【海峡両岸論】

習指導部の統治揺さぶる新型肺炎
~地方幹部切り、防戦に必死

岡田 充

 中国・武漢で発生した新型コロナウィルス新型肺炎(COVID19)は、世界的規模で感染が拡大。死者数は重症急性呼吸器症候群(SARS)の2倍を超えた。中国全土で生産活動が停滞し、サプライチェーン(供給網)への打撃は、世界経済への下振れリスクになっている。習近平指導部は初期対応の過ちを認め、感染源の武漢と湖北省トップを解任し批判の矛先が党中央に向かないよう防戦に必死。著名な知識人が、情報統制を公然と批判する動きも顕在化し、権力集中を進める習近平指導部を揺さぶる。

◆◆ 「フェイクニュース」と市民処罰

 新型肺炎と聞けば、すぐ思い出すのは2002~03年に猛威を振るい、世界で774人の死者を出したSARSだろう。当時、患者が見つかったのは胡錦涛前政権がスタートした直後の2002年11月。だが当局は情報を隠し続け、感染が拡大して国際的非難を浴びた。
 今回はどうだったのだろう。まず初期対応を復習しよう。武漢で原因不明の肺炎患者が見つかったのは2019年12月12日。しかし武漢市が「原因不明の肺炎患者がみつかった」と発表したのは12月30日になってからだった(写真)。そのころ中国のSNSでは、患者続出を訴える書き込みが相次いでいた。しかし警察は逆に「事実でない情報を公表した」として、8人の市民を処罰した。

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  武漢市内のビルのホールに設置された臨時病院

 さらに眼科医の李文亮氏(33)が「微信」のグループ・チャットで「SARS患者を隔離している」と感染拡大の危険を書き込むと、1月3日、警察から訓戒処分された。李医師自身も肺炎に感染し2月7日に死亡、知識人の党中央批判の火に油を注いだ。
 中国メディアが1月9日、肺炎患者からコロナウィルスが確認されたと初めて報道したのに続き、武漢市当局は11日、男性1人が死亡と発表し、大騒ぎになった。

◆◆ トップの号令で状況一変

 中国政府が「ヒトからヒト」への感染を確認したのは1月20日のことだった。この日、習氏は「断固としてウィルスのまん延を抑え込む」と異例の号令をかけた。これを境に、人口1,000万のメガシティ武漢市を封鎖(23日)、国内外での移動規制など、「荒療治」が次々に打ち出されていく。

 トップの「号令」は、中国の一党支配システムを考える上で、格別の意味をもっている。その証左が患者数の発表。19日までに発表された発症者数は武漢で60人強だったが、号令翌日の21日には300人超に急増した。トップの「お墨付き」を得た地方政府が、自己責任を問われるのを恐れ隠してきた情報を、安心して出すようになったと推測される。
 ただこれは中国に限った話ではない。自己責任を問われるのを恐れ、情報を隠蔽する体質は、日本を含めどの国の組織にも日常的にある。

 SARS対応と比べると、中国側は今回、コロナウィルスの遺伝子の配列情報を公開(1月12日)し、台湾と香港の専門家の武漢訪問も受け入れるなど、情報公開面では一歩前進した。17年前とは比べものにならない大量のヒト・モノが移動する時代。より素早い対応をとらねば疫病拡大は防げない。

◆◆ 封じ込め難しいウィルス

 日本の公衆衛生専門家によると、新型肺炎の致死率は約2・5%とSARSの14~15%に比べ低いが、感染力はSARSよりむしろ強い。高熱や咳など症状が出ない「無症状感染者」も多く、約2週間の潜伏期間中に本人も気付かぬうちに感染が拡大する危険がある。習が2月3日の政治局会議で認めたように、武漢政府の初動対応に問題があったのは確かだとしても、新型肺炎の特徴が、感染拡大を防ぎにくい事情もあった(写真)。

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  コロナウィルス

 世界保健機構(WHO)でSARS対策の経験のある押谷仁・東北大大学院教授は、NHKで[注1]「(新型肺炎は)封じ込めが難しいウィルスです。武漢でもSARSと同じ対応をしたと思うが、私がやっても同じ失敗をしたと思う」と語る。武漢の医療状況については「日本と変わらない医療水準を持つ病院が多い」と証言した。
 SARS禍の際、中央政府の見解に反論、拡大阻止に当たった鐘南山医師(83)は、感染ピークを当初2月中旬としていたが、その後「2月末」に修正した。カリスマ的存在の彼にしても、感染の将来を予測するのは難しい。

◆◆ 国務院ではなく党主導

 湖北省や武漢市当局は「もっと早く厳格な措置を取っていれば…」と、初動対応の遅れを認めた。その一方、周先旺・武漢市長は1月29日、中国中央テレビの取材に「地方政府は権限が与えられなければ発表できない」と述べ、隠蔽は中央にも原因があることを示唆した。「地方の反乱」とも受け取れる発言だった。
 習氏は3日の政治局会議で「一連の対応で至らない部分があった」と誤りを認めるのだが、それが地方の誤りなのか、あるいは中央の「自己批判」なのかは曖昧だ。敢えて曖昧にし、「自己批判」と受け止めても許容する余地を作ったのかもしれない。いずれにせよ、湖北省と武漢政府に集中している批判が、中央に波及しないよう「予防線」を張ったことは間違いない。

 習指導部は1月25日、政治局常務委で「肺炎疫情工作領導小組」を発足させた。組長は李克強首相、副組長は王滬寧・中央書記処書記である。SARSの際はどうだったか。当時の中央常務委は03年4月23日「防治非典指揮部」を発足。組長は呉義・衛生部長で、国務院主導の態勢を敷いたのだった。今回、李克強はともかく、副組長に中央書記処を率いる王を充てたのは、国務院より党主導を優先する習指導部の性格の表れであろう。

◆◆ 習批判の声明も

 発生をいち早く警告した医師、李文亮が2月7日死去すると、「微信」や「微博」などSNSには「信じたくない」「死ぬ必要はなかった」などと、その死を悼み「言論の自由が必要」などの書き込みが噴出した。湖北省や武漢市当局も一転して李を称賛し、習指導部も李を「英雄」扱いした。そうしなければ、「封鎖状態」に置かれて身動きが取れない多くの民衆の怒りを鎮めることはできない。
 特に、新型肺炎のまん延を「言論の自由の圧殺が招いた『人災』だ」と指弾した公開書簡には、北京大学の張千帆教授や清華大学の郭于華教授、人権派弁護士の王宇氏ら360人以上の知識人が署名した。

 さらに習の母校、清華大学の「同窓生有志」の名前で7日に発表された「全国同胞に告げる書」(写真)は、李医師の死を「国を挙げて悼む」と書き、①政治的安全の最重視に反対 ②ネット・ブロックに反対、言論の自由を ③安定維持の思考方法に反対 ④体制の責任を明確に ⑤終身制度への逆行に反対―と、名指しこそしていないが、習近平批判に踏み込む内容だった。①の「政治的安全の最重視」とは、習指導部が生命より「社会の安定秩序」を強調していることを指しているとみられる。

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  中国のネットに公開された「告げる書」

◆◆ 「政治資本主義」の危機?

 民衆の不満の高まりに危機感を強めた指導部は2月13日、湖北省トップの蒋超良・党委員会書記を解任、後任に習側近の応勇・上海市長を起用した。武漢市トップの馬国強・市党委書記を解任し、王忠林・山東省済南市党委書記を据える人事を発表した。まさに「トカゲのしっぽ切り」。
 建国70周年の節目だった2019年、習近平指導部は、米中対立の激化の中で、香港でエンドレスに続く抗議活動や、海外からの人権批判など散々な一年だった。ことしは年初から新型肺炎に見舞われ、旧正月のお祝い気分など完全に吹き飛んでしまった。

 SARSの時もそうだったが、感染症という「自然災害」の処理が政治問題化し、一党支配を動揺させるとすれば、それはいったいどこに原因があるのだろうか。ここで中国の統治システムを全面展開する余裕も能力もないが、最近読んだ興味深い論文を紹介したい。所得分配・格差問題を専門にするブランコ・ミラノビッチ・ロンドン大教授の「資本主義の衝突」[注2]である。
 彼は、中国の経済システムを社会主義としてではなく「政治的資本主義」というモデルから分析する。日本も明治以降の近代化の過程で経験した「国家資本主義」に近いモデルと言っていいだろう。一方、日米欧の資本主義を彼は「リベラル資本主義」と名付け、グローバル経済の将来は、資本主義内の二つのモデルの競争によって左右されるとみる。

◆◆ 成長が正当性を保証

 ミラノビッチは、「リベラル資本主義」は民主と法の支配というシステムに内在する優位性を持つが、固定化された超富裕層の出現と格差の拡大が、その長期的存在を揺るがす脅威になっているとし、その是正に失敗すれば、リベラル資本主義は中国型の「政治資本主義」に近づくとみる。

 グローバル化の中、新自由主義経済が世界を覆い経済格差を拡大させた反動として、一国主義やナショナリズム、ポピュリズムを刺激し、民主的統治を揺るがしている現実は、ミラノビッチの見立て通りである。日本の「安倍一強」現象も、そこから説明可能である。
 一方、中国型「政治的資本主義」は、統治の正当性を維持するためには常に経済成長を実現しなくてはならないが、現実的には高成長の維持はますます困難になっている。同時に、「権力者が政策や路線を見直すインセンティブがない」ことから、「覆すことのできない悪い政策と結果をもたらす傾向がある」と指摘する。

 彼はもちろん「新型肺炎」について言及しているのではない。ただ、緊急性をもつ「一時的問題」に対して、リベラル資本主義が「余裕のある態度で臨める」のに対し、「政治的資本主義」は「不断の警戒」が必要と指摘する。そして民衆により多くを提供しなければならない「圧力に常にさらされる」と書く。香港問題であれ新型肺炎であれ、習近平指導部が、その処理をめぐって強いプレッシャーを受けている構造の一端を説明していると思う。これが論文の紹介である。

◆◆ 家父長制とレーニン主義の合体

 中国共産党の統治システムを単純化すれば「伝統的な家父長制と、中央に権力を集中させるレーニン主義」の合体とみることができる(写真)。このシステムの下では、官僚はトップの意向に常に敏感で忠実なければならない。武漢市長が言うように「末端には権限がないから発表できない」のである。

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  マルクス、レーニン、毛沢東を並べた文化大革命時代のポスター

 情報公開が遅れた理由として、習に権力集中を進めた結果、ミスを恐れる官僚の「サボタージュ」が一因という分析がある。一理あるが、むしろ共産党が以前から維持してきた伝統的体質の露呈であろう。トップの意向に敏感なのは官僚だけではない。メディアも1月20日の習発言以降、武漢政府批判をおおっぴらに開始した。
 共産党機関紙系の「環球時報」の胡錫進編集長は1月21日、SNSで「鍾南山教授が武漢の肺炎が伝染している事実を公開しなかったら、武漢当局は公式に認める意思がなかったのではないか」と書き込んだ。

 権力は必ず腐敗する。これは古今東西変わらない「権力の本質」だと思う。中国統治システムには、党規律検査委員会という党内監視機構がある。しかし、今世紀半ばに、米国と肩を並べる世界一流の「社会主義強国」を建設する「夢」を実現するには、持続する統治と成長が必須。
 そのためにまず必要なのは、共産党から独立した司法やメディアなど、権力監視機能である。第二に、「無謬」という虚構に寄りかからず、政策上の誤りを率直に認める柔軟な「作風」の確立。柔らかくしなやかな木は、なかなか折れない。ストレスも軽減される。

 だが「リベラル資本主義」だって万能ではない。足元の「モリカケ疑惑」「サクラ疑惑」で、政権トップの顔色ばかりをうかがう官僚の「忖度」と、責任を官僚に押し付けるトップの“作風”はどう説明すればいいのか。「リベラル資本主義」と言っても、日本のそれには家父長的なタテ型支配の伝統という特殊性が色濃く残っている。

◆◆ 部品調達網を打撃

 ミラノビッチの言うように、中国の統治の正当性を保証するのは、不断の経済成長だとするなら、新型肺炎の長期化は、政権の安定性を確実に減じる。感染の将来展望が見えない以上、経済打撃を正確に測るのは無理だが、幾つかのファクツからその断面を切り取ってみよう。

 2月3日の旧正月休暇明けには、アジアを中心に株価が急落した。中国の約8割の省・直轄都市で、休業延長や従業員の出勤を禁止する指示が出ており、北京では14日、地方から北京に戻った従業員に、さらに2週間の自宅待機を命じている。中国汽車工業協会によると、完成車の183生産拠点のうち、12日時点で再開できたのは約3割に過ぎない(「日経」2月15日朝刊)。
 感染者の約8割が集中する湖北省では21日の活動再開も不透明。湖北省には自動車や半導体などの産業が集まる。半導体産業は「中国製造2025」の最重点産業であり、25年までに自給率7割が目標だ。武漢はその中核拠点であり、巨大工場の建設を進めている。同紙は「素材や部品会社などの休業が長引けば、世界の供給網が目詰まりする可能性がある」と指摘する。

◆◆ 5%成長切る恐れも

 中国のエネルギー需要にも影が差す。フィナンシャルタイムズ(FT)は、中国の天然ガス輸入各社が、需要急減を理由に2月の海上輸送による輸入の最大7割をキャンセルする可能性を示唆していると伝えた[注3]。中国は、世界第2の液化天然ガス(LNG)輸入国で、中国のこの動きを受け、「LNG価格は過去最低の水準に下がり、世界経済の成長は下振れする」と同紙は書く。

 さらに大都市が封鎖され、航空便の運航が停止し休業が長期化しているため、2月の中国の原油需要も最大4分の1減る見通しである。国内総生産(GDP)の4分の1を占めるとされる不動産市場も、業者が販売店を閉じ、消費者も物件探しを先送りしているため、43兆ドル(約4,710億円)規模に上る不動産市場にも打撃を与えそうだ。

 2019年の中国成長率は6.1%まで上昇が落ち込んだ。「1~3月期の経済成長率が5%を下回る可能性」を予測する中国の経済専門家もいる。米中貿易戦で打撃を受けた中国経済に追い打ちをかけ、時限爆弾の不良債権に火がつくと、習氏が政権の命運をかける「一帯一路」にも、ブレーキがかかるだろう。

 感染拡大の規模は、SARSの10倍になるとみる専門家もおり、長期化は避けられそうにない。今のところ、中国人の怒りは地方政府に向いているが、矛先が中央政府に向かう兆しも表われている。中国中央銀行が2月3日、日本円で18兆円も金融市場に供給したのは、社会不安増大を警戒する思惑が滲んでいる。

◆◆ 習訪日は延期を

 日本へ影響も無視できない。春節時期と重なり、日本への中国人旅客のキャンセルは約40万人に上った。大手百貨店の売り上げも減少し、観光業界を中心に日本経済に打撃を与える(写真)。それどころか、横浜港に停泊中のクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」の乗客から300人を超える感染者が見つかり、さらに感染経路不明の「市中感染」の恐れも出てきた。もはや他人事ではなく、日本が新たな「感染源」となっている。多くの外国人観光客を見込んでいる東京五輪が予定通り実施できるか、疑問符がつき始めた。

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  観光客激減を伝えるU-TUBE

 習近平指導部は、3月5日から北京で開く予定の全人代を延期する方向で調整を始めた。全人代に先立ち開かれる全国政治協商会議と合わせた「両会」には、6千人もの代表とその随員を合わせ2万人以上の関係者が一度に全国から北京に集まる。交通手段の問題に加え、人民大会堂で「濃厚接触」があれば、さらに感染が広がりかねない。地方の人民代表大会も開かれておらず、3月下旬に開く案が浮上している。
 20年度予算案の審議は「ネット会議」に変える案も検討されているという。延期を最終判断するデッドラインは25日前後とされる。

 延期されれば4月上旬を軸に調整してきた習近平国家主席の国賓訪日や経済運営に影響が及ぶのは必至。中国も日本も新型肺炎の処理に追われており、指導者の相互訪問という「上辺だけの友好」に、両国国民の関心は向かない。むしろ、訪問を延期して新型肺炎の処理に精力を注ぎ、疫病という人類が直面する課題で協力の道を探るほうが有益である。

[注1]NHKスぺシャル「感染はどこまで広がるのか?」(総合2月9日放送)
[注2]「The Clash of Capitalisms」―The Real Fight for the Global Economy's Future(foreign affairs branko Milanovic January/February 2020)
[注3]「中国が天然ガス輸入解約、新型肺炎で市場大混乱」(FT)「日経」デジタル版2月10日)

 (共同通信客員論説委員)

※この記事は著者の許諾を得て「海峡両岸論」111号(2020/02/20 発行)から転載したものですが文責は『オルタ広場』編集部にあります。

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