【横丁茶話】

罪なきもの石もて女を打て―内村鑑三と浅田タケ   西村 徹

●悪の張本人、羊の皮を着た狼

 内村鑑三の「ことば」について鈴木範久という宗教学者が解説するのをテレビ
で見た。というか聞いた。内村鑑三にも無教会にも格別の興味があるわけではな
かったが、知人に無教会の人がいて、それでちょっと付き合い気分で、この番組
を見ただけのことである。NHK-Eテレで第三日曜の午前5時「こころの時代」
という番組があって、話しはまだこれから何回か続きがあるらしいから短兵急に
はいえないが、4月21日第1回のなかで、一つ、細かくいえば二つ三つ、どうにも
解しがたいところがあった。はっきり言って不快に思うところがあった。

 鑑三は両親、とりわけ母の猛反対する結婚を敢行した。安中の教会で新島襄に
よって洗礼を受け、後に京都の同志社女学校などに学んだ知性の高い女性と恋に
落ち結婚した。女性の名は浅田タケ。双方23歳のときである。そして八ヶ月で離
婚した。

 離婚だけが不幸とはかぎらないし離婚しないでいる不幸もある。離婚の幸不幸
を一概にはいえないが、ひとまず両方が不幸な離婚の場合、それは当事者双方に
それぞれの理由があってのことであろうから、片方のことだけでは本当のところ
はわからない。さりとて、ここでは鑑三のことばを主題にしぼっているのだから、
当事者のもう一方浅田タケをも均等に論じるべきだとまで言うつもりはない。

 そのつもりはないが、さて鑑三は、宮部金吾宛の手紙でつぎのように打ち明け
ていて、それを鈴木範久氏は鑑三のことばのひとつとして選びとって解説してい
る。

 【僕のカミ以外だれにもわからないつらい苦しみを味わされた。僕は長期にわ
たり、その苦しみのもとを探したが、なにも見つからず、責めは僕にあると思っ
ていた。ところが最近になり、我が家を長い間煩わせていた秘密が明らかになっ
たのだ。ああ!ああ、それは僕を助け、慰め、力を貸してくれる人であると思い
込んでいた「彼女」が悪の張本人であり、羊の皮を着た狼であるとわかったのだ。
よき妻を望んだ僕の祈りは、その正反対のかたちで報いられたのだ。父なる神よ、
僕は何をしたため、これほどの厳罰を受けるのでしょうか。】

 鈴木氏はもっぱら鑑三に寄り添って鑑三の苦悩を述べるのみで、タケの側の言
い分にはまるで触れない。鑑三の意識の上でも、鈴木氏の意識の上でもタケの人
格上の位置づけは使用人並み、あるいはむしろそれ以下である。触れているとす
れば、農商務省の役人として長期の出張で留守勝ちになる鑑三不在の家を守って、
結婚に反対した姑らといっしょに暮らすのだから、なかなかそれでおさまる女性
ではなく、鑑三が期待した明るい「ホーム」(クリスチャン・ホームということ
であろうか)には程遠い、暗い陰湿な家庭になったと言うにとどめている。

 タケを離縁放逐した鑑三は家財を売り払い、その上に借金までしてアメリカに
行く。エルウィンの養護施設で知能障害者の世話係をしながら、その鑑三が世話
をする障害者からジャップという「差別語」を浴びせられたりする。鈴木氏によ
ると鑑三は、それを「親の意志を無視してある女性に夢中になって、親も神もみ
んな忘れたように無視して自己中心の生活に走った罰と受けとめた」という。

 おやおや、今になって親も家も捨てるくらいなら、予想に反して家庭が暗いと
気付いたとき「責めは僕にあると思っていた」のなら、タケを連れて親の家を捨
てることをどうして考えなかったのか。自己中心の生活を選んだ罰には、タケを
気遣うことのなかった罰は含まれないのか。この男はどうやら自分の罪を数える
には数えるが、それすらも自己中心的に取捨選択して数えているように見える。
「粗悪な自己愛が孤独を牢獄に変える」とツァラトゥストラはいう。牢獄では目
がくらんで自分が見えなくなる。

 煮え切らなさは後年の不敬事件にも見られる。第一高等中学校の式典で天皇の
署名にお辞儀をしたとかしなかったとか。彼以外のクリスチャン教師は行かなか
った。行かなくてもいいのにわざわざ出かけて、そして鈴木氏によると「お辞儀
したようなしなかったような」どっちつかずの態度をとったという。つまりごま
かそうとした。どたん場で臆病風が吹いた。

 札幌農学校では「信者の誓い」Covenant of Believers に不承不承署名した。
しなければ退学しなければならなかったからだ。世俗的に十分理解できる。しか
し一高では出席しなくても辞職はしなくてすんだはずだ。それをあえて出席して、
そしてごまかそうとした。直情の人のようにいわれるが怪しい。大阪府立の高校
では橋下知事が教員に君が代斉唱を強制した。知事は、歌いたくない人は席を外
すなどの便法があると言ったが、処分を承知で出席して歌わず起立しない教員が
いた。違いは大きい。

 私は内村鑑三を直かに読んだことがない。『代表的日本人』という修身教科書
のようなものを読んだ以外には間接的、断片的にしか知らない。新渡戸稲造の
『武士道』、岡倉天心の『茶の本』と並んで、ひとまず読んでおこうかというほ
どのいきおいで読んだだけである。読んでいない以上、当面する事柄以外につい
ては何を言う資格もないし言う気もない。しかし読んでいないから先入観なしで、
却っていっそう、これら二つ三つのことについて私は疑念を抱かずにはいられな
い。

●身勝手鑑三

 ひとつは鑑三の、他を難じて己を顧みる気配のない点である。「慚愧の心なき
者は人となさず」と涅槃経にはいう。元妻に対して「僕を助け、慰め、力を貸し
てくれる」とか「よき妻を望んだ僕の祈り」などと、手前勝手で虫のいい願望を
並べたなかでのクライマックスが呪詛悪罵である。気障で甘ったれて、鼻持ちな
らない。原文は英語だというから一層誇張されたのかもしれないが、鈴木氏が紹
介しているかぎりを見ただけでも、これらの言葉遣いには虫唾が走る。

 まだ二十三歳の青臭い若造の言い草だから、めそめそと大袈裟になるのもやむ
をえないとして、元妻の悪口を他人に洩らすなど、今は知らず、いやしくも明治
の男の恥ではないか。21世紀の今日にあっても、伴侶について愚痴めいたことを
他に口外しないのが、少なくとも古風な男の作法であろう。男の恥とか男の作法
などといえば男性原理を非難されることになるかもしれないが、鑑三の若い時代
は明治十年代、今から130年前である。先ずその時代の物差し、男社会、男性原
理からしてさえ、すでに鑑三の自己愛、独善は目に余る。とにかくフェアでない。

 今は様子が違っている。ママ友とかママ会とかでは連れ合いのたな卸しで盛り
上がるということがあるらしい。しかしそれらはたぶん罪のないお笑い種、ちょ
っとブラックなところもないではないジョークまがいのものであろうし、逆にじ
つはおノロケである場合もあろう。それどころか若いママたちはそういうコメデ
ィアン的役どころをわざとわきまえてお芝居して、そうして互いのリアクション
を見るのに興じているだけかもしれない。そういうことをするだけのソフィスト
ケーションを今の賢い女性は身につけている。表に表わされているものだけをそ
のまま真に受けるのは、男でもよほどの石頭だけだろう。

 ちなみに連邦最高裁の女判事を美人と言っただけでオバマはセクハラを批判さ
れたが、イケメンとかブサメンとか女が男について言うのは当たり前でまかり通
っている。男は立つ瀬がないなどとは言わない。女性専用車がありうるごとく、
依然として女にハンディを与えるに理由が存する程度にしか両性の平等は達成さ
れていないからでもあろうか。クォータ制すらもがようやく論議の対象になり始
めたばかりの日本の現状である。

 それはそれとして今日の目で見れば、たぶん大方の人の同情はタケに集まるで
あろう。すくなくとも若い人は呆れて「鑑三ってバカでない?」と思うことだろ
う。長い間家を空けて、その間新妻は、結婚に反対した義理の両親に、夫の「助
け」もなく家臣のように仕えるのである(ここまでは鈴木氏も理解している)。
誰がうつ病にかからずにいられようか。骨折しただけでもうつになる。皇太子妃
もうつになる。多くの学校教員もうつになる。タケがうつにならないでいられよ
うか。

 数々の風評のなかで不倫があったとの説も混じるらしいが、こんな状況下で鑑
三がコキュになったとて、なにほどに嘆くべきことがあるか。新婚の妻をこんな
寒々しい針の莚の環境にほったらかしてコキュにならない方が不思議だろう。

 裏返して鑑三の時代の男一般はどうであったか。女を男の、また家の従属物と
して疑わなかった。鑑三もまた疑わなかった。鑑三は早くにクリスチャンとなり、
複数のアメリカ人とも接触して、明治人としては破格にアメリカかぶれになって
いただろうから、多少はレディーファーストのマナーも見知っていたことだろう。
日米のギャップを見た鑑三の目に、当時の日本の、男女の社会的位置づけの不自
然、不均衡がまるで見えていなかったとは不自然ではないか。

●師の影を踏め

 二つには、この鑑三の厚かましさについて、男の美学に欠ける点について、フ
ェアでない点について、解説者の鈴木氏がウンともスンとも言わないことの不思
議である。鑑三が離別した女性について、まるでひとりよがりな毒々しい悪態を
つくことに鈴木氏が不審の念を抱く気配はない。鈴木氏は1935年生まれで、年齢
は老人であるに十分だが、見るところまだ頭髪も相当残っていて、老いぼれると
いうには十分でない。

 ならば、このように悪罵を浴びなければならぬタケとははたしてなにものなの
か? サタンのごとき「悪女」とはなにものなのか? その実像になんらかの関
心が生じて不思議はないはずである。明治のクリスチャンを代表するとされる内
村鑑三という男が、たとえ私信にせよ、一度は恋をし契りを結んだ女性を、罵る
というよりは呪詛し、それを他に暴露するのはいかにもはしたないではないかと
いう程の疑問は生じて当然ではないか。

 鑑三を証拠を少しも提示することなくおどろおどろしい調子の論告求刑してい
る検事とするなら、鈴木氏はその論告に完全同調して、まったく証拠調べなしで
判決を下す「推認判事」である。研究者ならずとも、一般読者であってさえ、こ
の鑑三の文章に出会えば誰しも不快を感じて、ナニコレと思うのが普通ではない
か。専門家ならなおのこと強い疑いを感じて検証するのが物の順序でないか。

 鈴木氏は師の影を踏むべきではないか。ツァラトゥストラは言った。「いつま
でもただ弟子であり続けるのは師に報いる道ではない。・・・気をつけよ、倒れ
る師の像の下敷きにならないように」。

 鈴木氏がなすべきは、今日の先進国の性に対する社会の対応、とりわけ北欧で
の性教育への取り組みを一瞥すること。身の回りの若い世代を観察すること。N
HK-Eテレの「ハートネット」の、性依存症を含めてLGBTなど、性のマイ
ノリティーに関する番組をちょっと覗くこと。たまには日曜の(日曜でも無教会
はヒマだろう)「新婚さんいらっしゃい」も見る。殊に五月五日の番組は見れば
よかった。つまりは少しばかり世間を見るだけで鑑三批判は仕上がるだろう。

 性の観念は大きく変わっている。進化論がキリスト教的世界観を根底から揺る
がしたのに劣らず、性にまといつく迷妄のクモの巣は破れつつある。不倫という
ことばさえ、漢字字義どおりの意味は消えて、不義密通などとは打って変わって
フリンはほとんどファッション感覚をすらおびた、軽やかな揮発性のノリで慣用
されている。

 古来日本では性の禁忌はないに等しく、特に庶民はきわめておおらかであった。
今急速に本来のおおらかさを回復しつつある。今日の価値観からすれば、鑑三は
ブラック企業のように、ちょっとマニュアルから外れたというだけで女を使い捨
てにしたのだ。

●浅田タケの名誉回復

 三つ目は浅田タケ、鑑三の母から「利巧でありすぎる。学問がありすぎる。賢
すぎる」として毛嫌いされた女性の実像への期待である。無教会のみならず鑑三
に関心を寄せるクリスチャンまたノンクリスチャンは多かろうに、タケを書いて
みようと思う作家がいないのはなぜか。これが解せない。

 ただひとつネット上で「舞うが如く 最終章(5)タケの生きざま」という文章
に出会っただけ(http://saradakann.xsrv.jp/index.php?QBlog-20110920-1)。
断章ながら筆者の落合順平氏は、タケがじつは新しい女、自由な女であるらしい
ことを十二分に予想させる文章を書いている。

 氏は同ブログ別ページでこのように言う。

[引用開始]
 注目したいのはこの、浅田タケの生き方そのものです
 戦後、靴下とともに強くなったといわれている、
 世の女性たちの、そのはるか以前に
 こんなにも、自分の本能のままに行動していた女性がいたのです。
 なおかつ、相手は近代史に思想家として偉大な足跡を残した人物です。

 ただ残念ながら、浅田タケの詳細はみえません
 いくつか資料はありますが、とても十分とはいえません。
 現在も収集中の状態ですが、興味をそそられる女性のひとりです
[引用終了]

 フロベールは1856年に、人妻が不倫のはてに自殺する『ボヴァリー夫人』を書
いた。そして「ボヴァリー夫人は私だ」と言った。レフ・トルストイ『アンナ・
カレーニナ』の出版は1873-77年。鑑三離婚(1884年)より10年早いロシアにお
いて、トルストイの描くアンナは不倫相手ヴロンスキーの子供を出産するが、駆
けつけたカレーニンは寛大にアンナを許した。

 鑑三は、フロベールもトルストイも、その英訳を読むことができなかったので
あろうか。それは無理だったとしても、福音書は読んだにちがいない。「汝らの
うち罪なき者まず石もてかの女を打て」を。鑑三は石もて女を打った。弟子たち
もまた、いつまでも鑑三に倣って石もて女を打ち続けるのであろうか。
                           (2013年5月5日)

 (筆者は堺市在住・大阪女子大学名誉教授)
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