■ 【北から南から】中国・深セン

~『薄情な中国現代社会 前編』~  佐藤 美和子

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 中国広東省の仏山市にて先月、2歳の女児がワゴン車に轢き逃げされるという
事件がありました。18人もの人が道に横たわる女児のそばを通りかかったにも関
わらず、誰も助けず素通りしていったというショッキングなものです。

 中国の街中には、あちこちにものすごい数の監視カメラがついています。この
事故現場は偶然監視カメラがとらえていたため、その一部始終が動画サイトで紹
介され、あっという間に全国、そして世界に知れ渡るニュースとなってしまいま
した。

 女児は事故にあってから更に別の車にも轢かれ、約7分もの後にやっと19人目
のゴミ収集を生業とする58歳の貧しい女性に助けられました(しかし女児は後
日、病院にて治療の甲斐なく死亡)。

 この事件の問題点は、事故そのものや見殺しにした人たちだけではありませ
ん。 ニュースに取り上げられて大騒ぎになると、なぜかとある企業がこの19人
目の女性に対し、報奨金を渡そうと名乗り出ます。彼女の勇気ある行動に感動し
たので、彼女の生活の向上を助けたいという名目です。

 その様子も動画で紹介されたのですが、路上にて大勢のメディアや野次馬に取
り囲まれて戸惑う女性に赤いプラカードを持たせ、100元札を分厚く束ねた報奨
金を渡そうとするのです。女性のひざに乗せられたそのプラカードには、企業名
とともに、『勇敢なる善人の何某さんに、5万元(約60万円)を寄付する』との
文言が……。

 彼女は何度もその現金の束を押し返し、お金はあの子の治療費に使ってあげて
欲しいと訴えるのですが、女児にもすでに5万元を寄付しているからと言って、
最終的には無理やり受け取らされた模様です。

 ゴミ収集を生業とし、また文盲のため自力では電話もかけることができないと
いう彼女は、突然大勢の人に取り囲まれ取材されフラッシュを浴びせられ、困惑
しきっていました。善人には善行の報いを受けて欲しいからと言うものの、彼女
を否応なく衆人環視の場に引っ張り出し、カメラの前で剥き出しの現金の束を押
し付けようとする行為。本当に心から相手のためを思うのなら、もっと違うやり
方があるだろうに……。

 こういうデモンストレーションには、見殺しにした18人に対するのと同じくら
い、薄ら寒い思いがします。 女性は最終的に報奨金を受け取ったものの、その
一部を女児の治療費の足しにして欲しいと言って病院に見舞い、女児の母親に渡
したそうです。また、市政府からも報奨金が出ることになったのに、「当たり前
のことをしただけだから」とこちらは辞退したとか。

 しかしその女性は、一部の人から「女児を助けたのは、売名行為だろう」と、
なんとも心無い非難を受けてしまいます。あの動画のなかの、明らかに人々の注
目から逃れたがっている彼女の様子や表情を見ても、そんな邪推をしてしまうと
は……。助けても助けなくても非難されるとは、一体何をどうすればいいというの
でしょうか。

 この事件で18人もの人が瀕死の女児を素通りしたのには、さまざまな現代中国
社会の事情が背景にあるようです。例えば報道でも指摘されていたように、5年
前に南京市で起こった衝撃的な事件が大きなきっかけとなっています。倒れてい
る老婦人を助け起こし、病院へ送ってあげた男性が、老婦人に感謝されるどころ
か、逆にこの男性に突き飛ばされて骨折したのだと医療費や慰謝料を求める訴訟
を起こされたのです。

 そしてその後、中国各地で類似事件が相次ぎます。しまいには倒れている老人
を助けるのは危険だという風潮が見られるようになり、誰にも助けられず路上で
亡くなってしまう老人が出ました。また、誰も自分を助け起こそうとしないこと
に業を煮やした老人が、「わしゃ自分で躓いて転んだんだ、助けてくれる人を訴
えたりはしないよ!」と大声で道行く人に訴えてやっと助けてもらえた、などと
いう一見喜劇のようなことも起こりました。

 転んだり倒れたりした老人が病院に運ばれると、当然ですが検査や治療のため
の医療費がかかります。その医療費を支払う当てがない老人が、助けてくれた人
を犯人扱いにして治療費を人に押し付けてしまうケースや、南京の事件を真似
て、はなから賠償金目当てで当たり屋的行為をした老人もいました。

 こういう事件は人々の道徳意識にも問題があるとは思いますが、私は中国の医
療システムにも大きな原因があると思います。

 中国の恐ろしく非効率な病院システムについては以前、書いたことがあります
が(オルタ53号)、診察・検査・治療・投薬など、そのつど費用を支払って領収
書を見せなければ、たとえ死にかけていても相手にしてもらえません。

 見ず知らずの老人を病院に運んでも、その老人が自ら会計課に行ってもみく
ちゃになりながら並んで支払いができる訳はありませんので、助けた人が代わり
に支払わざるを得ません。倒れている人を見殺しにするのは通りすがりの人だけ
でなく、中国の病院だって医療費が払えない人は同じく見殺しにするからです。

 病院に連れて行かず、倒れていた現場に救急車を呼んだ場合でも、駆けつけた
救急車は電話して呼び出した人に救急輸送代の先払いを求めてくるそうです。こ
んなシステムでは、経済的に余裕がないとか、現金の持ち合わせがない場合、人
助けもままならないということになります。

 日本は健康保険制度が比較的充実しており、保険未加入者はさほど多くありま
せん。社会保険に未加入で貯金がない路上生活者でさえ、病気や怪我の際にはと
りあえず治療が受けられますよね。また経済的に生活が困難な場合には、生活保
護という制度もあります。

 しかし中国では、そのどれをとっても日本のようにはいきません。健康保険制
度はこの数年でずいぶん普及しましたが、今の老人たちが働いていた頃にそんな
制度がなかったため、保険の恩恵を受けられない人がまだまだ大勢います。しか
も昔の中国の医療費は驚くほど安かったので、保険会社の保険に加入する必要も
ありませんでした。国による生活保護という制度も、ないに等しいです。


ムが冷漠なのです。

 もし、お金の持ち合わせがなくとも、例えば公立病院や町の診療所でなら、た
とえ一時しのぎ程度でも簡単な治療が受けられる社会システムだったら、どうで
しょう?
 
  そうであれば、良心の呵責に苦しみながらも逃げてしまっていた人たちだっ
て、人助けを躊躇わずに済むのではないでしょうか。医療費の支払いに困るあま
り、恩人を罪人に仕立て上げて医療費をゆするなんてこともせずに済むのではな
いでしょうか。

 悪意を持つ人を完全になくすことはできずとも、血を流して横たわるわずか2
歳の子供を見捨てる人が、18人もいるなんて社会ではなくなると思うのです。

 さて、次回は中国で生活していて身近で見聞きしたり体験した『冷漠社会』を
書きたいと思います。

               (筆者は中国・深セン在住・日本語講師)

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