収録されている関係者の顔写真や諸事件の報道写真も本書の内容を豊富化するとともに、親しみやすいものにしている。

 筆者の石郷岡建さんは、早稲田大学在学中にモスクワ大学に留学し、ソ連時代後期に8年間を物理学研究に打ち込んだ経験を持つ異色のジャーナリストである。これほどロシアとその事情に通じ、ロシア語の堪能な日本人ジャーナリストは他にない。しかも、自然科学系学研究者を目指していた彼の事実と観察を重視する分析手法と透徹した論理展開はとても手堅い。さらに、彼はロシア専門家であるにとどまらず、国際関係全体に目配りできる視野の広さと見識を持つ、稀有な国際的日本人ジャーナリストでもある。毎日新聞入社以後、カイロとハラレの特派員を経て、ソ連東欧激動期の80年代後半に同紙ウイーン支局長、90年代のソ連崩壊期にはモスクワ支局長であった。その当時の記録を詳細に収録、分析した『ソ連崩壊1991』*(アジア太平洋賞受賞)と並び、本書が同氏の代表的業績とみなされることは間違いない。
(国際問題研究者)

編集事務局注:
*グルジア:現在は、日本国内での国名表記を「ジョージア」に変更。
* 『ソ連崩壊1991』』こちらからもご購入できます。 
石郷岡建著『杉原千畝とスターリン』
 (2023.1.20)
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