【編集後記】

加藤 宣幸


◎『あきらめるな光に向かってはって行け!』サーロー節子
この言葉は、被爆者のひとりとして生き残り核廃絶を72年間世界に訴え続けてきたサーロー節子さん(カナダ在住)が、12月10日オスローでの国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)のノーベル平和賞受賞講演で述べたものだ。彼女は今年の国連核禁条約討議でも、そのスピーチが世界の代表たちの心を強く打った。なんといっても14歳で被爆し眼前で母や甥を無残に奪われながらも生き抜き、多くの被爆者と共に絶対悪の核兵器廃絶を訴えつづけてこられた方の発言は重い。人類が次の一歩を踏み出そうとした核禁止条約討議の国連議場でその時、日本の代表席は空席のままで寂しげに大きな折鶴が置かれていた。この日本代表の情けないあり様には多くの人々が限りない無念さを感じた筈だ。私たちは闘いつづける節子さんや多くの被爆者たちとともに核兵器廃絶の日までくじけずに進んでいきたい。

◎ 2017年11月5日、東京・横田米軍基地に米国大統領機が着陸し、トランプ大統領は米軍兵士を激励した後、すぐヘリコプターに乗り換え安倍首相が待つゴルフ場に向かった。トランプ大統領は「公式実務訪問賓客」としての初訪日であり、外交儀礼としても日本の表玄関である国際空港でなく治外法権下にある米軍基地に直接乗り付けるという作法はない筈だ。1945年8月30日、コーンパイプをくわえたマッカーサー元帥が悠然と厚木飛行場に降り立ったが、72年たった今でも日本の風景は違わない。驚いたのは、この異常さに大手メデイアや政界から大きな批判が起きなかったことだ。大統領機が飛んだ「ハワイ→横田→霞が関カントリー→六本木ヘリポート」コースは米軍専用の横田空域で日本の航空機も米軍の許可がなければ飛べない。かつて石原都知事がこの空域の軍民共同利用を提起したが立ち消えになった。私たちは首都圏を覆う空域の変換縮小そして日本を縛る日米行政協定の改定を要求し続けたい。

◎ 去る10月の総選挙では、右翼の漫画作家小林よしのり氏や右翼団体一水会顧問の鈴木邦男氏が新宿西口で大群衆を前に立憲民主党候補の応援に熱弁を振るった。市民と共に共産党を含めた共闘を丁寧に創りあげた北海道・新潟・沖縄と、共闘が組めなかった福岡との結果の違いは誰が見ても大きかった。私たちは、この事実の上に立って幅広い無党派市民層は勿論、共産党から対米自立を主張する右翼といわれる人々まであらゆる人々との大胆で丁寧な選挙共闘が勝利の鍵であることを訴えたい。これを仲井富氏が具体的な数字を挙げて分析した。

◎ 6月には野党から憲法53条に基づく臨時国会召集の要求があったのに3カ月も引き延ばし、ようやく開いたら冒頭解散だった。選挙が終わり、やっと開いた特別国会は12月9日閉会したが、野党の質問時間は大幅に切り詰められ、党首討論もなく誠実な答弁どころか安倍首相がモリカケから逃げ惑うばかりの醜態だった。それでも議席の数は小選挙区の魔術で三分の二を確保し、安倍はいよいよ憲法改悪に乗り出す構えだ。私たちの方も幅広く仲間を組んで、平和国家を護らなくてはならない。巻頭ではオルタ執筆者である有田芳生参議院議員から民進党を離党し立憲民主党に入党する決意をお聞きし、さらに羽原清雅・横山泰治氏からは改憲の動きに対する私たちの取るべき構えを論じて頂いた。緊張する朝鮮半島では絶対に戦争を起こしてはならない。何を仕出かすかわからないトランプ大統領にひたすら媚びるだけが日本の進む途ではない筈だ。

【日誌】11月21日:プログレス研究会・苫米地・藤生・岡田(一)・斎藤。24日:自宅・藤田裕喜。

12月3日:国立近代美術館。自宅・羽原・荒木・竹中・仲井。4日:仏教に親しむ会・竹中・浜谷・山田。5日:自宅・仲井。6日:毎日ホール・ユーラシア動向セミナー・茅原郁生他。7日:自宅・トレーラー打ち合わせ・白井・高橋。8日:自宅・岡田充・朱。9日:連合会館・ソシアルアジア研究会・矢吹晋。池袋・有田芳生忘年会。10日:自宅・加藤公男。12日:水道橋・観能の会・竹中。13日:議員会館・有田芳生ビデオ取材。18日:学士会館・北東アジア動態研究会・柳沢協二。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧