【アフリカ大湖地域の雑草たち】(39)

線香花火

大賀 敏子
 
 I 若者だけではない
 
 全土で政治の季節
 
 ケニア全土で抗議行動が続いている。2024年財政法案に反対して、2024年6月18日にデモが始まって以来だ。法案には大幅な増税案が含まれていた。ルト大統領は法案の白紙撤回と内閣改造で応じたが運動は沈静化せず、治安部隊との衝突で、すでに60人以上が命を落としたと伝えられている(2024年8月8日現在)。
 「今回のデモは「Z世代」と呼ばれる若年層らが中心的に起こしているとされている。こうした世代が失業や日々の生活苦に悩」んでいる(JETROビジネス短信、6月28日)。
 「抗議デモは、生活費の高騰にあえぐ若者を中心に各地で続」き、「食料や燃料など生活費の高騰にあえぐ若者らを中心に政府への反発は強」い(NHK、7月3日)。
 確かにそのとおりなのだが、それだけだろうか。
 
画像の説明 
 Photo/TKT© Provided by The Kenya Times, 30 July 2024
 
 僕も行ったよ!
 
 筆者の知人にもデモに参加した人が少なからずいる。運動開始当初で暴力化する前だ。職業も家族もあり、若者と言うほど若くはない人たちだ。「仕事のないヒマな人たちが騒ぎを起こしているだけ」と考えていた筆者に対し、いやそうではない、「僕も行ったよ!」と。平日の昼間で職場を離れられなかっただけで「空いていれば私だって行きたかった」という人もいる。
 そもそも人口の4分の3近くが30歳以下である。人が集まれば、自ずと若者が集まっているように見える。
 
 いままでとはまったく別もの
 
 デモの集合日時と場所、ドレスコード(黒、マスク)、持ち物(プラカード、ケニア国旗など)といった情報が、インスタグラムやXで流された。主張を簡潔にまとめたビデオクリップも幅広く出回った。それも、英語、スワヒリ語ばかりか、キクユ、ルヒヤ、ルオー、マサイ、ソマリといった主だったエスニックグループの言語ごとに別々のビデオがつくられたというきめ細かさだ。ケニアには50を超えるエスニックグループがある。
 普段どおりスマホを見ていただけの多くの人々が、このような情報は他人事ではなく、自分に向けられたものだと受け取った。一年前の財政法案も抗議運動をまねいた(2023年7月)が、これは野党主導で、いわば、「よくある」「いつもどおりの」政治抗争だった。今回は、野党が組織立った動きを起こすよりなにより、スマホの情報拡散能力がはるかに迅速で、人々を行動に駆り立てたようだ。
 「エスニック対立ではぜんぜんなく、増税案反対という明確な争点がある(つまり、issue-based)。その意味で、これまでの政治抗争とはおよそ別もの」
 親しい50代のビジネスパーソン(女性)の評価だ。少なくとも初めのうちは、と断りながら。
 
 II 歴史とコンテクスト
 
 経緯あっての抗議行動
 
 ケニアはこれまでも何度か政治の季節を迎えてきた。
 大きな事件だけを取り上げても、たとえば1990年、政権党独裁に対する抗議運動が高まり、それは翌1991年の複数政党制導入へとつながった。2002年、モイ長期政権に代わってキバキ新大統領が選挙で誕生し、就任式には数十万人がはせ参じた。そのわずか5年後の2007年、選挙結果の是非をめぐってエスニック抗争となり、犠牲者は少なくとも1000人、国内避難民は数十万人を超えた。独立以来最悪と言われたこの大混乱がきっかけとなり、統治形態の抜本的改革が進められ、それは2010年8月の国民投票と現行憲法制定をもたらした。
 このような経験あっての今回の抗議運動だ。
 
 大活躍
 
 2022年8月の就任以来、ルト大統領は、活発で目に見えやすい外交を展開してきた。例をあげれば、2023年9月、アフリカ気候サミットのホスト、2023年10月、英国王チャールズ3世公式訪問の受け入れ、2024年2月、公式実務訪問賓客としての日本訪問、2024年5月、アメリカの公式訪問、2024年6月、ハイチ国連多国部隊を主導するケニア警察の派遣(オルタ広場2024年4月号拙稿)がある。
 アメリカ訪問は国賓扱いで、アフリカの国家元首としては15年ぶりだったとのこと。経済、安全保障など多岐にわたる二国間協力が協議された。
 訪日中は皇居宮殿で天皇皇后両陛下の昼食会(2月9日)があり話題になった。天皇は2010年、皇太子としてケニア来訪されたことがあるので、会話が弾んだことだろう。
 
 庶民感情
 
 大統領のこのような仕事ぶりは、外交や政治の専門家でなくてもわかりやすい例である。
 わかりやすいとは、「あんなに飛び回って、旅行費用は税金なのに」「フルコース・ディナーかぁ、食べてみたいな」「やけに立派な靴を履いてるな」……庶民ならこういうことが一つ一つ気になるものだ。
 そのうえ増税案を示されたら、にわかには承服しかねる、それも致し方ないのではないか。ひとたび政権につくと為政者たちは、そこでの課題に追われるばかりで、庶民感情を忘れてしまうのだろうか。
 
 III 地殻変動
 
 投票より寝たい
 
 ルト大統領が選出された2022年選挙も、恒例に従って、あらかじめ投票日は全国で休日とされた。投票しやすくするためだが、「投票なんてメンドクサイ、むしろゆっくり寝たい」と言う人も、特に都市部では少なくなかった。ところがその同じ人たちが、今回は「デモは憲法で保障された民主的権利だ」と反論の余地のない正論を心得て、通りに出てきた。
 その動機は何だろう。失業、生活苦といった、目先の課題にとどまらず、腐敗、不公平感、頼りにならぬ公権力など、社会体制のゆがみへの反発ではないだろうか。そしてさらにその奥にあるのは何だろう。投票に行かないからと言って、民主主義という仕組みへの期待を失ったわけではなく、その中でこそ行使できる権利があるのだという、健全な権利意識ではないだろうか。
 
 まじめな国民
 
 この意味で、ケニア人は一般に、まじめだし人生に前向きである。それもそうだろう。独立以来、教育に何よりも熱心に力を入れ(小学校就学率は90パーセント超(2018年))てきたのは、ものごとの道理をわきまえた社会人をつくりだすためではないか。社会に幅広くいきわたる信仰的背景も大いに影響しているだろう。
 こうして、今こそ立ち上がるときだという思いが、社会の底から、地殻変動のように沸き起こってきている。この意味で、アラブの春、さらにはフランス革命に匹敵するという声もある。
 
 IV 歴史の系
 
 今日は特別
 
 今回の動きは、筆者には2002年の政権交代時を想起させる。新大統領就任式がナイロビ中心部の広場で開かれた。ランチが出るわけでもないし、テレビ中継もあるというのに、これを生で見なかったら一生涯後悔するかのように、周囲の人たちが「今日は勘弁して」「用事は明日にしてくれ」「今日は特別」と、みないなくなってしまったものだ。あれは歓喜の集まりで今回とは性格を異にするが、どこか類似性を感じている。
 それは、老若男女、社会経済条件にかかわらず、多くの人が、自分は民主主義を担う国民だというアイデンティティーで行動を選択しているという点だ。
 
 民主化に20年
 
 さらにさかのぼって1982年8月、ケニアはクーデターを経験した。軍部がラジオ(Voice of Kenya)で政権掌握を宣言したものの、数時間で制圧された事件は、いわば一瞬の線香花火だった。複数政党制導入、民主的な政権交代までに、上述のように、それぞれ9年、20年も待たなければならなかった。
 42年前の、大多数のいまのケニア人にとって生まれる前の出来事が、いま改めて人々の話題になっている。これはなぜなのか。
 
 確かに上がった火花
 
 いま事態は刻々と進行中である。
 今回の抗議運動は、確かに「いままでとはまったく別もの」として始まった。しかし、与野党の政治指導者たちがいつまでも指をくわえて観ているはずはなく、いわゆる「いつものパターン」へと運動の性格が変わってきているという人も多い。
 市民たちの純粋な情熱の発露は、一瞬の線香花火だったのだろうか。評価には、10年、20年の時間がかかるのかもしれない。
 ただし、歴史は、小さな糸がたくさんたくさん寄り集まって連綿と続く系である。2024年、花火が一瞬でも、確かに、あがったことことは、けっして無意味ではないはずだ。
 
 在ナイロビ

(2024.8.20)
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