【沖縄の地鳴り】

空しい「希望の同盟」

大山 哲


 ハワイ・オアフ島の真珠湾は、日米戦争の火ぶたが切られ、米国民にとって「リメンバー・パールハーバー」の合い言葉で、リベンジに燃えた聖地である。
 年も押し迫った昨年12月、安倍首相は初めて当地を訪れ、退陣間際のオバマ大統領と晴れの舞台に立った。安倍首相は、真珠湾での演説で、あえて長年のわだかまりへの謝罪はせず、米国の「寛容の心」に最大級の謝意を述べ、和解の力を強調。はては「不戦の誓いを貫く」と意気込んで言及した。
 安倍首相の真珠湾訪問は、オバマ大統領が昨年8月、広島を訪問したことへの返礼の意味が込められ、これが和解と寛容でオブラートされた。

 ところが、首相の真の狙いは、日米同盟の強化をオバマ大統領との間で再確認することにあったようだ。日米同盟を、明日を拓く「希望の同盟」とまで讃えたが、変わらぬ日本の対米追随の姿が見て取れる。国際情勢をにらみながら、1月20日に就任するトランプ新大統領へのメッセージとも噂されている。
 「日米同盟」とは、安全保障条約に基づく極めて軍事色のにじむ関係で、その強化が果して希望の同盟や不戦の誓いに結びつくものなのか。かつて太平洋戦争で被害を受けた国々から、この動向に批判や警戒心が強まっている、と外電は報じた。

 辺野古や高江など米軍基地問題で、真っ向から国の強権と対立する沖縄では、日米同盟の強化は、未来を拓く希望ではなく、新たな過重負担を強いる理不尽な仕打ちとしか受け取れない。安倍首相の和解の力や寛容の心の言説が、空しく響くだけだ。ハワイでわざわざ「辺野古が唯一の解決策」と、米側に伝達するに至ってはなおさらである。
 時あたかも真珠湾セレモニーの前後、沖縄では基地問題の根幹を揺るがす出来事が頻発した。12月13日、かねてから欠陥機として危険視された、普天間基地配備のMV22オスプレイが、名護市安部(あぶ)の海岸に墜落、大破した。由々しいことに、別の機も普天間の滑走路に胴体着陸する、二重の事故を起こしていたのだ。
 事故の解明はされないまま、米軍は一方的に「オスプレイは欠陥機ではない」と強弁した。政府は、県民の声は聞かず、飛行再開を了承し、事故からわずか6日後の19日からオスプレイは自由気ままに騒音をまき散らしている。

 絶えず「県民に寄り添う」と言いながら、一方的に米側の説明を受け入れた政府に対し、またたく間に憤り、抗議、不信の渦が広がった。
 翁長雄志県知事の一連の発言。
 「もうこういう政府は相手にできない。法治国家ではない」
 「国家権力が一地方自治体を無視することの恐ろしさを感じる」
 「言葉を尽くしても尽くしきれない怒りとむなしさ」
は、県民の圧倒的な心情の反映に思えた。

 偶然にも、直後の12月22日には名護市内で菅官房長官、稲田防衛相、ケネディ駐日米大使、ら日米要路が出席して、政府主催の米海兵隊北部訓練場の返還式典が開かれた。菅長官が「基地負担軽減の目玉」と大見栄を切ったセレモニーだったが、オスプレイ事故によって、政府の宣伝効果は半減した。
 同日夕には、同じ名護市内で、オスプレイ事故に抗議し、即時撤退を要求する県民集会が熱気に包まれるなかで開かれた。翁長知事は、政府式典をキャンセルし、急きょ県民集会に参加した。オスプレイ反対を公約に掲げ、高江の6ヵ所のヘリパットが、オスプレイ発着用として工事が強行されたことから、知事の判断は当然の帰着であった。
 翁長知事は会場で、辺野古新基地は「あらゆる手段を講じてつくらせない」と再度、固い決意を表明した。政府の式典と県民の抗議集会、このふたつのセレモニーは、国と県の対立の深さを際立たせることになった。

 そんなさなかの12月20日、最高裁は県が辺野古埋め立ての取り消しを求めた上告を棄却する判決を下し、県を全面的に敗訴した。県の主張は一切認めず、タイミングを見計らったような極めて政治色の強い判決であったことは、政府の意図と判決があまりにも符合しているからだ。
 最高裁判決を受けて、県が埋め立ての取り消し処分の取り消しを決定した27日、政府は満を持したように辺野古の工事を再開した。

 2017年の年明け早々、辺野古をめぐる「国権」と「県の民意」との対立は正念場を迎える。いよいよ本格的に海面埋め立て工事に着手する構えで、警察機動隊や海上保安庁、防衛局、米軍警備隊など圧倒的な物理力で、高江と同様な手段で抗議団を排除しながら強行するであろう。
 いったん埋め立て工事が開始されたら、取り返しのつかない事態になる。貴重なサンゴ群や魚類などの生物群が生息する美しい辺野古の海は死んでしまう。
 また、政府はしきりに辺野古は規模縮小されるので「負担軽減に資する」と説明するが、実態はオスプレイの常駐や艦船の寄港バース、弾薬庫、陸上兵舎などが一体化した基地機能の強化であることが明らかになっている。
 計画では、約160ヘクタールの水面が、約2,060立方メートルの土砂で埋まる。これは東京ドームの16.6杯分に相当する。総工費は数千億円、一説には1兆円にも及ぶ巨額なもので、すべて国民の税金で賄われるのだ。
 そしてなによりも、これだけの基地の新設は、米側も将来的に返還に応じる可能性はなく、嘉手納基地と同様に恒久的な基地とされるであろうことは間違いない。新たな基地沖縄の創生であり、「基地縮小」の政府発言に反する流れなのだ。

 翁長知事は、あらゆる手段を講じて辺野古の工事を阻止するとし、いくつかの知事権限の行使と埋め立て「撤回」の措置も視野に入れている。しかし、国の権力は強大であり、さまざまな対抗手段をとると予想される。
 翁長知事の「あらゆる手段」最後のよりどころは、オール沖縄の結集による民意と国内外の世論のバックアップに期待するほかに決め手は見出せない 。まさに正念場である。

 日米安保のはざまで、苦悩する沖縄の現実を見ながら、つい72年5月の本土復帰当日のことを思い出した。政府主催の復帰記念式典が、東京(日本武道館)と沖縄(那覇市民会館)の2会場で同時開催された。
 東京会場では、佐藤栄作首相が感無量の表情で「戦争によって失われた領土を平和のうちに外交交渉で回復したのは史上まれなことである」と誇らしげに自賛。出席者全員で「日本国万歳」を三唱して締めくくった。
 那覇会場では、屋良朝苗県知事が、復帰の実現に感謝しながらも、沖縄の切実な願望がかなえられなかったことを指摘。「これからもなお厳しさは続き、新しい困難に直面するかもしれない」と硬い表情で訴えるように述べた。
 那覇会場の隣の与儀公園では、復帰協主催の返還協定糾弾県民大会が開かれた。折からの大雨で、ずぶぬれになりながら国際通りをデモ行進した。祝賀ムードはなく、雨は「怒りの涙だ」との声が聞かれた。重苦しい一夜だった。そのデモの中に私もいた。
 国と沖縄の溝の深さは、あれから44余年が経っても「なにも変わっていないではないか」と、愕然とするばかりだ。

 (元沖縄タイムス編集局長)


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