【オルタ・オープンセミナーから】

「朝鮮・台湾植民地の歴史と記憶」〜ポストコロニアルの視点から〜

蠢く新植民地主義 —甘え生む親日幻想—

岡田 充


◆◆ <はじめに>

 李登輝元台湾総統が2015月7月末に来日した。台湾では「過去の人」という評価が定着しているが、日本では「アジアの哲人政治家」と持ち上げる声が絶えない。来日中に議員会館で国会議員ら300名を前に演説し、安倍晋三首相が秘密裡に会ったのもそれを裏付ける。彼は滞日中「尖閣は日本領」と改めて明言、日本の雑誌に第二次大戦では「『日本人』として、祖国のために戦った」と書き、戦略的親日カードを駆使した。「日台運命共同体」を強調し、北京を挑発することを計算に入れた言動であろう。一方、侵略と植民地支配を正当化したい日本の政治エリートたちは、公の場で彼らの歴史観を公言できない。その本音を代弁してくれるのが元日本人の李登輝なのだ。元総統が繰り返す「親日発言」を、日本の政治エリートたちは心地よくうっとりと聞いたに違いない。右翼誌が「安倍政権を潰すな」という特集記事に李発言を掲載したことや、テレビが放映する「日本ほめ番組」の意図とも通底する。「大国喪失感」をどこかで埋めたいという多くの日本人が抱く集団的社会意識は、水面下で蠢く「新植民地主義」につながっていかないだろうか。

(写真1:李登輝先生 特別講演会)画像の説明

 ここでは漫画家の小林よしのり氏の『台湾論』が、日本と台湾双方に送ったメッセージの意味を整理しながら(1)日台、日中など国際関係に及ぼした影響(2)「反中国感情」を満足させる「親台湾」「親日本」が、相互に「甘え」を生んでいることを論考したい。

◆◆ <『台湾論』の波紋>

 小林の『台湾論』が2000年、台湾で出版され、その中の従軍慰安婦の記述が政治問題になった。陳水扁政権は01年3月2日「同氏の主張は国家と民族の尊厳を傷つけた」として、台湾訪問を予定していた小林の入境禁止を決定した。「人権重視」を建前にする陳水扁政権が、言論を理由に外国人の入境を禁止するのは異例であり、台湾の前衛出版社は「禁止は中国共産党と同じ」と強く反発した。

(写真2:小林よしのり『台湾論』表紙)画像の説明

 問題の記述は、小林が取材した財界人、許文龍・元総統府顧問が「従軍慰安婦は強制されたものではない」と述べたとされる発言と、台湾先住民が「大東亜戦争の魅力に勝てず、こぞって日本軍に志願した」とする部分である。国民党など野党は、許の総統府顧問の解任のほか、同書の発売禁止を要求。さらに日本在住の評論家、金美齢が小林に対する入境禁止決定の撤回を訴えると、金の総統府顧問の解任要求へと発展した。当時、陳政権は第4原発廃止決定をめぐり、「多数野党」国民党からの激しい攻撃を受け、2月にようやく国民党との妥協にこぎつけたところだった。入境禁止決定は野党側に新しい「攻撃材料」を与え、政局を再混乱させたくないという政権側の配慮が働いていたのかもしれない。

 入境禁止決定を日本で聞いた小林は「台湾に対する“片思い”が破れた」と台湾紙に語った。小林が述べた「片思い」とは何か。『台湾論』は、李登輝をはじめ日本統治時代に教育を受けた「元日本人エリート」たちの、戦前の「強い日本」への撞着を主張の拠り所にしている。この歴史観は一部に根強いが、台湾の主流民意を代表しているわけではない。
 小林からすれば国民党の非難は理解できるにせよ、李登輝の「後継政権である陳水扁政権」までが、植民地統治時代の「歴史認識」を理由に入境禁止するとは、思ってもみなかったに違いない。小林が描いた台湾人の日本観は、現実には存在しない過去の日本の幻影を極大化した「片思い」だが、それを台湾の「親日」の表れと受け止め、それに対応する「親台意識」へと転化するのもまた「片思い」であることに気付いていないことこそが、ポスト・コロニアリズムの視点から批判されるべき意識ではないか。
 当時、民進党主席だった謝長廷は筆者に対し「彼の主張は一部台湾人の言論を借り、日本はかくあるべしと主張する小林の日本論にすぎない」と分析する。小林は、現実政治によって「親台意識」が打ち砕かれたのを目の当たりにして「片思い」が破れたと言ったのだろう。「すれ違う片思い」だ。

◆◆ <共振する二つのナショナリズム>

 次いで『台湾論』が日台双方にどのようなメッセージを送ったのかを整理する。第1は、日本の植民地統治と近代国家建設に伴うインフラ整備や、教育や道徳の美化である。それは国民党の独裁支配とは比べものにならない「善政」だったのだから、「日本人は自信を持て」というメッセージを、李登輝の口を通じて送るのである。

 このメッセージは、戦後長期にわたって日本人が自制してきた「敵対型ナショナリズム」を大いに刺激した。その背景には(1)冷戦終結とともに日本でバブル経済が破裂、経済不振が続く中で自信喪失(2)中国の台頭が「中国脅威論」に発展(3)1996年の台湾海峡危機や98年の江沢民訪日は、日本人に中国への嫌悪感を増幅—などを挙げねばならない。こうした背景から、中国から軍事的な圧力を受けている「親日台湾」への親近感が生まるのは、当然の成り行きかもしれない。日本で芽生えた「敵対型ナショナリズム」は、巨大化する中国と「ならず者」北朝鮮を「敵視」することで成立する。

 一方、台湾ではどうか。李登輝による台湾の民主化と台湾化は、民主的な政治システムを開花させ、言論の自由を拡大した。同時に「国民党=外来政権」という図式をつくることによって、中国大陸から台湾を切り離す「台湾独立」という台湾ナショナリズムを駆り立てた。1998年の台北市長選挙で「新台湾人」の新理念を打ち出し、「族群矛盾」に反対した李登輝だが、総統退任後は積極的にこの矛盾を利用し「中国覇権と戦う戦士」のイメージ作りに成功した。このイメージは、嫌中感からナショナリズムを肥大化させる日本人の多くから歓迎され、日本でも02年「李登輝友の会」が発足した。こうしてみると、台湾における「親日本」、日本における「親台湾」が、いずれも「反中国」の裏返しの表現であり共振していることが分かる。

 では、『台湾論』が日本の世論に送ったメッセージが、国際関係にどのような影響を及ぼしたか。結論から言えば「親日台湾」は、日中台の三角関係を大きく揺るがした。具体例を挙げるなら、第1に2001年4月の李登輝来日の実現である。「心臓病の治療」を建前にした来日は、全国紙の社説が初めて支持の足並みをそろえたことで実現した。総統を退任した1老人の訪日を阻止しようとした中国は、日本世論の中でまたもや「ヒーラー」のイメージを増幅した。台湾問題に対する中国の強圧姿勢が、日本の世論の「判官贔屓」を刺激したのだが、「親日」メッセージがそれと共振した可能性は否定できない。
 来日が実現した4月は、小泉内閣の誕生した月である。中国の靖国参拝非難キャンペーンをはねつけ、参拝強行のたびに支持を上げる「小泉現象」も、「嫌中意識」を契機に高まるナショナリズムと同根である。「親日台湾」が日本の対中政策に影響を及ぼした例は他にもある。02年5月、野党民主党の菅直人元代表は、台湾の国連加盟支持を初めて打ち出した。「一つの中国」の壁にまず野党側が挑戦したのである。日本政府も、世界保健機関(WHO)への台湾オブザーバー参加を支持する方針に転換した。その後も、前原誠二民主党元代表が「中国は現実的脅威」と、野党代表として初めて中国脅威論を展開した。麻生太郎元外相は「中国脅威論」を外相として初提起し「台湾の教育水準が高いのは、植民地時代の日本の義務教育のおかげ」などと発言したのも「親日台湾」の成果だろう。

◆◆ <『極楽台湾』にみる甘え>

 こうしてみると「親日」「親台」は「片思い」などではなく「相思相愛」のように見える。そこで次に挙げるのは、「片思い」が生み出す甘えの構造である。『台湾論』に続いて2002年初め、台北の日系書店で売られた台湾の性風俗業や買売春を紹介した日本の『極楽台湾』(司書房)が、販売禁止となった。

(写真3:『極楽台湾』表紙)画像の説明

 問題視したのは民進党の台北市議だ。買春を公然と奨励するような書籍が堂々と売られているのは、陳水扁元市長に比べ馬英九元市長が手ぬるいからだと批判したのである。これに対し馬は市議会で「いつでもどこでも買売春できる都市として描かれ、台北市の印象を著しく傷つけた」と批判。記者会見では本を手に取り「仮に同じ内容の『極楽東京』が発売されたら、東京都や都民はどうするだろうか」と怒りをあらわにし「買春に来る観光客は一網打尽にする」と取締り強化を宣言した。

 この本は、日本人ライターが台北市の風俗スポットを地図や裸の台湾女性の写真入りで詳細に紹介、買春価格も掲載した。日本では「珍しくもない本」かもしれないが、問題は台湾で堂々と販売されたことにある。出版社は『極楽上海』『極楽ソウル』など一連のシリーズを出しているが、まさか上海やソウルの書店には置くまい。外交問題に発展することは明らかだからだ。
 台湾は「親日」だから、日本人旅行者向けに販売しても「反日」の中国や韓国と違い発禁され、外交問題になることはないだろうという「甘え」から堂々と書店に置いたのではないか。発禁は当然の処分であって、馬の「反日意識」のためではなかろう。この騒ぎのとばっちりを受け、台北市内の高級ホテルの室内で、買春した日本の元警察官が一時拘束されたことを付け加える。また、ちょうどこのころ訪台したタレントの篠原ともえが「深夜、台北の高級ホテルで酒を飲んで大暴れし、警察に連行された」と台湾メディアが大きく報じた。当時、民進党主席だった謝長廷は事件直後、筆者に対し「台湾論を契機に、(台湾の中に)親日派への反発があったからではないか」と分析した。過剰な「片思い」は「片思いしない」側から反感と嫌悪感を呼ぶ。篠原は日本人であるがゆえに「いけにえ」にされたのかもしれない。

 もうひとつ例を挙げる。先に紹介した麻生元外相発言について、台湾・外交部スポークスマンは2月6日「教育も植民政策の一環であり、目的は誰もが分かっている」と述べ、植民地統治の美化を暗に批判。さらに「日本と中国、韓国の間には歴史をめぐって意見対立が生じている。われわれは台湾と日本の間に同様の事態が生じないよう希望する」と語った。これが民進党政権の日本植民地統治に対する公式見解である。仮に建前としても、植民地統治を美化する議論に政権が組みすることはできないのは当然であろう。これをもって「反日」と言えるだろうか。

◆◆ <「親日」か「反日」のおごり>

 最後に「甘え」がもたらす摩擦を、安易に「親日」の対極にある「反日」という言葉で表現する日本の論調にも触れる。先ほど紹介した『極楽台湾』事件について中国研究者の水谷尚子氏は「胡錦濤より『色男』で『反日』の馬英九」(「諸君」2006年3月号)で、「買春した日本人は、出国時パスポートに『淫虫』(スケベ野郎)のスタンプを押すことも検討」という馬発言を取り上げ、馬の「反日的性格」の一例と指摘するのである。水谷はさらに「反日」の例として、霧社事件のタイヤル族の指導者モーダルナオ記念碑を「先住民たちは抗日英雄だ」と位置付け参拝したことや、「保釣」運動の闘士だったことを挙げるのだが、傑作なのは結論部分である。
 彼女は「李登輝に代表される日本語世代のような、無条件に日本を愛してくれた親日派は、今後急速に消滅していく」とした上で、「(もし政権交代で馬英九が総統になれば)台湾が『親日』であった時代は終わった。その上で、馬英九の『嫌日』発言は突出しており、共産党と国民党は「反日」で団結することは可能」という懸念を表明するのである。水谷は、李登輝らを「無条件で日本を愛してくれる」と形容するが、中国、台湾を研究する専門家とは思えない浅薄な認識である。李登輝は「台湾人の心を持ち、日本人の思考方法と欧米の価値観を持つ。同時に中国的な社会、文化背景の中で生きている」(司馬文武)、李は多くの台湾人同様、複合的なアイデンティティを持つ人物であると同時に、極めて現実的な政治家でもある。「無条件で外国」を愛する政治家がいるとすれば、その国際感覚と資質は疑われる。「戦略的親日」に対するナイーブな認識を水谷は自ら露呈した。

(写真4:『諸君!』2006年3月号表紙)画像の説明

 水谷の認識は「台湾政権が国民党に変われば、馬主席の反日的性格からして台湾の政策も反日になる」というものである。民進党政権を言外に「親日」というのであれば疑問だが、蒋介石・蒋経国時代の「中華国粋主義政権」も、「反日」だったわけではないことは歴史が証明している。いずれにせよ台湾政治の軸は「対中関係=台湾の将来」にあるのであって、対日観は対中姿勢の副次的要因にすぎない。
 日本メディアは、「反日」か「親日」の二元論で東アジアの国際関係を分析する方法を安易に使う。こうした短絡的な精神構造は、日本を代表する知識層までが敵対型ナショナリズムの呪縛から抜け出せないことを物語る。それを最初に刺激したのが『台湾論』という名の「日本論」であった。

 (筆者は共同通信客員論説委員)

※この原稿は筆者が2015年12月19日に第5回「オルタ・オープンセミナー」で報告した「朝鮮・台湾植民地の歴史と記憶」〜ポストコロニアルの視点から〜の要旨です。


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