【コラム】
槿と桜(47)

箸と匙 ―― 韓国と日本

延 恩株


 「箸」という物を辞書風に説明しますと、「東アジア地域で広く使われている食器の一つで、食べ物を口に運ぶための細い棒状の道具であり、同じ形態の2本一対になったもの」ということになるのでしょうか。
 この程度まででしたら、日韓の若者たちでも説明できるだろうと思います。でも使われている材質となりますと、日本の若者なら「木、竹」など主に木製の箸を、韓国の若者なら「ステンレス、銀」など主に金属製の箸を思い浮かべて、箸の捉え方が分かれるだろうと思います。
 箸の材質としては、この他にプラスチック、鉄、象牙等々で作られた箸もあります。
 いずれにしましても箸は口の中に入れますから口中を傷つけないように表面を滑らかにすることもあれば、合成樹脂などでコーティングすることもあります。日本では漆を塗った高級な箸などもあります。

 私は職業柄、日本の学生から次のように質問されることがあります。
 「日本も韓国も中国からの文化的な影響を受けて箸を使いますが、中国、韓国の箸はどちらも使いづらいです。特に韓国の箸はなぜ金属製なのですか。それに食事では箸だけでなくスプーンも必ず一緒に出てきますね」と。

 このように質問する学生には、当然、日本の箸とその使い方がしっかり認識されていて、しかも韓国や中国も箸の形状や使い方は同じだという誤った固定認識があるからです。こうした質問は実は学生だけではなく、多くの日本の方がなんとなく感じているものだろうと思っています。ここには単に箸そのものだけでなく、まさに箸に関わる食文化や習慣の違いがその背景にあることをよく教えてくれています。

 韓国風の食事と箸の使い方に慣れていた私からしますと、来日当初は戸惑うことばかりでした。日本の箸は日本の食文化と結びついて独特の箸文化を育ててきていて、中国、韓国とも決して共通枠ではくくれない独自の箸文化を持つ国になっていると思っています。こういう私も最近ではかなり日本式の箸の使い方に馴染んできてしまっているのですが。

 そもそも世界で箸を使って食事をする人は全人口の3割、ナイフ、フォーク、スプーンで食事する人が3割、残りは手で食べていると言われています。食物や調理法の違いが大きな要因であることは想像がつきます。ところが世界全人口の3割が使う箸はすべて同じ使われ方をしていると思っていますと、私が来日当初抱いた日本の箸への大きな違和感になったり、先述した学生のような韓国の箸に対する違和感が生じることになるのでしょう。

 おそらく日本の方は無意識に箸を動かしていると思いますが、「はさむ、運ぶ、つまむ、巻く、切る、すくう、割る、押さえる、混ぜる、はがす、広げる」といった動きを日本の箸は行っているのです(まだあるかもしれません)。日本の箸は非常に多くの役割を果たしているのです。
 どうやら日本の箸は食べるために必要なたくさんの機能を与えられているため、中国、韓国の箸よりも短く、軽く、先端が尖った形状になったのでしょう。いろいろな機能を果たすためには、指を動かし易くして、微妙な操作にも対応できる必要があったからです。ちなみに箸の長さでは中国がいちばん長く、ついで韓国、日本の順です。そして中国の箸の先端は円柱形が多く、韓国の箸は四角形(円柱形もあり)で先端もやや細くなった四角形か長方形(円柱形もあり)です。

 私の日本の箸に対する来日当初の違和感はすでに述べましたが、それだけでなく、さらに馴染めなかったのは、ご飯茶碗を手に持って、箸でご飯(特にお粥と汁物)を「まとめて」「はさみ」口に「運ぶ」という動作でした。
 日本の食卓にスプーン(レンゲ)が並ぶのはカレーやシチュー、スーププレートで出されたスープを飲むなど、ごく限られたときだけで、多くの場合は箸だけです。でも韓国では違います。大きく違うと言っていいと思います。

 韓国には「スジョ」という言い方があります。これは「숟가락」(スッカラッㇰ スプーン)と「젓가락」(チョカラッㇰ 箸)を合わせた言葉で「箸とスプーン」を指します。韓国では「수저」(スジョ)として、一つの言葉のように使われていることからもわかりますように、食事には必ず箸とスプーンが並びます。しかもスプーンが主役で、日本のように箸は主役ではありません。日本の方は驚くかもしれませんが、ご飯もスプーンで食べて、箸は基本的には使いません。日本の食事風景で箸の主要な役割であるはずの〝ご飯を「まとめて」「はさみ」口に「運ぶ」〟という動作がないのです。

 では箸の役割は?
 箸は基本的には皿に盛られた料理をつまむときに使います。おかずをつまんだ箸を直接、口に持っていくこともあれば、いったんご飯の器に乗せて、スプーンでご飯と一緒に食べることもあります。お椀類に入った汁気のある料理は当然、スプーンを使います。なぜご飯をスプーンで食べるのでしょうか。この謎解きには韓国の食事文化を知る必要があります。

 韓国では食事の際、器を持って食べてはいけないという、もっとも原則的なルール(食事作法)があるのです。日本のようにご飯茶碗やお椀を手に持って食べたり、飲んだりするのは礼儀に反していると見られます。ですから箸では食べにくく、おのずとスプーンで食べる、飲むという動作になるのは理にかなっているのです。

 言うまでもありませんが、日本で、特に和食をいただくときに、この韓国式の食べ方は特殊な状況を除いてありえません。日本では通常、箸以外に食べる道具は食卓に出てきませんから、私も来日当初は違和感と抵抗感を持ちながら、茶碗やお椀を手に持って食べたものでした。でも日本での生活が長くなって、今や日本式の食べ方にも抵抗感はすっかりなくなっています。

 確かに日本の箸は中国、韓国のそれより短く、木製がほとんどで、軽くしかも先端が尖っていますから、たとえば魚の皮を取り、身をほぐし、細かな骨を取ったり、抜いたりするのには非常に優れていると思います。韓国の箸では先端が尖っていませんし、鉄やステンレス製がほとんどですから細かな骨などを取ることなどには不向きです。また日本のお味噌汁の具には様々な材料が使われます。薄い、柔らかい、ぬめりがあるといった具材をしっかりつかむ必要があり、これまた日本式箸は大変有効です。

 私も韓国風のスープはいろいろ作りますが、使う道具はスプーンが主で、わざわざ箸を使って具材を食べることはあまりしません。私が韓国料理を食べるときには汁ものは当然ですが、ご飯もスプーンを使います。この時ばかりはスプーンが主、箸は従の韓国式食べ方になっているというわけです。
 ついでに言いますと、韓国ではスープにご飯を入れるのは日本とは違って、ごく日常的な食べ方です。日本ではたとえばみそ汁にご飯を入れて食べますと、「猫飯」(ねこめし、ねこまんま)などと言われてしまい、行儀が悪い食べ方になるのですが。

 さて冒頭で触れましたように、韓国の箸はなぜ金属製なのかということです。
 もともと王侯貴族など韓国の支配階級が毒殺などを恐れて銀製の食器を使った(毒に触れると変色する)ことから銀をはじめ真鍮など金属製の箸の使用が始まったと言われています。また韓国は木材や竹が日本ほど豊かでなかったこと、さらに壊れにくい(折れにくい)材質が好まれたこと、キムチなどの唐辛子を使った料理が多く、洗うのに都合が良い(熱湯消毒に適している)等々の理由からのようです。

 韓国と日本の箸の違いは木製と金属製の違いだけではありません。日本の箸は各人が専用箸を持っています。また男女、子どもによって箸の大きさが異なります。ですから「夫婦箸」(めおとばし)や個人名を刻んだ箸もあります。また一膳の箸専用の箸箱といったものまであるようです。
 韓国は日本ほどでないにしても、「夫婦箸」(めおとばし)など特に、「銀の夫婦箸」は結婚や還暦など祝いのプレゼントに人気があります。日常的にはステンレス箸を使用していますが、一般家庭だけでなく食堂などお店でも近年は割箸よりポピュラーです。

 もう一つだけ、日本と韓国(中国)と大きく異なる箸の使い方があります。「取り箸」がそれです。日本では食卓に大皿で並んでいる料理は自分の箸(直箸 じかばし)では取らずに「取り箸」を使うことです。韓国にはこの「取り箸」がありません(最近はこの「取り箸」を使おうという動きもあるようですが)。
 ここには箸だけではないもっと大きな文化的背景が関わっているように思っているのですが、この点につきましてはまた機会を改めることにします。

 箸という共通の道具を使いながら、戸惑いや違和感を覚えた私の経験が教えてくれたことは、民族が積み重ねてきた文化的な歴史の積み重ねの違いは、それを真摯に受けとめなければならないということでした。箸と箸文化の違いの認識から、やがてその違いを認め合うことで、箸文化の融合への道を歩み始めるきっかけになる可能性は否定できないと思っています。

 (大妻女子大学准教授)

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