【コラム】『論語』のわき道(35)

笑う

竹本 泰則

 2018年に改正された民法は2022年4月1日に施行され、この日をもって成年年齢は従来の20歳から18歳に引き下げられました。明治九年(1876年)の太政官布告によって20歳と定められて以来、およそ百五十年ぶりに引き下げられたのだそうです。
 成人とは生理的な面だけで決まるものではないわけですから、年齢の基準を設けることは難儀なことでしょう。現に、民法改正後も少年法では「特定少年」というジャンルを設けることによって、罪を犯した18、19歳を適用範囲に留めています。

 成人といえば、昔の元服というしきたりが思い浮かびます。男子は15歳、女子は13歳になると、髪形をあらため、社会からは大人として認められていたとの解説が辞書にあります。この歳になると結婚することもできたようです。皆がこの歳で結婚するわけではなかったでしょうが、昔の人は総じて早婚(早熟?)だったということです。

 元服は平安時代の貴族の行事が由来で、江戸時代になると庶民にも広まったといいます。今はあまり耳にしませんが「十五参り(じゅうごまいり)」、「十三参り(じゅうさんまいり)」といって、神様に元服を迎えることの奉告と感謝をしてお祓いを受ける習慣もあったそうです。江戸庶民にとってこのためのお参りに、大山(神奈川県)などは旅行気分も味わえる人気スポットだったのでしょうか。大山へ詣らないと、一人前として認められなかったという趣旨の記録が残っているそうで、大山阿夫利神社のホームページにもその記述があります。

 仲間と連れ立って日帰りの遠足もどきをたまにやっていますが、その当番を仰せつかったおり、大山を選びました。社寺を巡り終えた後、とうふ料理でしめるというのも目先が変わって面白かろうという料簡からでした。

 まずは、下見。小田急線の伊勢原駅に出てからバスでふもとまで入ると、その後はケーブルカーが下社(しもしゃ)のある中腹の駅まで運んでくれます。江戸の昔を思うとずいぶん楽に行かれるようにはなっていますが、だらけた老体にはこのつなぎが関門。「 こま参道 」とも呼ばれる道は、左右に“こま”や“きゃらぶき”などの土産物店のほか、宿坊、食堂などが並び、距離もそこそこあります。途中に階段がいくつもあって、その間は登り坂です。ようやくケーブルカーに乗っても、駅とお寺や神社との間はまたまた坂と階段。
 下見を済ませてふもとまで戻ってきたときには膝ががくがくしていました。平生、運動などをしていない報いでしょう。

 ところで、この状態を「膝が笑う」といいますが、何とも不思議な表現です。この言葉は『広辞苑』をはじめいくつかの辞書に出ており、中には「手が笑って、字がうまく書けない」といった例文を附記するものもありました。「手が笑う」という言い方は知りませんでした。
 疲れ、あるいはほかの原因で関節あたりの部位が思うように動かなくなる現象をとらえて笑うといういい方をするのでしょうか。日本流の表現というにおいを感じますが、いつごろ誰が言い出したものかなどは分かりません。

 笑うといえば、俳句の世界には「山笑う」という春を表す言葉があり、こちらも意表をつく感じがあります。普段使っている電子辞書の中には三種類の歳時記が入っていますが、そのいずれもがこの季語は郭煕(かくき)という人の言葉が源だとしています。この人は11世紀、日本でいえば宇治の平等院を建てた藤原頼通(道長の息子)とほぼ同時代の人で、中国・山水画の大家だそうです。
 その人が四季の山の表情について述べた文に「春山淡冶(たんや)にして笑うが如く、夏山蒼翠(そうすい)にして滴(したた)るが如く、秋山明浄(めいじょう)にして粧うが如く、冬山惨淡(さんたん)として眠るが如く」というのがあり、これによって春は山笑う、夏は山滴る……といった具合に季語になっているようです。

 出所は分かったものの山が笑ったりするという感覚は今一つピンときません。
 膝が笑ったり、山が笑ったり……どちらの言葉も今に生き残っていることを考えると、違和感をもつこちらのセンスが鈍いだけで、大方は共感しているのでしょう。

 話はさらにとびますが、「笑」という漢字にも引っかかります。笑うという動作に「たけかんむり」はそぐわないのじゃないかというのが最初の疑問です。しかし辞書を見ても字の成り立ちやら由来は分からずじまい。そのかわり別の発見がありました。「笑」にはわらうという意味はもちろんあるのですが、もう一つ花が開く、つまり「さく」という意味も出てきます。「さく」は「咲」じゃないかとかえって疑問が広がってしまう。そこで「咲」を引くと、なんと、この字の意味は「わらう」となっていました。

 ある辞書に「『咲』という漢字は、本来わらう、花がさくの両方の意味をもつ『笑』の古字であるが、日本では『(花が)さく』専用の字体として用いる」との説明がついていました(三省堂・漢辞海)。
 この説明を敷衍していくと、わらうも花がさくも古い時代には「咲」の字を使っていた。しかし、いつの間にか、またどういうわけか、字の形が「笑」に変化した。そういえば、どちらの字も同じくショウという音です。ところが日本では laugh の方は「笑」と新しい形の字を使ったものの、bloom には古い字である「咲」を残すことによって両者を区別したということになります。

 逆に言えば「咲」の字はわが国以外では消えてしまったということになるのです。そのせいか、咲の字が使われる熟語・成句は漢字辞書にもありません。「花咲か爺さん」、「花咲きガニ」……これらはみな和語。そうであるならば、中国では花がさくというときに笑の字が使われているはずなのですが、不思議なことに辞書で笑が頭につく熟語を見ていっても、この字を花が咲くという字義で使う語は見つかりません。『論語』にも笑の字は五回ほど登場しますが、どれもわらうという意味です。笑の字を花がさくという意味に使うことは、とうの昔になくなっているということでしょうか。

 では漢字の国では「咲く」というときにどの字を使う?
 答は「開」のようです。漢詩では花がさくことをいうのに「花 開く」と表す例が多く見られます。「年年歳歳、花(はな) 相(あい)似たり、歳歳年年、人 同じからず」の句でよく知られた詩があります。一年が経った翌年にも花は前の年と同じ美しさで咲くけれど、花を見る人間の方は年ごとに容色衰え、老いていくという、高齢者にとっては切実な悲しみをうたった詩であります。七世紀の詩人の作だそうです。
 その詩の一部に「今年 花落ちて顔色改まり、明年 花開いて復(ま)た誰か在る」――石川忠久訳:今年も花が散って春が去り、(今、目の前を通り過ぎていく若い)娘の美しさもおとろえてゆくのだ。明年花が咲くころにはだれが元気でいるだろう――との句がありました。また白楽天の『長恨歌』にも「春風に桃李の花が開き、秋雨には桐の葉が落ちる」といった句も見つかりました。

 わが国でも花が咲くことを開くと表す例は結構見られます。靖国神社境内のソメイヨシノの枝先を観察して、咲いた花の数によって「桜の開花宣言」を出すという悠長なしきたりもあります。また大昔の人々は富士山に神威を感じていたらしく、「おやま」のふもとをはじめ各地に浅間神社があります。その祭神は記紀にも登場する木花之開耶(このはなさくや)姫だそうです。

 ついでながら、漢詩の本をパラパラとめくっていると花がさくを表す開の字が次々と見つかる中で「発」の字を使う例を一つ見つけました。

  「花発(ひら)けば風雨多し / 人生別離足る」

 井伏鱒二の『厄除け詩集』にある「ハナニアラシノタトヘモアルゾ / 「サヨナラ」ダケガ人生ダ」の日本語訳でも有名な晩唐の詩人の作です。人生、何が起こるか知れたものではない。だからこそ今はともに酒を飲もうじゃないかというような趣の詩とみえます。

 前に書いた通り『論語』に出てくる笑の字はわらうという意味でしか使われていません。五回ほど出てくるうちの一回は孔子が笑ったという場面で使われています。孔子さまはむずかしい顔をしている方が似合いそうですが、そのお方がにっこりとしたというのです。
 子游(しゆう)という名の弟子がある小さなまちの長官をしていたときに、孔子は一門の人を何人か連れてそこを訪ねます。たどり着くとまちの中から音楽が聞こえてくる。子游は朝廷で奏される正式な礼楽を人々に学ばせていたのです。

  夫子(ふうし) 莞爾(かんじ)として笑いて曰く

 夫子は先生、つまり孔子のこと。莞爾とはにっこり笑うさま、ほほ笑むさま。
 孔子はにっこりと笑ってこう言った。

  鶏(にわとり)を割(さ)くに焉(いずく)んぞ牛刀(ぎゅうとう)を用いん

  (たかが)鶏の身を切り分けるのに、どうして牛を割くための(大きな)刀を使うのかね

 つまり孔子は「こんな小さなまちにあって、本式の礼楽は大げさだなぁ」と、その不釣り合いなさまにおかしさを感じたのでしょう。
 これに対して笑われた子游は、「先生はかつて小人にあっても道を学ぶことは有効だと教えてくださいました(だから、それを実践しているんじゃないですか)」と切り返します。これには、ほかの弟子の手前、孔子も困って「子游のいうことに間違いはない。さっきわたしが言ったのは冗談だよ」と切り抜けようとした……、そんなお話。

 この場面について、吉川幸次郎という大学者は「……子游は真正面からいきり立ち、孔子はあっさりと前言を取り消す。含蓄のある章である」とおっしゃっています。碩学の感じる含蓄がどのような内容であるのか知る由もありませんが、この段は孔子とその弟子たちとのむすびつきを髣髴させているのかもしれません。

 生身の人である孔子は完璧ではなく、矛盾もあれば失敗もやる。しかしもともとはいい加減な人ではないし、不真面目な人でもない。それを知る弟子たちだから、孔子が、たとえば朝令暮改みたいなことを言ったりすると、真剣に、しかし敬いを失することなく、ぶつかってゆく。それをかわす孔子の方にはずるさ、いやらしさを感じさせるようなところがない。だから弟子たちも「笑って」済ますことができた。そんな師弟関係だっただろうかなどと想像するのはいささか美化し過ぎでしょうか。

 このごろは、四六時中、コロナ、ロシア・ウクライナなどといった話題で気分も沈みがち。何か「莞爾として笑う」ことはありませんかね。

 (「随想を書く会」メンバー)

(2022.4.20)
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