【視点】

立憲民主党は軍事費激増と先制攻撃を容認する新軍事戦略の徹底的追求を

――ウクライナ戦争フィバーに便乗する「新しい戦前」への回帰を憂慮する
初岡 昌一郎

「新しい戦前」とは、現在急速に進行している事態を捉えて妙なる言葉である。戦前とは戦争を準備する時代の呼び名だ。「戦後政治の総決算」「戦後からの脱却」を唱えてきた政治家が倒れたのに、それを後継した自民党政権によって実現しつつあるのが、この「新しい戦前」と名付けられた禍々しい時代だ。日中戦争から太平洋戦争という戦争時代に育ち、青年期と壮年期を戦後に送ってきた我々世代が、人生の最後に「戦前」を迎えざるを得ないのはあまりにも無念残念だ。
 
 戦前という言葉に「古き良き時代」のノスタルジーを感じる人もあるかもしれないが、ほとんどの人にとっては暗い、窒息しそうな時代であった。明治以後の日本は戦争と戦前の繰り返しで、その間に短い戦後期の息継ぎがあった。その意味では、最長の戦後平和期を享受できたわれわれは幸せな世代であったのかもしれない。それだけに、残る世代に「新しい戦前」を残してはならないと思う。
 
 戦前とは、戦争に先立つ、そして戦争を準備する期間であるとすれば、今まさにその時期に日本を逆行させようとする人々が時代をリードしている。これまでの専守防衛という、軍事力増強の度に繰り返されてきた金科玉条的原則を億面もなく放棄、先制攻撃を「防衛」の要とする軍事戦略を公然と選択している。
 
 強面でタカ派路線を推し進めた安倍・菅政権に代わった岸田政権は相対的にハト派とみられてきた宏池会政権のイメージに助けられ、またウクライナ戦争という国際緊張の背景を都合よく利用して現在進められているこの非常に危険な路線は、今後の日本の防衛政策を長期にわたって拘束するものである。この様な重大かつ危険な政策に対して、さしたる批判や反対が表面化することなく容認されそうな状況に強い危機感を抱かざるを得ない。
 
 第二次世界大戦前に少し似た政治状況があった。強硬な戦争拡大と米欧に対する東条英機とその後継内閣に代わって近衛内閣が誕生した時に、軍部を押さえての和平路線がとられるかもという期待が少なくとも当初はあった。しかし、優柔な近衛首相はむしろそれまでの戦争拡大路線を抑えるどころか、周囲の圧力に押されて挙国一致の戦争支持を名目に「翼賛会体制」へと突き進んだ。現下の、反対の声少なき軍拡は、そのような戦前と戦中の日本政治の悪夢を想起させる。
 
 翻って明治以降の日本の軍事的な侵略と対外冒険政策を想い起すと、いずれも「先手必勝」の軍事戦略によって戦争の口火が切られている。宣戦布告に先立つ相手国に対する攻撃は真珠湾爆撃が最も有名。だがそれは初めてではなかった。20世紀初めの日ロ戦争でも開戦通告の2日前、日本はロシア海軍の極東における拠点であった旅順港を奇襲攻撃、駐留ロシア艦隊に壊滅的な打撃を与えている。日中戦争も宣戦布告なしに、日本の一方的な軍事的挑発によって開始されている。歴史をみても「きれいな戦争」は存在せず、戦争には法によって統治されるルールはない。それにしても、このような「赫赫(かっかく)たる先制攻撃の伝統」を持つ日本軍の再建強化と「先制攻撃戦略」への回帰に近隣諸国、特に「仮想敵国」視された国がどう反応するかは想像に難くはない。
 
 「台湾有事」を恰好の口実とする現下の軍拡が、名指しはしなくとも中国を直接かつ主要な攻撃対象としていることは、だれの目から見ても明らかである。中国が台湾に対して武力を行使する可能性は決して高くないし、仮にその事態が起きても日本が軍事介入しない限り、日中間の武力衝突はないというのが専門家の一致した見方である。それにもかかわらず強行されている、現在の日本による軍事力の飛躍的増強と先制攻撃戦略への転換の行く先に、日本による能動的な軍事介入の黒雲を見るのは幻想と断言できようか。
 
 明治以後の日本の戦争はすべて中国大陸への侵略を意図したものであった。日清戦争がその嚆矢である。開戦の契機は朝鮮半島に対する覇権争いであったが、清朝末期で統治能力を喪失しつつあった中国から、日本は台湾、澎湖諸島、遼東半島を奪い、加えて巨額な賠償金を獲得した。20世紀初頭の日ロ戦争も基本的には東北中国における利権と対中国・朝鮮の覇権をめぐる争いであり、辛くも勝利した日本は満州鉄道や旅順港などの支配権を握り、対中国侵略の橋頭保を拡大した。そして、1937年から開始された日中戦争は8年間の長きにわたる対中国軍事侵略の過程において中国国民多数の生命と生活を破壊し、その国土を荒廃させたことはまだ記憶に生々しい。
 
 1945年に日本政府が無条件降伏をした結果、戦時中に加えた損害に対するアジア諸国の損害補償要求に応じて多額の賠償が支払われた。しかしながら、当時の中華民国政府だけが賠償を要求しないと声明し、その道義的な優位性を示したことは、戦後復興に苦闘していた日本人に深い感銘を与えた。その後の人民共和国政府との国交回復交渉過程でも、毛沢東国家主席と周恩来首相指導下の中国政府は、国交回復の条件として損害賠償を要求しない矜持を示した。これは国際的歴史的に見て、極めて寛大かつ友好的な態度として特筆に値する。
 
 長い歴史を通じて、日本は中国から多くのことを学び、その恩恵を被ってきた。13世紀にモンゴルの支配下にあった元朝が交易を拒んだ日本に懲罰的攻撃を仕掛けた、「蒙古襲来」事件を例外とすれば、その関係は極めて平和的なものであった。現在の中華人民共和国も成立以来、一貫して日本に対して平和的友好的な態度を基本的に崩したことはなく、軍事力の行使をもって脅迫したことはない。係争中の尖閣列島問題の解決は将来の世代にゆだねるという、国交回復時の了解に立ち返れば平和的な交渉によって打開するのに障害はないはずだ。こうした歴史と現実を無視した中国敵視政策を安倍政権以後の日本政府は半ば公然化してきた。すでに日本の軍事戦略を転換し、自衛隊の配置もロシアを睨んだシフトから、中国に鉾先を向けた南方戦略に軸足を移している。
 
 日本の軍拡と戦略転換に対して、中国の反応はこれまでのところ非常に抑制的なものである。現在の中国の軍事力と経済力から見れば、おそらく「嫌だけど、怖くはない」という受け止め方かもしれない。60年代の日米安保条約改定反対闘争当時、「アメリカの戦争に巻き込まれる危険」がその最大理由として指摘されていた。この危険は今でも存在するものの、アメリカを対中冒険に巻き込む「新しい戦前」が生む新たな危険性も否定できない。つまり、日米安保条約の相互防衛性を高めてきた日本が、単独では実行困難になった国力の限界からみて、対中冒険瀬戸際戦略にアメリカを巻き込む必要性とその危険が「新しい戦前」の特徴である。
 
 こうした危険な側面がほとんどマスコミ論調では問題とならず、むしろウクライナ戦争を契機とした冷戦期的な恐怖心を煽ることで、軍拡と安保戦略の転換に対してもろ手を挙げて支持しないまでも、それを容認する空気を「誘導的な」報道を通じて効果的に醸成してきた。軍事の飛躍的な増強容認を自然発生的な世論の転換とみるのはあまりにもナイーブで、その背後に政府や「新しい戦前」推進勢力のディープな世論操作があるのを見落とすことはできない。
 
 最大の問題は、こうした重大な潜在的危険と軍事政策の抜本的転換に対する疑念が国会の審議にほとんど反映されていないことだ。野党第一党の立憲民主党は、安全保障政策の大転換にあまり危機感を示していない。この危機的課題を真正面から解明・追及するのではなく、疑似世論になびいて腰が引けているように見える。始まっている予算審議を見ても、とても安保軍拡に正面から挑戦しているとはとても見受けらない。1960年の安保改定当時を回想してみると、安保条約反対闘争が盛り上がったのは、当時の社会党議員の追及で問題点が浮き彫りにされて、多くの国民が大きな関心と懸念を抱くに至ったからであった。国会での真剣な追及なしに、国民世論の盛り上がりは期待できない。
   
 立憲民主党が基本的に軍拡の理由と軍事戦略の大転換を容認しているとは思いたくないが、それを根本的危険として批判するよりも、論戦の焦点が財源問題にすり替えられているように見える。国家財政の危機は大問題だが、それの最大の原因となる軍拡のもたらす作用と副作用こそが問題の根本にある。立憲民主党に対し今国会における奮起を切に要請する。
                                            (以上)  
                                       
(2023.3.20)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧