■【北から南から】

続続中国病院事情 ~ 入院編        佐藤 美和子

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  2回連続で中国病院事情を書きましたが、今度は中国病院事情の最終話、入院
編です。
と言っても、私自身は中国どころか、日本でも入院したことがないほどの健康
優良児。この見聞は、ウチの相方がローカル病院に入院した時のお話です。

 数年前、相方がごく簡単な手術のため、2週間ほど入院することになりました
。しかし、最初の診察からして、外国人には良く分からない展開で話が進んでい
ったのでした。

 中国は、とにかくコネ社会です。何はなくとも顔が広くてコネさえあれば、ど
んな難題だってクリアできちゃいそうな勢いのお国柄です。北方出身で、広東の
医療事情に疎い相方は、友人知人に評判のよい病院や腕のよい医師を知らないか
と尋ねまわりました。結果、地元広東出身の友人が腕の良い外科医を紹介してく
れ、まず病院の外でその医師と食事をしながら顔をつなぐ場が設けられました。
それから改めて診察を受けにいくのですが、もう既に医師とは『知己の間柄』な
ので、何かと優先的に、とても親切丁寧に診察や検査をしてもらえます。検査の
結果、手術入院が必要となったのですが、常に病床が不足している中国の病院。
しかしここでもコネの威力が発揮され、優先的にベッドを押さえてもらえました
。うーん、さすがだわ。

 入院初日、初めて中国の入院病棟に足を踏み入れた私がまず仰天したのは、病
室からあふれた大勢の入院患者さんたちでした。なんと、病棟の廊下で!入院生
活を送る人々がいるのですよ。廊下ですから、当然カーテンも何も、視界を遮る
ものはナシ。大勢の患者や見舞い客や病院スタッフが行きかう通路に、壁に沿っ
てずらりとベッドがむき出し?に並んでいるのです。プライバシーっていうか、
うわぁ寝相や寝顔がまるみえだぁ・・・・・。

 そこの病院では廊下だけでは足りなかったのか、エレベーターホールにもベッ
ドが並んでおりました。初めて訪問した病棟で、エレベーターが目的の階に着い
てドアが開いた途端に就寝中の患者さんが視界に飛び込んでくるその光景、事情
を知らない人にはかなりの衝撃ですよ。もちろん廊下組みの入院費は、部屋代が
かからないので割安です。なので、懐が厳しいために、自ら廊下入院を希望する
人もいるとか。でも冬だったら寒くて風引いちゃったり、大勢の人が行きかう中
では院内感染の危険性が高まったり、だいたいそんな騒がしい廊下で、落ち着い
て治療に専念できるものなのでしょうか???

 次にビックリしたことは、看護士さんの役割についてです。看護士とは、診療
の補助をし、時には入院患者の日常の世話もしてくれるのだと思っておりました
が、中国ではまったく純粋に診療補助のみ!がその役割のもよう。入院患者の食
事の世話、手術後で歩行が困難な患者のトイレ介助、そういうものには一切ノー
タッチです。どうやら中国では、身内などが常にベッド脇に待機して世話するも
ののようです。

 かと言って、中国の病院システムすら分かっていない外国人の私が、一人で24
時間相方に付きっ切り介護をするのはまず無理です。そんな身内などの介助が望
めない人には、介護人のアルバイターを病院で紹介してもらえます。たいていが
中年女性で、糊の効いていない白い割烹着と白い帽子をかぶっています。ベッド
脇の椅子に待機して、1日8時間体制で付き添ってくれるのですが、24時間介助が
必要な人は3人の介助人を3交代で雇ったりもするようです。料金はうろ覚えなの
ですが、1日8時間で50元(約760円)だったかな?彼女たちは特に医療知識があ
るわけでなく、患者の替わりに病院食を取ってきたり、トイレ介助したり、頼ま
れて買い物をしてきたりといった簡単な世話のため、こんなに給料が安いのだそ
うです。といっても、1日50元で一ヶ月25日も働けば1250元(約19000円)。工場
勤務のワーカーさんたちの月収(残業代含む)を上回るくらいにはなります。

 ウチの場合は日中のみ、一人の介護人をお願いしました。しかしながら、まず
い病院食を嫌がる相方のために、友人が毎朝お粥を届けてくれていましたし、昼
間は私が病院に通っていたため、ウチが頼んだ介護人さんはラクな患者に当たっ
たとホクホクでした。初日に、私が帰宅する時間までなら休憩してきていいよと
言ったら、段々サボり癖や甘えがでたようで、私の姿を認めた途端、まだいいよ
と言っていないのにサッサと遊びにいっちゃうし、戻ってくる時間も遅刻が日増
しに延びていくんですよね~。うーん、典型的な中国人的お仕事振り(笑)。

 相方の入院していた部屋は3人部屋で、隣のベッドは高齢のおじいさんでした
。東莞の田舎の方から入院のためにやってきた人で、日中は孫らしき青年が片時
も離れず付き添っていました。もう一人はどこか田舎のお役人?有力者か何かの
ようで、毎日毎日、ひっきりなしに見舞い客が来ていましたね~。相方がいうに
は、見舞い客のほとんどがこのチャンスに『袖の下』を渡すために来ているので
あって、決して彼の容態を心配してきているのではないそうです。差し出された
袖の下を遠慮しますと押し戻したり、いやいやぜひ受け取ってくださいなと押し
返したりの大騒ぎで、確かに周囲の迷惑を顧みない、かなり非常識な見舞い客た
ちだったかも~。その人の入院中に差し出された袖の下、一人当たり少なくとも
数百元は包まれているはずなので、彼は一回の入院で少なくとも○万元は儲けた
ね~なんて相方は言っていました。おいおい、君は入院中に何を観察していたん
だ(笑)?

 袖の下といえば、中国ではまだまだ執刀医に『紅包(心づけ)』を渡すのが一
般的です。それをする事で、腕のよい医師が執刀してくれたりするのだそうです
。余り大きな声で言える行為ではありませんが、『入郷随俗(郷に入っては郷に
従え)』ということで、私も執刀医と看護士さんたちに、香港にある和菓子屋の
源吉兆庵で菓子折りをいくつか買って用意しました。看護士さんたちへは相方が
ナースセンターへ、皆さんでどうぞと差し入れに行ったのですが、ゼリー寄せや
餡餅や砂糖菓子などが一つ一つキレイな包み紙に包まれた日本の和菓子を初めて
見たと喜ばれたらしく、その後のサービス過剰振り?はこちらが戸惑うほどだっ
たそうです。

 先に書いたとおり、看護士さんは入院患者の生活介助にはノータッチです。な
ので看護士さんが病室に現れるのは、検温、点滴、患部のケアの時のみ。なのに
、差し入れ後はナースセンターの看護士さん全員が入れ替わり立ち替わり顔を見
せにやってきて、その後も数時間ごとに 「どうですか?何かお変わりはないで
すか?困った事があったらいつでも言ってくださいね!」 と様子を見に来てく
れるようになったとか。

 ある夜のこと、相方の隣のベッドのおじいさんが苦しそうにし始めました。昼
間は付きっ切りの孫らしき青年も夜には帰ってしまうので、おじいさんは自分で
ナースコールを押しました。が、何度押しても誰もやって来ないのです。ゼイゼ
イと息遣いが荒くなっていくのを見るに見かねた相方が、自分のベッドのナース
コールを押した途端!数人の看護士さんがすっとんできたのですよ!嗚呼、なん
と現金な人々・・・・・。相方が看護士さんに隣のおじいさんが苦しそうだと伝えた
ら、渋々といった様子でケアをし始めたそうです。

 それまでも、毎日点滴をしているおじいさん、点滴の残量が減ってきたら看護
士さんに次の輸液と交換してもらわねばならないのですが、付き添いの青年が何
度もお願いして、輸液がなくなる直前にやっと来てもらえていました。点滴終了
の時は、看護士さんに来てもらう事はすっかり諦めて、自分たちで点滴の針をは
ずしていたとか。もしかしたら、看護士さんたちの仕事量や担当患者が多くて大
変なのかも知れません。でも・・・・・。

 そんな驚きの連続だった入院も無事終わり、退院の日がやってきました。
中国の病院では、パジャマは病院指定のものを借りなければなりません。入院費
には、パジャマの洗濯代や使い捨ての下着代も含まれているのです。病院のパジ
ャマを脱いで自分の服に着替える相方の横で、私はベッドシーツを整えゴミを捨
て、布団やパジャマを畳んでまとめていました。ふと気づくと、他のベッドの人
やその見舞い客たちが、私を指差してなにやらウワサ話をごにょごにょしている
のです。えっ、何か問題でも?と戸惑っていると、見舞い客らしき中年女性が相
方に話しかけてきました。
  「ねえ、その人日本人なんでしょ?あぁやっぱりね。アンタもう退院して出て
行くんだし、お金だって払ってるんだからそんな布団なんてほっぽって行けばい
いのに。それでもちゃんと畳むのねぇ、やっぱり日本人は違うわね」

 えっ、皆さんそんな事に驚いていたんですか?!と私にすればこっちの方が驚
きなのですが、実は毎日の私の様子、そんな彼らにずーっと観察されていた模様
です。えーっ?
外国人なのに毎日見舞いにやってきて、一口大に切った毎日違う果物やスープを
タッパーに入れて用意してきたり(食事制限のために、そんなものしか食べさせ
られなかったのですが・・・・・えーっ、タッパーの中身まで見られてたの~?
!)、タオルでの清拭やお湯を用意して足を洗うのを手伝ったり、そんな事をす
る間も同室の人が寝ていれば音を立てないようにそーっと動いたり、話すときも
小声で他の人に気を使ったり、他の患者の見舞い客が大勢いれば、各ベッドに2
脚ずつ用意されている椅子を一つ譲ってあげたり、とにかく私にとっては普通に
していた事一つ一つが、彼らには驚きの外国人像だったようなのです。

 さすがに私がいるときには誰も何も言いませんでしたが、私の帰宅後はそんな
私の行動について、ちょくちょく相方に話しかけられていたとか。入院患者はぐ
ったりしているので?大人しいものの、見舞い客たちの大半はとにかく騒がしく
て傍若無人だなぁと思っていたのですが、へ~見ることは見ていたんだ・・・・
・でも、気づいていたなら何で我が振りを治そうと思わなかったんだろう?とい
う疑問はちょっぴり残るのですが、まぁ日本人に対するイメージを少しでも変え
てくれたなら、よかったと思うべきなのでしょう。短いなかにもディープな中国
がみっちり体験できた、中国入院事情でした。

                  (筆者は在中国深セン・日本語講師)

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