■ 農業は死の床か。再生の時か。        濱田 幸生

~農地法改正 街から農業をしに来たと言っても信じなかった法律・農地法~

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 農地法が改正されました。まぁ、もうかれこれ5、6年以上前から内容の原案
は出ていましたから、逆に「お、まだ改訂されてなかったのかい」というのが本
音です。ですから、村うちでも別に取り立ててなんという反応もありません。
  今回の農地法の改正については各紙が報じていますから、細部についてはお読
み下さい。要するに、「企業の参入がゆるやかになった」ということです。あと
は、参入企業に耕作者がいること、農地転用がかえって規制強化になったような
ことが歯止め的な条項としてついています。
 
さてそうですね、もう27、8年前にもなりますか、沖縄から帰っての百姓修
業時代に玉造農場というところに2年間ばかりお世話になったことがありました
。ここは街の帰農したいという若者が必ず立ち寄る農場でした。それはまさにネ
ットワークそのもので、インターネットもない時代に、芽生えたばかりの農の拠
点を頼りに多くの若者が旅をし、農作業や祭に加わっていきました。ひとつの場
所で宿をやっかいになり、翌日にしっかり農作業すると次の行くべき場所を教え
られました。
 
当時、私たちはそれを社会システムからひからびたプラグを抜いて旅する旅人
のための「光のネットワーク」、あるいは「ヤポネシア・ハイウエイ」とよんで
いました。
  また成田空港にも近かったためにインド帰りでリハリビ滞在する奴とか、外国
から来るヒッピー(私たちはフリークと呼んでいましたが)の人達の日本最初の
宿としてもかなり有名だったようです。農場の便所の中から出てきたのがゲーリ
ー・シュナイダーだっりしたような農場でした。こんな話をし出すときりがあり
ません。そのうちゆっくりと。
 
玉造農場は街の有機流通会社というもおこがましい、その原型のようなJAC
という会社(*現ポラン広場系の元祖のそのまた元祖)が出資したものでしたが
、その時に行政ともめました。なんでか?なんと「企業は農地を取得できない」
のです。
  ゲ、です。お百姓になりたくて農村に来た若者はショックでした。おいおい、
企業ったって三井物産じゃないぜ、しょぼい若者のビンボー企業だ、なんせポケ
ットに千円もないおかしな連中がやってんだぜ(ため息)、農業が好きな連中で
作った会社なんだよ(涙)!その仲間が農業しに行ってなにが悪いんだ(怒り)
。なぜ街の人間や会社には土地が買えないんだよォォ!(エコーつきの悲鳴)
  そうです。新たな農家を作らせない法律、それが農地法だったのです。


◇◇排外的法律としての農地法◇◇


 農業をしたいか否か、企業が若者会社であるか否かなど、 もちろんそんな言
い訳に農地の番人である農業委員会が耳を貸すはずもありません。
  ここでぶち当たったのが、わが業界では有名なかの「農地法3条」です。これ
には農業資格というのが、しちめんどくさくネチネチと事細かく書いてあり、要
するに「農業をしたい!」、「農業をしたいから土地を買いたい」では駄目で、
耕作者資格なるものを得る必要があったのです。
 
今ですと私は図々しく、パパはなんでも知っている(←古いっす)という顔を
していますが、当時農業をやるのに「資格」がいるとは思わないですよ!初めこ
れを聞いた時には、ひょっとして農業者という仕事は、国家資格で「一級農業士
」てなものを取得しなければならないと真剣に悩みました。
  しかし呆れることには、農業を余所から来てするにはその「資格」が事実上あ
ったのです。耕作者資格は、50アール以上の実績がないと、土地は買えません。
では借りればいい?とんでもない!農村に来たよそ者に土地を貸すものなどいる
はずもありません。
 
これも後に知ったのですが、農地法下の土地貸借においては圧倒的に借り手が
強いのです。いったん合法的に借りてしまえば地主は返せと言いにくい法律だっ
たわけです。仮にこの街から迷い込んだ奇妙人どもに貸してしまって、めちゃく
ちゃにされておかしなビルのひとつでも建てられたひには目も当てられない、と
いったところです。
 
となると、街から来た農家志願者の立場にすれば、まずは50アールなどとい

耕作者資格のハードルを超えられるはずもく、かといってヨソモノには貸してく
れるはずもないという二重苦ではじき返されます。土地が借りれない、買えない
ではそもそも農業などできるはずもないのは猫でもわかりますもんね。
  農地法とは、このように極めて排外的な法律でした。ありていに言えば、農業
の外から来る人たちをブロックすることが目的の法律だったといっていいでしょ
う。今でこそ農家の老齢化によって新規就農者ウエルカムですが、ほんの10年
前までの現状とはこんなものだったのです。事実上、農業を既存の農家以外にや
らせないための法律が農地法です。もはや悪法と呼んでかまわないとすら私は思
っています。
 
農地法は村の入り口で私たちにこう叫んでいました。「農業は昔からの農家の
ものだ。街から来て農業をしたいなどと言っても信じないぞ。とっとと街へ帰れ
!」、と。つまり農業の閉鎖的な体質を法律的に裏付けていたのが、この農地法
だと言ってよいのです。
  戦後すぐの昭和27年(1952年)に制定された農地法は、小規模農家(小農)の
権利を保護する目的で作られたそうです。戦前の地主制度の復活を許さないとい
う強い意志がこの法律には込められています。時代的な意味はあったといえるで
しょう。
 
確かにその時代に農業に新規に参入しようという物好きな人や企業などは考え
られもしなかったのは確かです。なにせ国民の6割が農民で、不況だといえば故
郷に帰って百姓でもするかという時代です。
  それが半世紀の間に大きく状況が変化していく中で、かんじんの守るべき小農
は老化と兼業化が進み、街へと働きにでていくパートタイム農家に変身してしま
いました。後継者も極小の状況があたりまえになってしまいました。農業は今の
形のままではもう5年後には自動的に消滅してしまいます。
 
ここまで追い込まれて初めて農水省は重い腰を上げたのでした。なるほど、現
実には農地法を軸に作られた法律がまるで迷宮のように入り組んでいて、これら
をひとつひとつを改訂することが至難だったと農水省関係者は言っているようで
す。また、農地法を扱う責任部署が、地域行政なのか、農業委員会なのかといっ
たいかにも日本的な地域行政の曖昧さも指摘されています。
 
しかし、そのようなことを勘案しても笑うべき農水省の因循姑息ぶりです。農
家の高齢化問題などは、突然生じた問題ではなかったはずです。小学生が考えて
も、10年前に2010年代には農家平均年齢が60歳を超えるということなど
分りきっていたはずです。ならば、農家平均年齢が50歳を超えないまでに、そ
の対策を考えておくべきが農水省の仕事のはずではなかったのでしょうか。


◇◇株式会社=悪玉の時代は終わった◇◇


  せめて農業が自らの中に体力があるうちにこそ、農地法改正は有効だったでし
ょうに、と私はため息が出ます。受け皿としての農家に体力と展望があるうちな
らば、農地法改正をすることによる異業種や新規就農者といった輸血手術で立ち
直ることもできたでしょう。異業種との効果的なコラボレーションもありえたで
しょう。
  この農地法改正は10年遅かったと私が言うのはそのためです。せめて1900年
代に新農基法の改訂と同時に改正されていたのならば、まったく違った可能性を
呼び込むことになったはずです。
 
仮に農地法改正反対派での人達が唱えるように、異業種が農業に参入すること
で産業廃棄物の捨て場にされる恐れがあるとか、事業をやめてしまった場合に農
地に空白ができるとかいった問題は、今までの農地法下でも日常茶飯の出来事だ
ったことは農業委員会自身が一番よく知っているはずです。そしてそのような違
法行為を働いていたのがほかならぬ農家自身だったのです。このような反対意見
は、単に株式会社=悪という図式を煽っているにすぎません。
 
このようなことは、それを監視する農業委員会が今までどおりしっかりと監視
活動をしていけばいいだけの話で、むしろ地元の利害や感情が入り組む農家相手
より、異業種のほうが言いやすいのではないでしょうか。
  第一、参入するのは企業ばかりではなく、かつての私のような新規就農希望者
も大勢いることを忘れて貰っては困ります。新規就農希望者にとって農地が取得
できなかったために、かつての私のように条件の悪い山林原野に入植したり、借
りることすらできない人も多いのです。新規就農者を鉦と太鼓で呼び集めておき
ながら、農地は農地法があるから売れない、お前らは原野に行けはないでしょう

  この農地法改正論議で忘れ去られている新規就農者にとっては、農地法の改正
は歓迎すべきことです。私たちの時代にはなかったことですが、今後都市の就農
希望者が1円株式会社という形態で農業参入することもありえる時代になってき
ました。時代は変わったのです。株式会社=悪者で断じられる時代は終わったの
です。
 
むしろ私が真に心配するのは、今や農家が自ら民主党に所得補償金を寄越せと
言うような状況、つまり、農家自身が農業は自立した産業ではなく福祉の分野だ
と言い始めているような中での改正は、一挙に異業種による農業部門の支配へと
変わる可能性があることです。これについては別稿にしますが、農業ほど経済行
為として可能性がある事業分野は少ないからです。今の農業の衰退は、むしろ農
家と農政内部の問題によるもので、農業そのものは沃野であり続けているのです。

           (筆者は農業者・茨城県在住)

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