【「労働映画」のリアル】
「労働映画」のリアル 第1回
●連載をはじめるにあたって /鈴木 不二一
映像作品を通してみえてくる働くものの仕事と暮らしの実相について、多角的に、自由闊達に、そして何よりも映画を観ることの楽しさを大切にしながら、肩肘張らずに語り合う、サロンのようなコーナーを作りたいと思います。題して<「労働映画」のリアル>。
「労働映画」というと、多くの人は「何、それっ? 意味不明!」と感じるかもしれません。年配の方からは、『ドレイ工場』とか、『太陽のない街』とか、かつての定番作品を思い浮かべて、「いまさらだよね。ちょっと古すぎるんじゃない!」という声も聞こえてきそうです。でも、そんなに堅苦しく、狭く考える必要はありません。「労働映画」の世界は、広く、深く、そしてもっと身近なところに展開しています。
働くことは、誰にとっても、身近で、日常的なことがらです。それは、生きることのつらさ、切なさ、みじめさにつながる側面を持つと同時に、新しくモノやコトが創りだされる、心ときめく感動の源泉です。苦楽をともにする仲間たちとの絆が生まれる場所でもあります。人々の身近な関心によりそい、共感に訴えることを追い求める総合芸術としての映画が、その草創期の頃から働くことの真実に熱いまなざしを向けてきたことは、しごく当然のなりゆきだったといえるでしょう。
何も、傾向映画や左翼映画、告発映画だけに限りません。メロドラマも、コメディも、時代物も、現代劇も、SFも、人間の真実に迫ろうとすれば、なんらかの形で働く人々の姿を登場させざるをえないでしょう。直接「労働」をテーマとしない作品も、「労働映画」という視点からみることによって、新しい世界を開示するかもしれません。
いま、ますます苛酷さを増す仕事と暮らしの現実を前に、世界中いたるところで、働くことの真実と希望、働く仲間の連帯の素晴らしさに想いを馳せる映画が数多く制作されています。これは決して偶然のことではないでしょう。日本もまた例外ではありません。これまでの狭い概念にとらわれることなく、広く「労働映画」という視点から映像作品に向き合い、そこに描かれている労働世界をみつめていくことは、働くことの過去・現在・未来について、多くの示唆をもたらしてくれるものと思われます。
この連載コラム<「労働映画」のリアル>では、以上の主旨をふまえた多様なエッセイをお届けしたいと思います。まず、皮切りのテーマとしては、「労働映画のスターたち」をとりあげます。おなじみの名優たちが、どのように働くことの喜びと悲しみを演じているのか、そこから浮かび上がる人物像は私たちに何を伝えるのか。生身の俳優の肉声と肉体が語りかける<「労働映画」のリアル>をめぐって、百家争鳴の閑談・歓談をどうかお楽しみください。
(すずき ふじかず、NPO法人 働く文化ネット 理事)
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●労働映画のスターたち・邦画編(1) 志村 喬 /清水 浩之
<「七人の侍」「生きる」「野良犬」…。寡黙で照れ屋で、頑固だが内に優しさを秘めた男、そんな“日本の父”を演じつづけた俳優>。澤地久枝のノンフィクション『男ありて—志村喬の世界』(文藝春秋)の紹介文の通り、日本映画の黄金時代を代表する「お父さん」「おじさん」として活躍した志村喬(1905〜82)。労働映画史上、いや日本映画史上屈指の作品『生きる』(1952、監督:黒澤明)で、長年ただ無気力に「お役所仕事」をこなしてきた公務員が癌で余命半年と知り、自分にできる最後の仕事に情熱を注ぐ姿は、日本人なら誰もが見覚えのある人物像と言えそうだ。
明治38年、兵庫県生野町(現・朝来市生野町)生まれ。父は生野鉱山の冶金技師だった。関西大学在学中に演劇に魅せられ、中退して役者の道へ。舞台俳優として数々の苦労を味わった後、1934年に京都の新興キネマに入社。伊丹万作が監督した『赤西蠣太』(1936)での朴訥とした侍の演技が注目され、アラカン=嵐寛寿郎の『右門捕物帖』シリーズでのライバル同心・アバタの敬四郎が当たり役となる。オペレッタ時代劇『鴛鴦歌合戦』(1939、監督:マキノ正博)では美声を披露し、共演者のディック・ミネに歌手デビューを勧められたとも言われている。
戦後は『酔いどれ天使』(1948)での町医者を皮切りに、黒澤明作品に欠かせない存在となり、『野良犬』(1949)のベテラン刑事、『七人の侍』(1954)の頭領格・勘兵衛など合わせて21本に出演。『生きる』ではニューヨーク・タイムズに「世界一の名優」と絶賛された。
同時に、東宝を中心に邦画各社の映画に重要なバイプレーヤーとして出演。演じた職業も科学者(『ゴジラ』1954、監督:本多猪四郎)、プロ野球監督(『男ありて』1955、監督:丸山誠治)、炭坑夫(『どたんば』1957、監督:内田吐夢)、高利貸(『裸の町』1957、監督:久松静児)、厩務員(『花の大障碍』1959、監督:島耕二)など多岐にわたる。
渥美清主演の『男はつらいよ』シリーズでは印刷工場で働く博(前田吟)の父を演じて、寅次郎に人生の儚さを諭してみせたし、高倉健の人気シリーズ第12作『新網走番外地 流人岬の血斗』(1969、監督:降旗康男)では、囚人たちの更生に情熱を注ぐ造船所社長(モデルは「四国の船舶王」坪内寿夫)に扮し、“男が惚れる”健さんに惚れられる存在となっていた。
現在、東京・京橋のフィルムセンター展示室では「生誕110年 映画俳優 志村喬」が開催されている(12月23日まで)。 11月15日までの期間には代表作の特集上映もあるので、今年の秋は“日本の父”の魅力をたっぷり味わってみませんか。 (NPO法人働く文化ネット「労働映画百選通信」No.01より)
(しみず ひろゆき、映像ディレクター・映画祭コーディネーター)
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●労働映画短信
◎働く文化ネット第23回労働映画鑑賞会—『友子<ともこ>儀式』(江戸時代からの古いしきたり、炭鉱夫の友愛組織「友子制度」の伝統儀式再現記録)/11月12日(木)18:30〜/神田駿河台・連合会館2階201会議室 <http://rengokaikan.jp/access/> /参加費無料・申込不要
労働映画鑑賞会は2月・8月を除く毎月第2木曜日に開催しています。
◎働く文化ネットでは、日本映画百年の歴史が産んだ「労働映画」の中から100本を選び、日本の労働映画の豊かな世界を明らかにする作業を進めています。
詳しくは働く文化ネット・労働映画スペシャルサイト http://hatarakubunka.net/ 参照。
◎「労働映画アンケート・あなたの注目労働映画は?」/Webアンケートにご協力ください。 http://hatarakubunka.net/ または、「労働映画事業」で検索!/11月末まで受け付けています。