【フランス便り】38
羅針盤を失ったフランス
鈴木 宏昌
この1ヶ月の間に、フランスの政治情勢は劇的に変化した。比較的安定したマクロン政権が続くとみられていたフランスは、欧州議会選挙直後、マクロン大統領の電撃的な下院議会の解散で、オリンピック開催前に、わずか1ヶ月の選挙戦となった。その1回目投票で、ルペン女史率いる極右のRNが圧倒的に勝利し、翌週の決戦投票でも勝利することが確実とみられていた。ところが、極右政権に反対する左翼連合や中道派(マクロン大統領の与党)が候補者を撤退させた影響で、多くの選挙区で極右候補対左翼・中道候補の決選投票となった。
決選投票では、極右勢力は伸びず、結局、左翼連合が約190議席、中道が160議席、極右が143議席という意外な結果となった。いずれのブロックも絶対多数の289議席に遠く及ばないので、しばらくは混とんとした政治情勢が続くと予想される。フランス憲法では、議会の信任を得る内閣が行政や立法を担当することになるので、マクロン大統領の時代の幕は終わったとみられるが、次の幕がいつ、だれの手で開かれるのかはまったく分からない。これまでEUを引っ張ってきたマクロン大統領は実権を失い、ドイツのシュルツ政権は弱体化しているので、今後のEUの方向性にも大きな影響が出ることは間違いないと思われる。この稿では、フランスの最近の政治の動きを少し詳しく分析してみたい。
欧州議会選挙と不可思議な下院議会の解散
欧州議会選挙は、5年に1度行われ、EU市民の直接選挙で欧州議員が選ばれる。加盟国に与えられる議席は、人口に比例して定められているので、フランスは全体の約8分の1の議席となる。欧州議会は立法府の役割を担い、EU委員長の選出、EU財政のチェックなどの権限を持つが、欧州議会には独自に立法を提案する権限は託されていない 。
実際の欧州議員の仕事は、路線の似通ったグループに所属し、グループ内あるいは他のグループとの交渉・折衝などを行いながらEU立法が行われるので、EU法やEU指令に達するまでには、数年という長い時間が必要と言われる。また、EUの権限はいくつかの分野に制限されているので、各国の国民にとって、国の議会のような身近で生活に直結するものではなく、欧州議会選挙はそれほど重要なものとは考えられていない。
政治的にそれほど大きな選挙ではない欧州議会選挙が、フランスで大きな関心を集めたのは、2022年の大統領選挙以降初めて実施される国レベルの選挙だったことにある。2022年の選挙ではマクロン大統領が再選されたが、ほぼ同時に行われた下院議員選挙では、マクロンの与党は大きく議席を落とし、少数政権として苦しい議会運営を行ってきた。とくに、2023年の年金改革(62歳定年だったところを64歳に延長)は不評で、すべての組合や野党が激しく反対し、数ヶ月にわたり、ストやデモが続いた。議会の投票を回避する特別措置で年金改革法は議会を通過し、立法化された。
また、2023年にはインフレが激しく、食料品などの物価が10%まで上昇した。これをマクロン政権の失敗として、マリヌ・ルペンのRN(国民連合:編集事務局注)や極左が激しく批判した。そのため、フランスの欧州議会選挙は、本来の欧州政治のためではなく、マクロン政権の一種のレフェランダム(⋆国民投票:編集事務局注)に性格を変えた。その中で行われた6月9日の欧州議会選挙の結果は、極右のRNが31.4%、マクロン支持の中道が14.6%、社会党、13.8%、極左、9.6%、共和党(保守)7.3%であった(投票率51.5%)。
この選挙結果が発表された夜、電撃的にマクロン大統領は議会を解散すると発表し、わずかに約1ヶ月の選挙期間で、7月7日に決選投票と決めた(8月にはパリ・オリンピックを控えている)。なぜ、欧州議会選挙という国政とはあまり関係のない選挙直後に、マクロン大統領は誰もが考えていなかった議会解散に踏み切ったのだろうか? どうも何人かの大統領補佐官は相談を受けていたものの、アタル首相をはじめ側近の人達ですら寝耳に水の解散だったらしい。憶測の中には、任期半ばで、次第に行動範囲が狭まり、無力の状態に置かれるのを嫌がったという見方、あるいは9月に提出されるべき24年の予算案が、保守党の財政赤字に対する反発から議会通過が難しいので、その先手を取ったという見方などがある。ただし、様々な憶測が流れているものの、真相は不明である。
解散が決定されると、それまで日頃批判しあっていた左翼勢力(極左、社会党、エコロジスト、共産党)は選挙カルテルに合意し、新人民戦線として統一候補を擁立することとなった。ただし、誰もが波に乗るRNの勝利を予測した、6月30日に行われた1次選挙では、極右のRNは9割を超える選挙区でトップの投票を獲得し、決選投票に残った。とくに、農村部、地方都市などで圧倒的な支持を得ていた。この勢いに危機感を募らせた左翼と中道派は、決選投票では、上位2人に入らない第3の候補を撤退させた。その結果、多くの選挙区で極右対左翼候補、あるいは極右対中道の候補という構図となった。
ここで少々余談となるが、数ある世論調査機関は7月初めの世論調査で、トップは間違いなく極右のRNとした。ある予測で、はRNは215-250議席を獲得するとした。新聞などのメディアの議論も、RNが勝利することは間違いなく、むしろ問題は絶対過半数(289議席)に達するかどうかに集中した。左翼シンパの多い500万人の公務員、とくに教育関係者、医療関係者、司法関係者は、ほとんどパニック状態であったという。また、中道左翼のル・モンド紙も普段の客観的な報道とは程遠い、反極右の論陣を張っていた。
さて、決選投票の結果は新人民戦線:182議席、中道派:168議席、極右:143議席、共和党(保守):46議席、その他という意外なものだった。決選投票で、反極右の戦略が全面的に機能し、2人候補区の場合、極右候補の敗北となった。ただし、その敗れた候補はほとんど40%以上の得票を得ていたので、RNが全国的に勢力を伸ばしていることが分かる。この結果、議会は三つ巴の状態で、いずれも絶対多数に程遠い。昔から連立内閣が常態化しているドイツやイタリアと異なり、今のフランス政党には、妥協したり、協力関係を結ぶ習慣がまったくない。とくに、極右と極左はまったく妥協することを知らない。しばらくは、3つのブロックのにらみ合いの状態が続き、大きな政治的な空白が続くものと思われる。
ここで、現在の流動的な政治情勢から離れて、A)どうしてポピュリストであり、極右のRNが各地で勢力を伸ばしたのか? B)なぜマクロン大統領は国内では不評なのか? という2つの問題を考えてみた。
A)ポピュリストで、移民・外国人排斥のRNが、どうしてここまで勢力を伸ばしたのか?
ポピュリストをどう定義するかは知らないが、フランスの場合は、政治の中心にある既成政党の外側で、エリート批判に徹底し、大衆迎合的な立場を取る運動と解釈することは可能だろう。RNは、マリヌ・ルペン氏の父親が率いていたFNが2018年に改名したもので、FNの頃は、移民・外国人排斥を謳う極右政党で、その影響力は限られていた。
マリヌ・ルペン氏の時代となると、過激な発言を避け、ひたすら移民の入国規制とEU批判で、衰退する北部フランス(昔の重工業の中心地域)や移民が伝統的に多かった地中海地方などで一定の勢力を持っていた。RNが大きな波となるのは、2018年の「黄色のベスト集団の反乱」だった。これは、環境対策としてマクロン政権が発表したガソリン税の引き上げに反対し、地方の村や町の入口で、庶民が生活苦を訴える抗議活動を行ったものだった。
地方都市や農村部に住む人にとって、自動車は生活必需品なので、ガソリン価格の値上げは生活に直接影響する。しかも、それらの地方では、医療施設が少なく、数10キロ離れた医療施設や病院に行く必要があり、普段の買い物ですら自動車なしでは生活が成り立たない。そのため、環境保護のためのガソリン税の引き上げは、地方の実態を知らないパリに住むエリートたちがとった措置と解釈され、国民的な同情を獲得した。ルペン氏は、その運動を煽り、地方の困窮を理解する党として、農村部や衰退した地域でその勢力を大きく伸ばした。この「黄色のベスト集団の反乱」が終わると、2023年の年金改革、そしてインフレなど大きな社会問題が起こるごとに、マリヌ・ルペン氏はマクロン政権の批判に終始し、弱者の代弁者のイメージを作り上げた。
ではなぜ不満のはけ口が伝統的な左翼、社会党や共産党ではなく、RNに行ったのだろうか? RNが今回多くの議席を獲得したフランス北部や南西部(トゥールーズ地方など)はこれまで社会党や共産党の地盤とみられていた。ところが、この層が近年RNの支持層となった。長く続いた社会党政権に失望し、反エリート、反EUのイメージを持つたRN支持へと移行した。その一方、ルペン女史らは、FNの時代の代名詞だった過激な発言を控え、普通の政党であるという立場を取り、大衆迎合的な発言を繰り返した。その過程で、5~6年前に掲げていたユーロの離脱やEU撤退といった過激な政策をあっさり変更し、EU内部からの改革などに変更する。今回の選挙では、RNが発表した政策、すなわちフランス人雇用の優先、ガソリン税の軽減、物価抑制、移民の入国制限などを提案したが、どれも実際には、憲法違反、EUとの事前交渉義務などで、ほとんど実施不能なものばかりだった。にもかかわらず、多くの人がRNに投票したのは、すべての権力を集中させたマクロン大統領に対する感情的な反発がRNへの投票つながったものと思われる。
それにしても、なぜ確たる政策や統治経験の全くない集団であるRNがここまで支持層を伸ばしたのだろうか? 多くの人は、フランス人が個人主義に傾き、自分たちの利益や権利のみを主張し、他人の意見に耳を傾けなくなっていることを指摘している。この個人主義の傾向を助長している一つはソーシャルメディアの隆盛と、伝統的な新聞やラジオなどの影響力の低下だろう。多くの若者は新聞も読まなければテレビのニュースも見ない。客観的な情報に接しなければ、個人の利益や不満が行動の原動力となる。年金改革に反対した人の多くは、全体の年金財政のことより、いかに早く自分が年金の満額受給に達し、悠々自適な生活に入れるかということしか考えなかったのだろう。個人の利益を優先させれば、公共という概念は成立しない。
また、多くの政治学者や社会学者は、フランス人社会をこれまで一つにまとめてきた共通の基盤や文化が失われ、フランス社会が分裂していることを指摘している。数年前に、政治学者のJ.フーケ氏は群島化したフランスと形容した。その昔、フランスではカソリック教会の影響が強く、どんな小さな村にも教会があり、司祭がいて、村や町が一つのコミュニティを形成していた。現在のフランス人の大半は無宗教で、日曜日に教会に行くのはほんの一握りの信者のみで、それも年寄りの人が多い。
その一方、イスラム系の人口は、マグレブ諸国やアフリカ出身者を中心として、増え続け、大都市の周辺には、移民や外国人が多数のところが多くなっている。そこはもうアラブやアフリカの街の雰囲気がある。一方、金持ちが住むパリの西地域(パリ7区、16区)へ行けば、瀟洒なマンション街と緑豊かな街路樹が続き、どこにも貧困の影すらない、パリの北地域と西地域は10キロも離れていないが、二つの街は別々に生活し、交わることはない。
同様のことは、富が集中しているパリと農村地帯や大都市周辺部に当てはまる。まさしく、フランスは群島化している。RNが優勢であったところは農村地帯と産業が衰退した北部地域で、パリなどの繫栄している大都市ではRNはまったく議席を獲得できなかった。グローバル経済化の勝利者と敗者の違いでもあり、後者の不満を掬い取っているのがRNである。
ポピュリストは、フランス以外でも大きな勢力となっている。情緒に左右され、自分の利益しか重視しない人が増えれば、社会は崩壊する。個人の自由は他人の自由を侵さない限り尊重される原則も、ポピュリストが政権を握れば危なくなる。マリヌ・ルペン氏は2027年の大統領選挙をにらんでいるが、果たして、彼女に対抗する人物が出てくるのだろうか? 残された時間は少ないように思われる。
B)マクロン大統領の落とし穴
周知のようにマクロン大統領は大変な秀才エリートで、勉強家でもある。今でも、特別のことがない日には朝8時に執務室に入り、食事もそこでとり、夕方遅くまで書類に目を通すという。そのため、多くの事柄について専門家並みの知識を持ち、大臣や補佐官たちは緊張して大統領に報告をするらしい。若く、エネルギッシュなので、真夜中を過ぎても、メイルやテキストが側近に送られてくる。また、サルコジ元大統領のように仲間を優先するという噂やスキャンダルはマクロン大統領については聞こえてこない。これまで7年間のマクロン体制の主な政策はフランスの経済の再建と国民の生活を守る(新型コロナの対策や物価対策としてのエネルギー価格の抑制)ことなので、大きな失策はなかったように思われる。にもかかわらず、マクロンの与党である中道派がせいぜい有権者の2割まで人気が落ち込んだのはなぜだろうか?
その主な理由は、マクロン大統領自身の持つ統治体制の理念にあるように思われる。第5共和制は1958年に始まるが、その初期は議会制民主主義だった。ドゴール大統領が大統領の権限を強化するために1962年に行ったレフェランダムによる憲法改正で、大統領は直接選挙で選ばれることでその性格が大きく変わる。しかも、ドゴールからミッテランまで、大統領の与党が議会の過半数を占めていたので、実質的に大統領が政治を動かし、首相や内閣はその協力者・執行者でしかなくなった。議会は選挙で選ばれるが、大統領の与党が議会の過半数を握っている限り、議会は大きな権限をもたない。ただし、大統領の与党が少数派になれば、コアビタションと呼ばれる体制となり、実質的権限は議会の多数を抑える首相の手に移る。立法、予算、行政の権限は内閣にあり、大統領は無力である。首相を任免する権利を大統領が持つとは言え、実際には、首相は議会の多数派代表以外には考えられない。
マクロン大統領は、第5共和政を縦型の大統領制と考えていると思われる。そのため、自分の都合の良い協力者を首相に任命し、議会を重視していない。それがマクロン体制の落とし穴だったように思われる。1週間前の雑誌エキスプレスに載せられたペレルブラッド氏の分析が興味深かった。彼はミッテラン大統領の補佐官、大銀行のトップを歴任したエンジニア兼経済の専門家でもある。彼はマクロン大統領を議会を軽視していると強く批判する。議会は、選挙民と行政のトップである内閣との中間にあり、多様な選挙民の要求や不満を調整し、その声を国政に伝える役割を持つ一種の防波堤でもある。ところが、マクロン大統領は議会を軽視し、直接国民に訴えようとしてきた。そのため、庶民の目には、すべての政治を牛耳っているのはマクロン大統領となってしまう。そうすると、国民の様々な不満 ―過疎地域における医療や教育の貧困、インフレと生活苦、地域産業の衰退、低い年金など― がすべてマクロン大統領の責任とすり替えられてしまう。この結果、マクロン大統領の批判に徹するマリヌ・ルペンのRNに不満票が集まってくる。フランスの大統領制は、縦型で、大統領に権限が集中しがちだが、それを極端に進めたのがマクロン氏だったとペレルブラッド氏はという。つまり、マクロン大統領はいつの間にか裸の王様になっていたことになる。
国民の直接選挙による大統領制は、外見的には民主的に見えるが、様々な利害調整を行う議会などの防波堤が無くなると庶民の不満が大統領に向かわざるを得ない。議会政治が多様な利害を調整する場であることをマクロン氏は理解していなかったように思われる。
パリ郊外にて、7月15日、鈴木宏昌(早稲田大学名誉教授)
(2024.7.20)
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