【編集後記】

加藤 宣幸


◎東京都議選での自民惨敗で「安倍一強」は急速に揺らぎ、7月の各社一斉調査で内閣支持率は大幅下落した。特に時事通信調査は29.9%と30%を割り、政権には最大の衝撃となった。慌てた官邸は休会中の審議を認めたりしたが、その後の毎日新聞(07.22)でも、内閣支持26%、不支持56%。安倍変わった方が良い62%(3月41%)、3期も続けた方が良い23%(3月45%)。加計政府説明信用できぬ76%、できる11%。と凋落傾向は続いた。この傾向は御用新聞も含めて約7%位の違いがあっても各社調査にそう大きな差がなく、支持率の下げ止まりか横ばいに政権がホットした程度だ。

◎安倍がうそぶくように「骨格は保持」したまま、野田聖子、河野太郎氏等の入閣、問題の防衛・法務・文科は首という内閣改造で支持率回復が図れるのか。歴代の政権は改造直後に若干の支持率アップがあっても結局は政権を維持できていない。かつて長期政権を誇った佐藤栄作は『改造するたびに権力は落ちる』と嘆き、剛腕官房長官として名高かった伊藤正義は『表紙を変えても中身を変えないと意味はない』との名言を吐いて政権を退いた。戦後、日本では内閣支持率が30%を切ると殆どの政権は支持率を回復できず崩壊した。これは森・福田・鳩山・菅・野田内閣と続いた内閣の後を見るまでもない。

◎今回の各紙調査で共通するのは安倍内閣の『政策を支持しない』よりも『安倍首相を信頼できない』という数字が比較的に高く、また女性の不支持が高いことだ。最新の朝日調査でも女性の支持が32%不支持45%と高い。女性の不支持が高いのは逆転し難いとプロの分析者は指摘する。今回のモリ・カケ・日報騒ぎで、安倍・役人がウソをついているのか、脅しをかけられた前川氏が何を訴えていたのか。国民は直接TVで見極めていた。10月にある二つの衆議院補欠選挙でどういう結果が出るのか。

◎72回目の8月15日が来た。私は技術系学生として徴兵を延期され、職場は陸軍が管理する大学の航空機燃料研究室だった。天皇の敗戦放送はよく聴き取れなかったが、その夜は電灯や窓の黒いカバーを取り外し、明るい電気のもとでもう死なくてよいのだという安堵に包まれた。戦地には行かなかったがほぼ3回直撃弾を受けたような状況をくぐって生きた。約300万人を超える日本人、数千万人を超す諸国の人々の犠牲は何だったのか。無意味な『いくさ』をしないために自分は何ができるのか。その思いを込めてささやかな市民メディア「オルタ」に取り組む。

◎私たちの「オルタ」は創刊14年で約370名の執筆者がおられ毎月30人位の方にご寄稿頂いている。今月も3人の方が加わって下さった。中野亜里先生は大東文化大学教授として東南アジア諸国(特にベトナム)の政治及び日本や諸外国との相互関係について考察され、先年も『ベトナム:勝利の裏側』(510頁)という大著を訳された気鋭の研究者だ。スマナ・バルア博士は毎月ご寄稿頂いている色平哲郎医師の親友で、拙宅にお二人でお寄り頂いたが、先生はWHO医務官としてアジア各地を走り回われた。日本では東大で博士号をとられたから日本語は御達者だが論文は英語なので翻訳は色平先生にお願いした。藤田恵さんはオルタ編集委員仲井富氏の長年の友人で、徳島県木頭村長時代には建設省の巨大ダム細川内ダムを中止に追い込んだ住民運動勝利の実績を持つ方だ。

【追悼】私たちの畏敬する日野原重明先生が7月18日105才で亡くなられた。7月29日付け朝日のエッセー『あるがまま行く』の最終回「読者の皆様に最後のごあいさつ」を寂しく読んだ。この連載は何年も愛読し毎回『生きる』とは何か、を教えられた。2001年義母加藤シズエが死去した時、枕元で長いお話をして頂き、また知人の竹下一雄氏から三高の先輩として定期的に先生を囲む会の様子を聞くだけではあったが私には生きる鑑だった。先生、有難うございました。

【日誌】7月20日:オルタ7月号発信。糖業会館ホール・『なぜ聖徳太子はいなかったのか』・室伏志畔。21日:プレスセンター・宇治敏彦・小榑雅章。23日:自宅・加藤公男。26日:自宅・金子達昭 ・加藤真希子。28日:自宅・プログレス研究会・納涼会・山口希望他10名。

8月3日:長野・地域連帯研究会・盛岡正博・大日方大治・色平哲郎・小暮剛一他。4日:松本・加藤真希子。5日:塩尻・小松正。6日:自宅・仲井富。7日:医科歯科大・検診。8日:自宅・仲井富。9日:自宅・浜谷惇。10日:九段坂病院・検診。11日:自宅・生江明・大島寛・加藤デイマ他。

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